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第21話 魔王の執務室にカレーを運んだら、修羅場になった

「お味見、お願いできますか?」


ルペオが遠慮がちに、もう一度私に尋ねてきた。


私はぎゅっと歯を食いしばる。


(どうしよう……)


倉庫には、もうカレー粉が残っていなかった。


間違えて持ってきたわけじゃない。

彼女たちは、私の指示通り倉庫にあった分をすべて持ってきていたのだ。


(賞味期限切れだったのかも。十分あり得るわ。いや、それとも……)


人間用の食材だったせいで、きちんと管理されなかったのかもしれない。

あるいは、城まで運び込まれる過程で劣化した可能性もある。


(……仕方ない)


残された道はひとつだけ。


本当のことを話して、

作った料理は廃棄する。


十人前以上は作ったのに。

あまりにも、もったいなかった。


私の短い料理チャレンジは、ここで終わり――


「私たちが味見してもよろしいでしょうか?」


私が鍋の前で黙り込んでいると、

副料理長ルペオが慎重に尋ねてきた。


「たぶん……美味しくないと思う。

変だったら、すぐ捨てるから。そんなに心配しないで」


私にも、そのくらいの常識はある。

いくら自分が作った料理でも、食べられないものを魔王に出すつもりはなかった。


私は手前の小皿にカレーを取り分け、彼女に渡した。


「では、失礼して……おお?」


「え?」


「本当に……すごいです」


「?」


「他の者たちも、味見してよろしいでしょうか?」


「いいわ」


私の許可が下りると、皆が一口ずつ味を確かめた。


「すごく美味しいです!」


その言葉に、私は思わず自分でももう一度カレーを味見した。


(……そう。これよ。この味! 私が思い描いていた味!)


最初に目指していた、あの味だった。


美味しいカレーの完成。


(どういうこと?

少し時間を置いた方が良かったってこと?)


理由は分からない。

けれど、とにかく私は知っている“カレーライス”を完成させることができた。


しかも、完璧なトッピング付きで。


「魔王様にお持ちする分を用意して。念のため、三人前ほど確保しておいて……」


残りは七人前。


私は期待に目を輝かせている女たちに向かって言った。


「作るの、大変だったでしょう。

残りはあなたたちで食べなさい」


少し恩着せがましい言い方になってしまったけれど、

彼女たちは一斉に感謝の言葉を口にした。


もちろん、私だって本当は食べたかった。


でも私は食べられない。


味見くらいなら平気でも、

それ以上口にすれば体に負担が出るかもしれなかった。


カレーを取り分ける女たちを眺めながら、

私は満足げな顔でエリンのベビーベッドへ向かった。


「エリン。ママ、料理すごく上手でしょ?

みんな、美味しいって言ってくれたのよ」


「にゃあははは」


エリンも賛成だと言うみたいに、手足をばたばたさせる。


あとは――

魔王の評価をもらうだけ!


魔王にとって初めて口にするカレーライス。

果たして、彼はどんな感想を言うだろう。


その時、料理長が部屋へ入ってきた。

彼はルペオに進捗を確認する。


「本当に最高です」


「最高?」


「あなたも味を見てください」


私がそう促すと、料理長は慎重にカレーライスを口に運んだ。


「どうしてこんな味に……!」


彼は心の底から感嘆したような表情になる。


米とカレー、それにたっぷりの野菜とトッピング。

それらが見事に調和し、完璧な味を作り出していた。


「この粉は、このように使うものだったのですね。

まったく知りませんでした。以前の料理長たちも気に留めず放置していたものですから……」


「いったい、どこでこのレシピを学ばれたのです?」


血を飲む魔王妃が、なぜこんな料理を知っているのか。

そんな疑問が顔に浮かんでいた。


私は適当にごまかす。


魔王妃の便利なところ。

いちいち部下に説明する必要がないことだ。


「偶然、人間の料理法を学ぶ機会があったの。

それを、彼らよりずっと美味しく仕上げただけよ」


「お見事です。今後、魔王城の最高級珍味になるでしょう。

このカレー粉も継続して仕入れさせます」


「これは、どこから仕入れているの?」


純粋に気になった。

いったい誰が、どこから手に入れているのか。


「食材担当官が別におります」


その重要性ゆえ、補給長より階級は一つ下ながら、

独自の権限を持つ食材担当官がいるという。


会社で言うなら、

~長が部長級で、~官が課長級といったところだろうか。


「分かった。その者に、明日中に私のところへ来るよう伝えて。

それからあなたは、今すぐこれを魔王様のもとへ運びなさい」


今は、とにかく魔王に味わってもらうのが先だった。


「かしこまりました」


「量はたっぷり用意してあるわ」


「助かります。ちょうど二人前必要でしたので」


「二人前?」


「執務室に、もう一人おります。最近、魔王様の目に留まって昇進した者です」


名もない辺境一族の出だが、

戦場で魔王の目に留まった魔族だという。


「誰なの?」


「第三軍団長ギルガオンです」


「ふうん……」


私の頭が高速で回転する。


もしかして、あれ?

勇者一行が魔王城の入口へ入った時に戦った魔族じゃない?


人間を見下すような口調で現れた、門番役の中ボス。


最初の一撃で倒されるポジションだったけれど、

門番というのは誰でもできる役じゃない。


それなりに魔王から信頼されていなければ務まらない。


その時、料理長がカートを押して動き始めた。


「私も行く」


執務室の外で、魔王の反応を少し聞いてみたかった。


「エリンも一緒に行こうね。

パパに会いたいでしょ?」


私の言葉に、エリンが体を揺らす。

行きたい、という意味だった。


私は前と同じようにエリンをベビーバスケットへ入れ、前抱きにする。

すると自動でベルトが締まり、背と腰に固定された。


抱っこ紐、完成!


「案内しなさい」


料理長が料理を載せたカートを押し、

私はその後をついて魔王の執務室へ向かった。


「エリン。パパの執務室の前では静かにしようね。分かる? しーっ」


私は“見つからないようにしよう”という顔で、エリンに囁いた。


不思議なことに、エリンはちゃんと理解しているようだった。

執務室の近くまで来ると、きゅっと口を結んだような顔になる。


ママと息子の完璧なコンビ!


◆◆◆


「処理をお願いいたします」


紫色の髪をした男が、魔王へ書類の束を差し出した。

魔王は素早く目を通し、自らの署名を書き込む。


彼こそ第三軍団長ギルガオン。


戦場で実力を認められ、魔王の配下に入った者だ。

そして今は、魔王の秘書官のような役割を担っていた。


「休戦になると、今度は執務室での戦いですね」


「仕方あるまい。今でなければ片づけられぬ仕事も多い」


「こちらはトライオット一族からの要請です」


「要請ではなく、要求だな」


魔王の表情が険しくなる。


ただ支配者として君臨するだけが魔王ではない。

一族同士の争いも、間に立って裁かなければならない。


「水の使用に関する問題は、いつも厄介だ。

上流と下流で立場が違いすぎる」


「……仕方ない。ギルガオン、お前が行け」


「戦場から戻ってどれほど経ったと思ってるんですか。

そんなに私を酷使なさるんです?」


「それがお前の仕事だ」


魔王の命を受け、中裁役を担うこと。

それがギルガオンの得意分野だった。


「承知しました。まずは彼らの送ってきた書類を読んで、

それぞれの立場を把握しておきます」


「丁寧によく読め」


「かしこまりました」


ギルガオンは書類へ目を落とし、

しばらくしてそれを閉じると肩をすくめた。


「本当に頭が痛いですね。

双方、一歩も譲る気がない。水に関する争いは、いつだってこうです」


その時、彼が時計をちらりと見た。


「こういう時こそ、美味いものを食べて気分を変えた方が、解決策も浮かびそうですね」


そろそろ昼食が届く時間だった。


「今日のメニューは何でしょうね?」


「料理長がうまく見繕っただろう」


「魔王様と仕事をしていて良い点は、いつも美味しいものが食べられることです」


魔王が美食家であることは、配下の間にも広く知られていた。


その時、扉がノックされた。


料理長が食事を運んできたのだ。


「ふむ。初めて嗅ぐ香りですね。いったい何でしょう」


魔王が首を傾げる。


濃厚なカレーの香りが、執務室に満ち始めていた。


「……あれ? この香りは……」


「どうした?」


ギルガオンの表情が硬くなる。


「人間ども……あいつらが食べていた料理の香りです。

独特すぎて、忘れられません」


人間に近い姿をした魔族も多い。

ギルガオンもまたその一人で、スパイとして動くこともあった。


そしてカレーは、人間たちの食堂や酒場に必ずある料理だった。

だから彼は、その香りを知っていたのだ。


そこへ料理長が扉を開けて入ってくる。


彼は笑顔で言った。


「魔王様。本日の料理は……ひっ」


ギルガオンの険しい表情に、料理長は一瞬で青ざめた。


「なぜ人間どもの食べる料理を、魔王様の食事として持ってきた?

人間の食べ物など、捕虜か、ここで働く人間に食わせるものではなかったのか?」


その言葉に、料理長は口をぱくぱくさせる。


確かに、そういう慣習はあった。

だが料理とは、そう単純に切り分けられるものではない。


長い時間の中で、

人間界から来た食材は多く受け入れられていた。


そこまで言うなら、

他の料理だって人間界由来の食材をかなり使っているのだから、全部食べられないはずだ。


「美味しい料理なのです。どうか一度、お試しいただければ……」


料理長が困ったように言う。


「魔王様が人間の料理など口にされるとでも思っているのか!」


敵の料理を食べろと言うなど、あり得ない。

そんな顔だった。


「お前が作ったのか!」


「そ、それは……違います」


ギルガオンの鋭い追及に、料理長は顔を真っ青にしながら、

自分が作ったのではないと白状した。


「こんな料理を魔王様の食事に出すとは。

いったい誰が作った! 作った者を今すぐここへ連れてこい!」


絶対に許さない、という口調だった。


ドンッ!!


その瞬間、乱暴に扉が開いた。


魔王妃エステルだった。


冷たい気配が、一気に部屋中へ広がる。


第三軍団長ギルガオンは、思わず身を強張らせた。


「その料理を作った者なら、ここにいる」


エステルの声が響き渡る。


そしてその瞬間。


エステルに抱かれていたエリンが――


“僕も!”


と言わんばかりに、手足をばたばたさせた。

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