第18話 吸血妃、厨房に立つ――城に潜む歪み
「魔王様は……かなりの美食家でいらっしゃいます」
料理長はぎゅっと目を閉じ、意を決したように言った。
(ああ、魔王が美食家……なるほど……うん?)
小さく頷きかけた、その瞬間。
喉に何かが引っかかったような違和感が走る。
私は料理長をじっと見つめた。
――今、私を軽く見た?
私の料理の腕を疑っているの?
「魔王妃様はヴァンパイア一族……。
失礼ながら、これまで“食事”を作られたことはないかと……」
料理長は私の表情を窺いながら、言葉を濁した。
それ以上踏み込めば危険だと、本能で察しているようだった。
ヴァンパイアは、島の魔族の中でも特異な食性を持つ一族。
この厨房でも、私の食事は作られない。
そもそも“私の食事”は、ここでは作れないのだから。
――そんな種族が料理?
あり得ない。
彼の中には、そんな固定観念が深く根付いていた。
それはまるで――
耳の聞こえない者が交響曲を作ると言い出すようなもの。
感情を理解できない者が小説を書くと言うようなもの。
私が黙っていると、料理長は慎重に続けた。
「魔王様は、お口に合わぬ料理は召し上がりません……」
最初の一口で判断し、
合わなければそのまま下げられるらしい。
処罰はない。
だが、料理を任された者にとっては極限の緊張だ。
(へえ……見た目と違うのね)
出された物は何でも食べる人かと思っていた。
違う。
完璧でなければ口にしない男。
それが魔王だった。
「事前に魔王様の許可を頂ければ問題はないかと……」
「いいえ」
私は首を横に振った。
それじゃ意味がない。
これは――
厨房の外で私とエリンを待っているあの人への、サプライズなのだから。
「私が作ったことは伏せて。
そのまま魔王様へお出しなさい」
食事を運ぶのは料理長本人。
だからこそ、強く念を押した。
「し、しかし……その……」
料理長の思考が混乱しているのが見て取れた。
今まで“味が合わない”ことで罰された者はいない。
だがそれは、少なくとも“口にできる料理”だったからだ。
だが――
血を糧とする王妃が料理?
そんな話、聞いたことがない。
最悪の場合。
一口で激怒した魔王の手により、
自分の首が飛ぶかもしれない。
「到着時間は侍女に知らせるわ」
魔王妃で良かったと思える数少ない点。
城内のことに逐一許可はいらない。
事前連絡だけでも十分な配慮だ。
「……承知いたしました」
料理長は、ようやく話が終わったと思ったらしい。
でも違う。
本当に聞きたいことは、別にあった。
油断した瞬間こそ、本音は出る。
「作業している女性たち。
手袋をしていない者がいたけれど、どういうこと?」
最初は全員着用していると思った。
だが奥へ進むほど、素手の者が目立った。
私は食材だけを見ていたわけじゃない。
働く者の顔色、装備、環境。
すべて確認している。
私は魔王妃。
同時に、この城の管理者でもある。
「……補給係が交代し、
現在、人間への物資支給が保留されています」
「保留?」
「何度も要請しましたが、
“人間に渡す手袋はない”と……」
城の備品は高性能だ。
特製革手袋は軽く、丈夫で、通気性も抜群。
それを――止めている?
「補給係を替えたのは誰?」
声が低く沈む。
エリンも異変を察したのか、私を見上げた。
「新任の執事が、多くの管理職を交代させました」
……マハトラ。
料理長は魔王直属ゆえ無事。
だが他部署は彼の人事だという。
「私は可能な限り配慮していますが……
執事殿は人間の扱いについて、考えが異なるようで」
聞けば。
マハトラ就任後、
城内の人間の待遇は悪化していた。
前任の執事は目立たぬ男だったが、
慣例を守り、人間も魔族同様に扱っていた。
だがマハトラは違う。
「今すぐ補給係へ。私の命令と伝えなさい。
厨房の女性全員分の手袋を支給させること」
「他に不便があれば、直接私へ」
「使用人の待遇は従来通り。
魔族に準ずる扱いとする――エステルの名で命じる」
料理長の顔が明るくなった。
「執事には……」
「マハトラには私から言う」
指示を終え、厨房を後にする。
奥から歓声が聞こえた。
「思わぬところで“グッドコップ”ね、エリン」
悪役と善役。
結果的に私は信頼を得た。
その時だった。
廊下の向こうに光が見える。
正門ではない。
裏口のひとつだろう。
(魔王、ついてきてる)
視線が刺さる。
私が日光の下へ出るのが心配なのだ。
(大丈夫。日傘もある)
だが。
近づくほど、妙な感覚が広がっていく。
今は一日の中で最も日差しが強い時間。
かつては好きだった陽光。
だが今は違う。
深淵へ沈むような感覚。
扉の境界線。
あと一歩で屋外。
私は日傘を開き、立ち止まった。
足枷をはめられたように動けない。
(戻る?)
でも――
エリンに外を見せると約束した。
母の言葉は、守らなきゃ。
私は決意し、足を踏み出した。
――運命の境界線を越えるように。




