第20話 魔王に捧げるカレー――息子の奇跡
「お越しでしたか」
料理長以下、厨房の者たちが一列に並び、私を迎えた。
今日は料理をする日だから、
エリンもベビーベッドに寝かせたまま連れてきている。
ガーディアンたちは厨房の外で待機中だ。
料理長の隣には、やや青ざめた顔の女が一人。
副料理長だろうか。
(魔族だ)
最初の頃は、頭に角でも生えていない限り、人間と魔族の区別は難しかった。
でも今の私は違う。
見慣れてくると、
人間に似た姿の魔族でも、なんとなく分かるようになっていた。
「こちらが補助を担当する人間の娘たちです」
魔族の女が手を挙げ、五人の女たちを紹介した。
「補給の件、ありがとうございました。
おかげで厨房の者たちが、十分な装備で働けるようになりました」
こういう中間管理職たちにとっては、
部下が人間だろうと魔族だろうと、はたまた魔物だろうと関係ない。
結果さえ出せればいい。
そして良い結果を出すには、
厨房に属する者たちが最良の状態で働けるよう支える必要がある。
けれど最近は、マハトラのせいでそこが狂っていた。
それを私が是正したのだ。
感謝されて当然だった。
(そういえば……)
(マハトラ、抗議しに来るかと思ったのに、来なかったわね)
私は彼の方針をひっくり返した。
もちろん、仮に来たところで考えを改める気はなかったけれど。
前みたいに、一度しっかり釘を刺してやるだけだ。
「魔王様のお食事ですので、部屋を分けて準備してあります」
案内されたのは、程よい広さの副厨房だった。
風通しも良く、
ガスコンロに似た器具や、さまざまな調理道具も揃っている。
「よくやった」
それは正しい判断だった。
私が大厨房の真ん中にいたら、
あちらも落ち着かないだろうし、私も気を使う。
だから、お互い見えない場所の方がいい。
料理長は、必要なものがあれば何でも副料理長ルペオに言ってくれと告げた。
彼自身はメイン厨房で通常の料理を作り、
ルペオと人間の補助の女たちが、この副厨房で私につくという。
「ルペオが人間たちを使って、魔王妃様の望む料理を作ります」
そう言いながら、彼は奥の椅子を指差した。
そこに座っていろ、という意味だ。
(……それ、“必要なものがあれば言え”の範囲、超えてるでしょ)
それじゃ私が作るんじゃない。
ルペオと人間たちが作るだけだ。
私は椅子に座って、
指と口で指示を出すだけ。
昨日あれだけ言ったのに、
料理長は、私が自分で包丁を握り、火を扱うとはまるで思っていないらしい。
まあ、いい。
彼らがどう思おうと関係ない。
私は、私にできることをやるだけだ。
「分かった」
そう答えた私は、ひとまず用意された椅子に腰を下ろした。
それを見た料理長は、ようやく安心したような顔を浮かべ、
深々と頭を下げて出ていく。
これで副厨房には、
私とベビーベッドのエリン、
それから魔族の女と人間の補助たちだけが残った。
「指示を出すわ」
「準備はできております。必要なものがあれば何なりと。
どの食材からお出ししましょう?」
「その前に聞くわ」
私はルペオを見た。
「魔王様は、どういう料理を好むの? 種類ごとに言って。
それをできるだけ参考にするつもりよ」
私は、自分が得意な料理を無理やり作って、
それを食べさせようと思っているわけではなかった。
一番大切なのは、
“過去問の分析”だ。
魔王の好みが分かれば、
それを一次資料にして、最終的に作る料理を絞り込める。
「あるいは質問を変えましょうか。
魔王様が食べられない料理はある?
そういう情報も踏まえて、私なりの料理を作りたいの」
私の質問が予想外だったのか、
ルペオは少し考え込むような顔をした。
たぶん、私が勢いだけで料理するとでも思っていたのだろう。
「それなら、私がよく存じております」
彼女はぱっと顔を明るくした。
本当に良かった、という表情だ。
――ものすごく怖くて話が通じない方だと聞いていたけれど、そうじゃないのね。
そんなふうに思っているのが透けて見えた。
ルペオは、魔王が好む料理、よく召し上がる料理を説明してくれた。
(なるほど……)
(肉が好き。特に雉料理のようなものが好み。
魚はそこまででもない。
タコやそういうものはあまり食べないのね)
(もったいない。あれ、美味しいのに)
(まあ、それは今度にしよう)
(ふむ……)
だいたいの傾向は掴めた。
美食家とはいえ、
極端な偏食というわけでもない。
ある意味、平凡な舌とも言えた。
でもそれが厄介なのだ。
平凡だけど、“ちゃんと美味しくなければならない”。
それは案外、難しいミッションだった。
「よし。いいわ」
幸い、私が考えていた候補のいくつかと噛み合った。
あとは必要な材料だけ。
この城はまさに、食材の万物商だった。
市場の倉庫どころの騒ぎじゃない。
何百、何千という材料があり、
その中には一度も使われず、ただ捨てられていくものさえある。
でも、それは彼らが使い方を知らないだけ。
私の手にかかれば、立派な食材になる。
「昨日見た倉庫の番号と、イニシャルと数字を書けば、該当の食材を取ってこられるわね?」
「そうですが……」
――まさか昨日一度見ただけで、覚えておいでなのですか?
そんな顔で、ルペオが私を見つめる。
私は何でもないことのようにメモを差し出した。
すると彼女は驚いた表情のまま、人間の補助たちを連れて倉庫へ向かっていった。
しばらくすれば、
私が指定した材料が届くだろう。
(記憶力、すごく良くなってる)
信じられないけれど、本当に全部覚えていた。
不思議なくらい、頭の中にすっと入ったのだ。
少し手が空いたので、
私はエリンのベッドへ行き、その頭をそっと撫でた。
「エリンを産んでから、ママ、すごく頭が良くなった気がする」
魔法を使うには知性が必要。
ラグランジュオンラインEXで、魔法使い属性は“知能系キャラ”とも呼ばれていた。
今の私は、まさにそんな感じだった。
その時、扉が開き、
女たちが私の指示した材料を箱に入れて持ってきた。
「ですが……これで一体、何を……」
材料を見たルペオが、少し緊張した顔をした。
何を作ろうとしているのか、まるで想像できないのだろう。
「ほとんどが、一度も使われたことのない材料です」
あくまで品揃えのために、少量だけ厨房へ入れられたものらしい。
「それに……アトランティス島の在来植物ではないものも、かなり混じっています」
この島がここに現れてから数十年。
大陸の植物も大量に流れ込んだ。
人間の侵略は皮肉にも、人間界の植物まで連れてきたのだ。
「いつも同じものばかり食べていたら飽きるでしょう?
これからは新しいものも食べていかないと。
もちろん、基本は魔王様の好みに寄せるけど」
私は安心させるようにそう言った。
そして考えを変えた。
単純作業は、彼女たちに任せた方が圧倒的に早い。
考えてみれば、この厨房には魔法で補助してくれる器具がたくさんある。
でも――私は使い方を知らない。
さっき、ガスコンロみたいな道具をどうにか点けようとしてみたけど、動かせなかったのだ。
そもそも“料理”をしたことのない今の私は、
その知識を前世の記憶から引っ張るしかない。
なら最初は、
彼女たちのやり方を見て覚えればいい。
今の私の頭なら、それができる気がした。
「では、まず何をすれば?」
「まずは……これを洗って」
私は彼女たちが運んできた“米”を見た。
驚いたことに、
ここには私が食べ慣れていたジャポニカ米があった。
ゲームの中で白米を食べる場面があったから、
ちゃんと実装されているのだろう。
日本のゲームらしく、
登場する食材もどこか和風のものが多い。
私は彼女たちに米の研ぎ方を教え、
人参やじゃがいもの皮を丁寧に剥くよう指示した。
豚肉はよく使われる食材らしく、
すでに薄切りで保存されていた。
これは後で軽く手を入れるだけでいい。
そして――最後の肝心要。
「こ、これは一体……?」
「私も、こんな材料があるとは初めて知りました」
倉庫の奥の、さらにその隅に追いやられていた材料。
「これは“カレー”っていうの」
「そういう名前だったのですか?」
「期待してて。香りは独特だけど、味はいいはずよ」
ゲームの中で立ち寄る店のメニューに、カレーがあった。
しかも、その材料がこの魔王城にも運び込まれていた。
「魔王様は、人参のようなものはあまり召し上がらないので……」
ルペオは、よりによってそれを入れるのか、という顔をした。
「栄養は偏らせちゃダメ。
それに、たとえ食べなくても、カレーに人参や野菜が入ってないと味が締まらないの」
本当を言えば、私もカレーの人参はそこまで好きじゃなかった。
でも、入っていないと妙に物足りない。
だから、きのこ、玉ねぎ、じゃがいもと一緒に、人参も入れる。
日本風カレーライスを作る準備は、これで整った。
食材倉庫から持ってきた玉ねぎ、ブロッコリー、人参、きのこ。
それにバター、牛乳、生クリーム、油。
さらにトッピング用の大海老、ソーセージ、ハムまで揃っている。
これらと、私が見つけたカレー粉を合わせれば、最強のカレーライスが完成する。
不思議だった。
私は作っても食べられないのに、
考えるだけでよだれが出そうになる。
ほんの一瞬だけれど、
人間に戻りたいと思ってしまった。
この姿のまま人間に変われたなら、
美味しいカレーも食べられるし、日差しも自由に浴びられるのに。
その時、みんなが私の顔色を窺っているのに気づいた。
まだ作業開始の指示が出ていないからだ。
「始めなさい」
その一言で、厨房の女たちが一斉に動き出す。
やっぱりプロは違う。
包丁さばきも、下ごしらえの速さも、とにかく見事だった。
「オリーブオイルは少しだけ。火は弱めに」
玉ねぎ担当の女に注意を飛ばす。
彼女は正確に従った。
「次、水を用意して」
きれいな水が運ばれてくる。
計量カップで正確に量る。
「煮るおつもりですか?」
横にいた副料理長ルペオが尋ねる。
「いいえ。これは煮るんじゃなくて、材料にほどよく火を入れるの」
ルペオは目を輝かせながら、私の言葉をひとつひとつ書き留めていた。
――レシピだ。
「生クリームと牛乳を入れて」
加えた瞬間、
本格的に野菜へ火が入っていく。
しばらくして、私は火を止めさせ、
少し置いてから全体を撹拌させた。
(うーん……まだみんな半信半疑ね)
でも、美味しいカレーライスができたら考えも変わるはず。
ここからが本番だ。
倉庫で見つけたカレー粉を入れ、
生クリーム、牛乳と合わせて、極上のカレーにしていく。
これは私が自分でやった。
(でもこれ、一体どこから来たのかしら)
カレー粉を混ぜながら、私は考える。
大規模なカレー製造工場なんて見た記憶がないのに、
どうしてこんな都合よくカレー粉が存在してるの?
もちろん、私が知らないだけで実はあるのかもしれない。
でも、そうだとしても、大陸中の酒場や食堂にどうやって安定供給してるのか。
プレイヤーが立ち寄るどの店にも、
当たり前みたいにカレー料理があった。
現実的に考えたら、おかしな話だ。
でも――ここはゲームの中の世界。
ゲーム上では、
カレーは大陸中の店で気軽に出される料理のひとつだった。
そのカレー粉がどこから来たのかなんて、
どこにも説明はなかった。
私を含め、プレイヤーの誰も興味を持たなかったし。
でも今なら分かる。
たぶん開発者の誰かが、よほどカレー好きだったのだ。
だから、イースターエッグみたいにゲームのあちこちへカレーを仕込んだ。
「……おっ、いい感じ」
ちゃんとしたカレーの香りが立ち上ってきた。
じゃあ次はトッピング。
どこまで進んだ?
目を向けると、
向こうではソーセージをこんがり焼いている。
その隣では海老がきれいに揚がっていた。
ソーセージも海老も、
どちらもカレーの上に乗せるトッピングだ。
私はピザにも、トッピングをたっぷり乗せるのが好きだった。
だから注文する時も、
追加料金を払って海老やチーズを増量していた。
カレーライスも同じ。
いろんなトッピングを入れて、
これ一皿で完璧な食事にする。
それが私の料理だ。
口の中に、自然と唾が溜まるような気がした。
「わあ……」
「なんだか、すごく良さそう……」
後ろで、調理員の女たちがひそひそ話している。
ふふふ。
私は思わず口元を緩めた。
早く魔王に、この美味しいカレーを食べさせたい。
まだ昼には少し早い。
でも問題ない。
魔法の力は素晴らしい。
この厨房には、最大一時間、出来立ての状態で料理を保てる器具がある。
今作っても、一時間以内に魔王へ届ければ、
出来上がった時と同じ熱々のまま出せるということだ。
冷めたピザが大嫌いだった私にとって、
夢のような器具だった。
(……これで完成かな?)
カレーは出来た。
あとはこれをライスにかけて、
トッピングを乗せるだけ。
楽すぎる。
本来ならかなり手間のかかる料理なのに、
こんなに簡単に作れるなんて。
私の特製カレーライスは、
絶対に魔王の口に合うはず。
――さて、少し味を見てみよう。
今は魔族になったけど、
味覚の記憶そのものは残っている。
人間だった頃みたいに、ご飯と一緒に食べることはできなくても、
カレーを少し味見するくらいなら問題ないだろう。
私はスプーンでカレーを少しすくい、
完成品を確認した。
見た目は完璧。
香りも申し分ない。
なのに。
「ぶっ――!」
私は一口舐めた瞬間、
持っていたハンカチにそれを吐き出した。
なに、これ!?
香りはちゃんとカレーなのに、
味は……言葉にできないくらいおかしい。
私が今口にしたのは、一体何?
説明不能の味。
これは絶対にカレーじゃない。
ヴァンパイアだから?
いや、違う気がする。
ヴァンパイアでも飲める液体――たとえば牛乳は、
前に少しだけ試したことがある。
その時の味は、私の知っている牛乳とほとんど変わらなかった。
つまり、今の私でも摂取できるものは、
人間だった頃と味が大きく違うわけではない。
じゃあ何が問題なの?
振り向くと、
女たちが心配そうにこちらを見ていた。
私の反応に驚いたのだろう。
私は彼女たちを安心させるように、適当に取り繕った。
「やはり私の舌では、普通の食べ物の味見は難しいみたいね」
彼女たちは、“ヴァンパイアだから味が分からないのだ”と納得したらしく、
少しだけ表情を緩めた。
「魔王妃様。それでは、私たちが味見を――」
それは困る。
今ここで彼女たちに食べさせるわけにはいかなかった。
私の面目に関わる。
私はカレーの鍋に蓋をしながら言った。
「入れるべき香辛料をひとつ入れ忘れたみたい。
あなたたちのせいじゃないわ。私が言わなかっただけ」
とりあえず、食材倉庫へ行って原因を確かめる必要がある。
(もしかして……カレー粉の方に問題がある?)
考えてみれば、その可能性は高い。
人間の食材とはいえ、
厨房なら一応いろいろ試したはずだ。
それでも忘れられ、放置されていたということは――
あまりにも味が酷くて、そのまま捨て置かれた可能性が高い。
(あるいは保存状態が悪くて、風味が変わってしまったとか)
重要な食材なら丁寧に管理される。
でもこれは、重要視されずに隅へ追いやられていたのかもしれない。
可能性はいくらでもある。
とにかく、状況は深刻だった。
私はみんなにしばらく外へ出るよう言い、
エリンにだけ本音を漏らした。
「なんかカレーが変な味なんだけど……なんでか分からない。
ママ、泣きそう」
誰にも相談できない。
こうして口に出すだけでも、少しは楽になる気がした。
「ちょっと倉庫へ行ってくるね。
本当に大事なことだから。静かに待っててね」
カチリ。
“固定”のボタンを押すと、ベビーベッドが床に固定された。
私の魔力を登録してあるので、
私以外には誰も動かせない。
ほどなくして、ベッドの上に青いシールドが展開された。
エリンの安全を確認すると、
私は外の者たちを連れて倉庫へ向かった。
◆◆◆
静まり返った副厨房。
椅子のそばに、ベビーベッドだけがぽつんと残されていた。
パチッ――
ベビーベッドのシールドは、本来なら外からは絶対に侵入できない。
けれど内側から溢れ出す力には、あっけなく砕け散った。
もしかすると、その内側の力が
ベッドの耐久限界を超えていたのかもしれない。
ベッドを覆っていたシールドが消えた。
しばらくして、小さな指先がちょこんと外へ出る。
ウィィン……
その指先の間に、小さな竜巻が生まれ始めた。
第三位階高位魔法。
《リカバリー》。
傷ついたすべてを再構成し、
癒やすための最上級術式。
渦巻く風。
それが、カレー鍋と残っていたカレー粉へ向かった。
パァッ――!
一度、眩い光が弾ける。
そして、すべては何事もなかったように元へ戻った。
しばらくして、エリンの指は再びベッドの中へ引っ込み、
シールドもまた元通りに張り直された.




