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第31話 勅命と宰相の試練

「よし。では、次の議題に移ろう。ロガン伯爵の件だ」


皇帝の言葉に、新たな緊張が場を満たした。


「ロガン伯爵が死なずに済んだこと、まことに幸いでした」


宰相の言葉に、列席した者たちも頷いた。


彼は有能な男だった。

くだらぬ身代金支払いの手違いで彼を失っていれば、帝国にとっても大きな損失だった。


「ロガン伯爵とは遠隔で話をした。おかげで元凶を突き止めることができた」


皇帝のその言葉に、集まった閣僚たちの目が見開かれる。


いったいどこの誰が、そこまで大胆な真似をしたのか。


皇帝の気性を知っていれば、決してやらないことだ。

彼は“自分のもの”と見なしたものを、誰かに侵されれば決して黙っていない。


つまり――

これは、皇帝をよく知らぬ者の仕業に違いなかった。


地方貴族か。


閣僚たちの脳裏に、「死」という言葉が浮かぶ。


先ほどまで冗談を飛ばして笑っていた皇帝だが、彼は誰よりも冷徹だ。

あるいは……あの魔族たち以上に。


カチリ。


皇帝が再び指を鳴らすと、向かいの魔法球が瞬き、地下牢に囚われた一人の男の姿が映し出された。


「こいつが犯人だ。元凶だよ」


あまりに迅速な皇帝の手際に、閣僚たちは驚かずにはいられなかった。


闇の部隊の力量はいったいどれほどのものなのか。


壁に耳あり――そんな言葉が脳裏をよぎる。


帝国の高官であろうと、皇帝への不満や反意を口にした瞬間、生き残れはしない。


「へ、陛下! どうかお許しを!」


男の周囲には、黒い鎧をまとった騎士たちが立っていた。


イェーガー・ナイツ。

皇帝直属の騎士団員たちだ。彼らが男を拘束したのだ。


「私は帝国を食い物にする寄生虫が嫌いでね。まさに、お前のような手合いだ。カルドシュム伯爵」


ロガンが死ねば、その領地を呑み込める。

そう踏んで、水面下で工作を進めていた男だった。


「送金過程における単なる手違いでございました!」


男は故意ではなかったと必死に訴えた。


もちろん、皇帝には通じない。


「今さら私の前で、まだ嘘を吐くつもりか。お前に賄賂を受け取った者たちは、すでに自白している。物証も押さえてある」


皇帝が手を振ると、イェーガー・ナイツの一人が分厚い書類束を差し出した。


「そ、それは……」


証拠を突きつけられ、カルドシュム伯爵はそれ以上言葉を継げなかった。


「法務卿。戦時利敵罪の処罰は?」


戦時利敵罪。

戦時において敵を利する行為に対する罪だ。


ロガン伯爵を死なせることは、結果として魔族を利する行いに当たる。

皇帝はそう言っているのだ。


その問いに、法務卿は即答した。


「死刑にございます」


他の罪と異なり、戦時利敵罪に定められている刑罰は死刑のみ。


「妥当な処断だな。戦時利敵罪で起訴することに問題はないな?」


「ございません」


法務卿の頭は高速で回転していた。


陛下は、自分以上に法に通じている。


巨大な帝国を治めるには、法なくして不可能だ。

皇室や自らの権威に関わる事柄では闇の力を使うこともあるが、根本はあくまで法治に則っている。


彼が皇帝の座について以来、帝国の法体系は驚くほど精密に整えられてきた。

そのおかげで、帝国の統治機構は一つずつ形を成していった。


専制君主国家とは到底思えぬほどの変化。


もっとも、既得権益層の反発がなお強いのが問題だった。


先ほどエステルの提案に対して強硬派が猛反発したのが、その典型である。


皇帝が忌々しく思っているのも、まさにそこだ。


文明開化は自分が先頭を走っているつもりだった。

なのに、まさか魔族が先に一手を打ってきた。


(負けてたまるものか)


皇帝は、新たな競争相手――エステルと向き合うことになった。


「どうか……どうかお慈悲を!」


元凶が命乞いをした。


「私個人は赦してやってもいい。だが、法は赦さない。皇帝の慈悲で処罰が容易く無効化されるなら、それはもはや法治国家ではない」


カチリ。


皇帝が指を鳴らすと、映像はふっと消えた。


「さて……これで最後の問題だな」


犯人は捕えた。

残るのは、ロガン伯爵が死にかけた件に関する最終責任だ。


結果的には事なきを得た。

だがそれは魔王妃の介入があったからにすぎない。

もし彼女が動かなければ、ロガン伯爵は生き残れなかっただろう。


つまり、皇帝の有能な部下の一人が、無念のまま死んでいたということだ。


「すべて私の責任にございます。陛下」


宰相カルートが深々と頭を垂れた。


「身代金が最後まで正しく送達されているか確認すべきところを、資金の流れを見失いました」


莫大な金を荷車に積んで運ぶわけにはいかない。

各地の大商会が発行する為替証書を用い、順に資金を移していく方式を取っていた。

だが、その流れが途中で詰まったのだ。


すべては自分の責だと、カルートは頭を下げ続ける。


他の者へ向かいかねない非難を、すべて自分が引き受けるつもりなのだ。


「お前の責任だ。カルート宰相」


皇帝の纏う空気が変わった。


先ほどまで軽口を叩いていた皇帝は、もういない。


「私は人材を惜しむ。そして人材がつまらぬ形で死ぬのを最も嫌う。ゆえに、魔王妃エステルの提案した捕虜協定を進めるつもりだ。先方の要求を精査し、交渉し、必ず締結してこい。それをもって今回の責任とする。失敗は許さぬ」


宰相への処分は――

エステルの提案した協定交渉を担い、しかも必ず成立させること。


協定締結そのものに反対していたカルートにとって、まさに手が震えるような命令だった。


しかも決裂した場合、皇帝は彼を処罰すると明言した。


皇帝は、必ず口にしたことを実行する。

それがたとえ帝国の宰相であっても、例外ではない。


「しかし、魔族との協定など……っ」


カルートの唇が震える。


彼は、魔族との協定など断じて不可能だという立場を貫いていた。


「君の孫。最近、戦死扱いになったそうだな」


カルートが魔族を心底憎む理由があった。


最愛の孫が戦闘中に行方不明になったのだ。

戦闘中の失踪者は、遺体が確認されずとも一定期間を過ぎれば戦死扱いとなり、武功章が与えられる。


「失望したよ。君は、そんな私情に呑まれる男ではないと思っていたのだがね」


「そうした感情があるからこそ……人間なのです」


「ふむ。今の言い方だと、私は人間ではないように聞こえるな」


皇帝の表情は変わらない。

だが、他の閣僚たちは薄氷の上を歩くような感覚に襲われていた。


近頃、宰相の振る舞いは時に一線を越えつつあった。


ユンゲン半島に広大な領地を持つ侯爵家の当主。

そして皇帝の熱烈な支持基盤であった彼が、少しずつ皇帝と意見を衝突させ始めている。


皇帝が見ているのは、まさにその点だった。


「君の孫が失踪したのは、痛ましいことだ。最前線に送ったのは私だからね。胸が痛むよ」


宰相の孫は将来有望な騎士候補生だった。


皇帝直属の見習い騎士団に属していた。

だが、休戦直前に最前線へ出征し、そのまま行方不明となった。


「逆に考えてみたまえ。こんな捕虜協定がもっと早く存在していれば、君の孫も恩恵を受けられたのではないか?」


「……」


「そういう意味でも、私はこの捕虜協定をたいへん気に入っている。今後、帝国が経験するあらゆる戦争に適用したい。敵が魔族でなくとも、だ」


これから帝国が他国と結ぶ基本協定にしたい、ということだ。


「もちろん、最終戦争の前にしばらく彼らと対話し、その間に力を蓄える必要もあるがね」


皇帝は、アトランティス島の征服を諦めたわけではない。


ただ、必要な準備が整うまで少し待つだけ。

それだけのことだ。


「それに何より、魔族との協定に反対して騒ぎ立てる連中を黙らせるには、君ほど適任はいないと思っているのだがね?」


反魔族強硬派の彼を前面に立て、あえて交渉に当たらせるという話だった。


閣僚たちは、にこやかに笑う皇帝を見て戦慄した。


彼の行動は、すべて計算ずくだ。

最初から皇帝は、この場へ来る時点で宰相に魔族との交渉をさせるつもりだったのだ。


しかし、それにしても。


目に入れても痛くないほど可愛がっていた孫を魔族に奪われた男に、捕虜協定交渉をやらせるとは。


あまりにも残酷な処分だった。


「どうだ。やるか?」


皇帝は再び宰相に問うた。


閣僚たちは固唾を呑んだ。


果たして彼は、皇帝の提案を受け入れるのか。


ここでの選択次第では、今後の帝国政界の空気すら変わりかねない。


閣僚たちの頭に「枝打ち」という言葉が浮かぶ。


捕虜協定や魔王妃の話は口実にすぎず、

皇帝は様々な理由を積み重ねて、宰相を切り捨てるつもりなのかもしれない。


内心の見えない男。


それが、帝国の若き皇帝リハルトだった。


ここで宰相が屈すれば、序列は決まる。

そうでなければ、政局はさらに複雑化する。


「承知いたしました」


宰相は頭を下げ、皇帝に屈した。


欲しいものは必ず手に入れる男。

それが帝国の皇帝だった。


「感謝したまえ。もし君が断っていたら、私自ら魔王城へ赴いて魔王妃に会うつもりだったのだから」


つまり、交渉を自分で行うつもりだったということだ。


「君は魔王妃エステルに会い、あれがどのような人物か見極めてこい。それが今回の協定交渉における真の目的だ」


「エステルが、帝国にとって脅威になるとお考えですか?」


「さて……」


皇帝は肖像画を見つめながら言った。


「帝国ではなく、この地のすべての人類にとって脅威となるのではないかな」


皇帝は奇妙な笑みを浮かべた。


帝国の閣僚たちは、こんな状況でなお皇帝が冗談を口にしているのだと思った。

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