第28話 王妃の肖像、運命の筆先
「悪くはないだろう」
私は快く許可した。
許可を出すと、ギルガオンが意外そうに尋ねてきた。
「よろしいのですか?」
「構わん」
手先の器用な兵士が、感謝の印として私の肖像画を描きたいと申し出たのだ。
「どれほどの腕前か、気になるな」
「はっ」
私は宝石を散りばめた純白のドレスを纏い、姿勢を整えた。
繊細なレース、幾重にも重なる豪奢なスカート。
頭には輝くティアラ。
椅子に腰掛けた私は、
まるで――マリー・アントワネットを思わせる、
絶対王政時代のフランス王妃の肖像画から抜け出したかのような気品をまとっていた。
◆◆◆
兵士――ハンスは素早く筆を走らせる。
地下牢で配膳を担当していた侍女たちが、
今は彼の周囲で静かに補助をしていた。
その時。
赤毛の侍女が、絵具皿をそっと差し出す。
ハンスは、
その指先に触れないよう、わずかに手を引いた。
触れれば壊れてしまいそうな、かすかな距離。
けれど次の瞬間、
ふと視線が重なった。
一瞬。
時間が止まる。
侍女は慌てて目を伏せたが――
胸の奥が、かすかに熱を帯びる。
(どうして……胸が騒ぐの)
戦場帰りの兵士のはずなのに。
その視線は、驚くほど優しかった。
ハンスは遅れて視線を逸らす。
戦場では決して見せなかった、
不器用で、真っ直ぐすぎる感情だった。
◆◆◆
ハンスは胸の奥で呟いていた。
帰る場所などない。
だが――
もし、ここに残れたなら。
あの笑顔を、
毎日見られるのだろうか。
◆◆◆
(効果は上々ね)
私の関心は騎士ではなく、兵士に向いていた。
戦争は多くを奪う。
だが時に、“縁”を生む。
……ならば。
その縁がほどけぬよう、
私が少し背中を押してやろう。
◆◆◆
やがて絵は完成した。
「見事だ」
想像以上の出来栄えだった。
「褒美を取らせよう。望みは?」
ハンスは深くひれ伏す。
「ここに残りとうございます」
理由は察している。
私は赤毛の侍女を指差した。
「その絵を持って、私に続け」
侍女は驚き、顔を赤らめながら従った。
◆◆◆
廊下を進みながら、私は侍女に尋ねる。
「どう思う?」
「……とても、お上手です」
完全に心を奪われている顔だ。
「帰化すれば城の画家となる。
誰かを側に置かねば寂しかろう」
侍女の頬が一瞬で赤くなる。
「推薦できる娘はいるか?」
「わ、私など……」
「好いている者がよい。
彼もまた想っている相手がな」
指先を顎に当て、考える素振りを見せる。
侍女は小さな声で言った。
「……恐れながら、私を」
私は微笑んだ。
「許す」
機会は掴む者のものだ。
◆◆◆
執務室前でギルガオンが出迎えた。
「魔王に面会を」
「承知しました。……それは?」
「見てみよ」
絵を見せる。
「お見事です。想像以上だ」
一介の兵士の絵だと侮っていたのだろう。
「人間界の絵と比べてどうだ?」
「こちらの方が上かと」
「よし。忘れるな」
後で撤回は許さぬ。
魔王の執務室へ向かった。
「お時間をいただき、感謝いたします」
今は夫ではなく、王への礼。
「何用だ」
「優秀な人材を帰化させたく」
「帰化?」
私は簡潔に説明した。
能力ある人間を自発的意思で受け入れる制度。
体制優位を示す宣伝効果もある。
「ほう」
「素晴らしい施策です」
「静かに」
放っておけば長くなる。
「帰化、か……」
魔王は慎重だった。
「不足を最速で補える策です」
「この絵をご覧ください」
成果を示すのが一番早い。
侍女が絵を差し出す。
「……見事だ」
「この才、取り込む価値があるでしょう?」
「うむ……それでも、まだ迷っている」
だから――
甘える。
「この人に描き続けてほしいのです。今すぐ参りましょう」
腕を絡めたまま、
私はそっと彼を見上げた。
「あなたも……描いてもらいましょう?」
強い魔王ではなく、
ただの“あなた”として。
彼は一瞬目を見開き、
やがて小さく息を漏らす。
「……仕方ないな」
低く優しい声。
それだけで胸が熱くなる。
並んで立つ。
触れ合う距離。
言葉はいらなかった。
長い戦いも、
張り詰めた責務も、
この瞬間だけは遠ざかる。
私はそっと肩を預けた。
彼は何も言わず、
ただ離れないように支える。
それだけで十分だった。
この人の隣が、私の居場所。
王座よりも確かな、
帰るべき場所。
静かな部屋に、筆の音が響く。
私たちの“今”が、形になる。
永遠に残る一枚。
――夫婦として生きた証。
そして。
この日描かれた肖像は、
二人の運命を、
優しく結び続ける。




