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第24話 子どもたちの未来のために、敵を救う

「美味しい食事をいただきましたし、少しお話ししませんか?」


食事の席までが、私が口を挟める範囲。

それもギルガオンの一言があったからこそ、入れた場だった。


それ以上は、魔王の許可が必要だった。


仕事に関しては厳格な人だ。

だから少し不安になる。

果たして、私のために時間を割いてくれるだろうか。


「忙しくはあるが……そなたと茶を飲めぬ理由はない」


魔王はそう答えてくれた。


今回の食事をきっかけに、

私たちの間にあった数少ない心の壁が、ひとつ崩れた気がした。


嬉しかった。


この魔王城で、

私のように彼の時間を得られる者はいない。


魔王の時間を与えられる存在。

それが、魔王妃である私の特権だ。


すやすや。


いつの間にか、エリンは眠っていた。

私はベビーバスケットをそっと持ち上げ、テーブルの上に置く。


カチッ。ウィーン。


自動吸着パッドが飛び出し、テーブルに固定された。

完全固定ではないが、しばらく置いておくには十分だ。


その時、人間の侍女が赤みがかった茶を注いだ。


「ちょうど、あなたのお好きなローズベリーティーが入った」


魔王の言葉に、私は茶を見つめた。

体が冷えやすい私は、温かい茶を好んでいた。


緑茶とは対照的な赤い色合い。

ティーバッグの中には、赤みを帯びた薔薇の花弁のようなものが入っている。


ひと口含む。


舌先が少し痺れる。

麻痺するような感覚。


だが、その後に広がる風味は実に独特だった。


この花は人体を麻痺させる毒草。

ゆえに吸血鬼一族と一部の魔族しか飲めない茶だ。


ゆっくり味わい、私は魔王に尋ねた。


「先ほどの地下牢の話……詳しく聞きたいのです」


「地下牢?」


「いま、どのような者たちが囚われているのですか?」


魔王は訝しげな顔をしたが、やがて語り始めた。


内容は、私の知る“戦争捕虜”の概念とほぼ同じ。


違う点はひとつ。

“身代金”が支払われれば解放されること。


地下牢は、金が届くまでの待機場所だった。


(まるで中世の戦争ね……)


十字軍時代にも似た制度が存在した。


「それ以外は?」


「魔族の正当性を認めさせる自白書への署名も取っていますが、

騎士から成功した例はありません」


ギルガオンが補足した。

捕虜管理も彼の職務らしい。


「私がやります。権限をください」


「あなたが?」


魔王は私を見つめた。

なぜそこまで人間に関わるのか――そんな目だ。


だが、私には“機会”だった。


捕虜の騎士団員は高位貴族ばかり。

彼らを取り込めれば、今後の展開に大きく影響する。


魔王は考え、ギルガオンへ視線を向けた。


「どう思う?」


「他の者なら認めませんが……魔王妃様なら」


彼は権限を譲った。


「処分権も」


「無条件解放は認められぬ」


魔王が釘を刺す。


「もちろん。十分な対価はいただきます。

彼らからも――帝国皇帝からも」


「よかろう。ギルガオン、案内せよ」


――


エリンを乳母に預け、私たちは地下へ向かった。


「お考えを伺っても?」


廊下でギルガオンが尋ねる。


「最終目的は捕虜交換と捕虜保護協定の締結」


「人間が応じるとは思えません」


「だからこそ、まず“教育”が必要なのです」


彼は満足げに頷いた。


――その前に。


私は調理場へ寄った。


「残りの米は?」


大量に余っている。


「いいわね。まずは腹ごしらえからよ」


捕虜の食事は粗末だった。


(空腹の相手に交渉は通じない)


私は新たな料理の準備を命じた。


――


鼻を刺す臭いが、先にやって来た。


湿気。

錆びた鉄。

閉じ込められた人間たちの絶望。


地下へ降りるほど、空気は重く沈む。


「クルル……お越しになりましたか」


入口を守る魔族たちが、深々と頭を下げた。

豚の顔を持つ巨躯。

その手には、人の首など一振りで刎ねられそうな大斧。


光の届かぬ場所。

魔王城の“影”を担う者たち。


私は静かに彼らを見渡した。


ここは栄光の裏側。

勝者の足元に積み上がる敗北の層。


「顔を上げろ」


ギルガオンの低い声。


だが彼らはさらに深く伏した。


私は歩みを止めずに告げる。


「地下での務め、ご苦労だったな」


ざわり、と空気が揺れた。


「我らに……魔王妃様が?」

「労いの言葉を……?」


想定外だったのだろう。


私は視線だけを向けた。


「捕虜管理の方針は改める。

不必要な苦痛は与えるな。

——これは命令だ」


空気が凍る。


「はっ!!」


声が地を震わせる。


権威とは、姿ではなく“圧”で伝わるものだ。


ギルガオンが横目で私を見る。

探るような視線。


(今さら驚くことでもないでしょう)


私は前へ進んだ。


鉄扉が開く。


ギィィ……


軋みが長い通路を裂いた。


そして——


果てしなく並ぶ牢。


木格子の向こうにうずくまる影。

濁った瞳。

乾ききった喉。


入口付近の大部屋には兵士。

奥へ進むほど独房。


さらに奥。


ガチャン。


騎士たちの足枷が鳴る。

魔力封印具。


力ある者ほど、深い闇へ。


「彼がロガン伯爵です」


最奥の牢。


最も暗い場所。


そこに一人の男。


角張った顔。

整えられた顎髭。

痩せてなお消えぬ眼光。


私は格子の前に立った。


男が顔を上げる。


「……誰だ」


沈黙。


「ヴァンパイアか?」


正確な観察力。

戦場を生き抜いた男の目。


私は静かに名乗った。


「魔王妃エステル」


空気が一段、重くなる。


「あなたと私。

そして次の世代に利益をもたらす提案を持ってきた」


本来は丁寧に話すつもりだった。


だが——


自然と見下ろす声音になる。


王の伴侶。

支配者の席。


身体が“格”を覚えている。


「魔王妃?」

伯爵が鼻で笑う。

「所詮は魔族だ」


「無礼だ!」


ギルガオンの殺気。


私は手で制した。


「誤解が憎しみを育てる。

憎しみが戦を長引かせる」


伯爵の目が鋭くなる。


「いずれ勝つのは人間だ。

魔族は決して一枚岩になれん」


挑発。


私は即答しなかった。


代わりに、静かに問う。


「……あなたは“勝利”を見たことがある?」


「何?」


「部下を失い、領地を焼かれ、

それでも“勝った”と言える戦を」


沈黙。


「勝者にも墓は増える」


一歩、近づく。


「だが私は違う道を選ぶ」


ギルガオンが息を呑む。


「ギルガオン。私の許可なき私刑は禁止。

捕虜への暴力を禁ずる」


地下牢は静まり返った。


「最初の命令だ」


ロガンが私を見つめた。


「……意外だな」


私は視線を逸らさない。


「家族がいるだろう」


男の瞳が揺れる。


「私にもいる」


声を落とす。


「帰らなければ、残された者が壊れる」


牢内の空気が変わる。


「希望を捨てるな」


「生きて帰す」


伯爵が眉をひそめる。


「身代金が届けば解放だ」


「届いていない」


「……!」


牢がざわつく。


「嘘だ」

「なぜだ!」


私は冷静に告げる。


「帝国はあなた方を“切った”」


言葉が刺さる。


「だが——」


格子越しに見下ろす。


「私は駒を見捨てない」


政治家の声だった。


「身代金は来ていない。

それでも最大限の待遇を約束する」


伯爵が顎で床を示す。


黒パンと水。


「これが待遇か?」


「暫定だ」


私は言い切る。


「まず食事を変える」


「腹を満たせば思考が戻る。

思考が戻れば交渉が成立する」


「私は“敵”を“資産”に変える」


ギルガオンが息を呑んだ。


牢の奥で誰かが囁く。


「……この女、ただ者じゃない」


私は背を向けた。


「準備を始める」


足音が遠ざかる。


だが、声だけが残る。


***


その日。


地下牢の空気が変わった。


絶望の底に、

交渉という名の“火種”が落ちた。


やがてそれは——


戦争の形そのものを書き換えることになる。

第24話を読んでいただきありがとうございます。


魔王妃エステルが

“戦う以外の方法”を選び始めた回でした。


力でねじ伏せるのではなく、

敵を資産へと変えるという選択。


地下牢での一幕は、

これからの戦争の形そのものを揺るがす

小さな転換点になります。


エステルの政治と交渉は、

まだ始まったばかりです。


この先――

敵だったはずの者たちが、

思わぬ形で物語に関わっていきます。


続きが気になった方は、

ぜひブックマークで応援していただけると嬉しいです。


あなたの応援が、物語を前へ進める力になります。

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