第29話 文明という名の反撃
魔王と、私が並んで描かれた一枚の絵。
「よく描けている。気に入った」
今はまだ、彼と私だけ。
けれど――
いつか子どもたちが自分の足で立てるようになったら。
家族全員で並び、
温かな一家の肖像を残したい。
もちろん、そのためには
家族全員が生き残らなければならない。
そして――
私は必ず、そうしてみせる。
(さて……次は)
私は地下牢へ向かった。
ロガンに会うためだ。
「帰化、ですと?」
捕虜代表であるロガンの目が丸くなる。
どうやら“帰化”という概念が、
すぐには理解できないらしい。
「そなたらの王国でも、
他国へ移り住む者はいるだろう?」
「ですが……」
彼らは“生まれた土地への帰属意識”が強い。
居住移転の自由という発想が薄いのだ。
とはいえ、
基本概念さえ文書で渡せば、
帝国の法学者たちが理論を整えるだろう。
「自発的意思による残留であると確認したい」
その言葉に、
ロガンと貴族騎士たちの視線がハンスへ集まる。
「本当に望んでいるのか?」
「はい。私はここに残りたい」
騎士たちは順に問い質す。
説得を試みる者もいた。
だがハンスは、
そのたびに自らの意思であると明言した。
「……信じ難い」
「魔族の地に人間が残るとは」
困惑はあったが――
「本人の決断なら仕方あるまい」
一介の平民兵士。
大勢に影響はないと判断したようだ。
「諸君も見た通り、自発的残留だ。
その事実を正式に確認したい」
署名を取り、控えは双方で保管した。
魔王にも掛け合い、手続きは徹底的に整えた。
杜撰にはしない。
我らが野蛮ではなく、
むしろ人間以上に制度的な存在であると示すためだ。
すべての手続きが完了する。
緊張した面持ちのハンスに告げた。
「帰化を祝福する」
人間側も、魔族側も問題なし。
「魔族に準ずる待遇を保証する文書だ」
アトランティス島居住許可証も発行。
名誉魔族――
そして彼は魔王城専属の画家となった。
式典の記録画、
高位魔族の肖像制作。
補佐役の侍女も正式に決定。
双方の意思を再確認し、了承を得た。
そばかすの赤毛の侍女は、
ハンスと共に生きることになった。
(いい流れだ)
この帰化第一号は、城内で大きな話題となった。
特に人間の侍女たちにとっては――
未来の可能性を示す出来事だった。
「捕虜でなくとも交流は続く」
私はそう伝えた。
やがて噂は広がる。
才能がありながら、
身分ゆえに埋もれている平民たちが――
ここへ来るだろう。
文化芸術の空白は、彼らが埋める。
だが、狙いはそれだけではない。
帰化者の集住地を作る。
将来訪れる“勇者一行”への布石だ。
本来はギルガオンが門番だった。
だがその手前に人間の町を置く。
魔族の地で平和に暮らす人間の姿。
それを見れば、勇者たちの認識も揺らぐはずだ。
場所は決めた。
造成工事が始まる。
すべて計画通り。
生まれた子どもたち。
そしてこれから生まれる子どもたちのために。
その時、料理長が訪ねてきた。
食材供給担当の件だった。
(そうだ……忘れていた)
話を聞き、私は凍りつく。
「倉庫のカレー粉に問題があった?」
供給元は密輸業者。
人間界の品を扱う者たちだ。
本来は備蓄用で、入れ替え時に廃棄されるはずだった。
だが不良原料の粉が紛れ込んでいた。
検品不足。
問題発覚前に――
私が使ってしまった。
魔王の料理に。
(最初に不味かった理由はこれか)
制度の欠陥。
情報共有の不備。
「改善しよう」
担当者は平伏した。
熟練者ゆえ、今回は不問とする。
「感謝します!」
「では、次を頼めるか?」
私は告げた。
唐辛子。
アトランティスには無い。
だが人間大陸にはある。
韓国式の辛味料理を再現したい。
「必ず」
失態挽回の決意。
(でも……なぜ味が戻った?)
眠るエリンを見る。
私の不在中に何かを?
頬に触れ、囁く。
「エリン、助けてくれたの?」
赤子は微笑んだ。
天才魔術師の力?
「ありがとう」
想像以上の才能かもしれない。
腹部に痛み。
双子が反応している。
日に日に膨らむ腹。
産婆アウラが待機中。
「もうすぐ兄姉になるよ」
どんな子だろう。
新しい未来を与えよう。
「……そろそろ到着した頃か」
解放した者たち。
身代金なし。
協定提案付き解放。
前例のない一手。
文明国家の外交のような行動。
今ごろ――
帝国中枢は、混乱に包まれているはずだ。
私の意図を、
理解できる者はいるだろうか。
静かに投じた一手が、帝国中枢を震撼させる。




