第12話 魔王がエステルとの結婚を決めた理由
声をかけようとした。
だが――
彼女は一瞬で姿を消してしまった。
その時はまだ知らなかった。
彼女がヴァンパイア一族を率いる族長の娘だということを。
それを知ったのは後になってからだ。
族長との面会の席で――
族長の隣に立つ彼女を目にした、その時だった。
◆◆◆
翌日。
十二座会議体との交渉が始まった。
十二座会議体。
それはヴァンパイア一族の重要事項を決定する最高評議会である。
現在、族長は体調不良により欠席していた。
だが、彼らの決定はそのままヴァンパイア一族の総意となる。
代表性は十分だった。
カルセウスは、十二座との交渉に臨んだ。
議題は一つ。
――魔王の選出。
しかし交渉は難航した。
カルセウスは言う。
「魔族が力を合わせ、人間と戦うべきです」
だが彼らは、ほとんど関心を示さなかった。
「せっかく遠路はるばる来たのだ」
「ゆっくり休んで帰るといい」
それだけだった。
つまり――
退去勧告。
事実上の交渉決裂を意味していた。
その時だった。
カルセウスは静かに口を開く。
「もし、あなた方が私を支持してくださるなら」
「それに見合う対価をお支払いします」
その一言で――
ようやく彼らの空気が変わった。
「見合う対価だと?」
「我らの支持があれば、あなたは正統性を得る」
「相応の報酬でなければならぬ」
「つまらぬ冗談なら聞かぬぞ」
彼らは千年以上を生きるエンシェント・ヴァンパイア。
放たれる威圧感は凄まじい。
だがカルセウスは、一歩も退かなかった。
必ず、この言葉を告げねばならなかったからだ。
「族長の娘、エステル」
「彼女を魔王妃として迎えます」
会議室が静まり返る。
カルセウスは続けた。
「この条件であれば」
「あなた方も納得できるのでは?」
「!」
「なに……?」
十二座も。
カルセウスの部下たちも。
その場の全員が息を呑んだ。
ヴァンパイア一族を魔王妃に迎える。
それはつまり――
「魔王家の血統は永遠に一つ」
という原則を破る行為だった。
「本気か?」
「あなた方の伝統はどうする」
カルセウスは静かに答える。
「人間との戦争に敗れれば」
「魔王家の伝統など意味を持ちません」
「それほど状況は深刻なのです」
十二座がざわめく。
「本気なのか?」
「魔王妃の座を我々に?」
「体面は保てるが……」
「しかし族長の娘は純血だ」
「そこが問題だな」
しばらく協議が続いたのち――
彼らは告げた。
「会議を開く」
「少し待ってもらおう」
交渉は一時中断となった。
十二座が退席すると――
カルセウスの部下たちが一斉に声を上げた。
「そのような約束をして大丈夫なのですか!」
「一族最高会議が大騒ぎになります!」
「支援が必要とはいえ、あまりに大きな譲歩です!」
魔王妃の座を他一族へ譲る。
ケルベス一族にとって、それは前代未聞だった。
「最高会議を説得できるのですか?」
問題は二つ。
ヴァンパイア側がエステルを差し出すか。
そして――
ケルベス最高会議が結婚を承認するか。
状況は極めて厳しかった。
カルセウスは言う。
「何があっても説得する」
「ヴァンパイアの支持がなければ」
「アトランティス全土を束ねる魔王にはなれない」
「事情を説明すれば、理解は得られるはずだ」
それでも部下は不安を隠せない。
「ですが……」
「本当に大丈夫なのですか」
「政略結婚なのですよ?」
さらに続ける。
「エステルという女性」
「かなり気難しい性格だと聞いております」
「一族内でも扱いに困っているとか」
「魔王妃として相応しいとは……」
悪評ばかりが並ぶ。
「それに……」
「もし魔王妃として来れば」
「ケルベス一族から強い反発を受けるでしょう」
高山で孤独に生きてきた彼女。
耐えられる保証はない。
「もし心を病めば」
「政略結婚は失敗です」
部下たちは懇願した。
「どうか再考を」
カルセウスは静かに目を閉じた。
昨日見た。
エステルの瞳。
空虚な闇。
それは――
かつて自分が抱えていた闇に酷似していた。
心の傷。
感情が枯れた者の目。
カルセウスは成長と共に、その闇を乗り越えた。
だが彼女は――
まだ抜け出せていない。
もし。
あのまま高山に閉じ込められ続ければ。
自分も、同じ姿になっていたかもしれない。
雪だけの森。
温もりのない世界。
このままでは――
彼女はさらに深い闇へ沈む。
そう悟った瞬間。
彼は決断した。
――彼女をあそこに残してはならない。
カルセウスは告げる。
「エステルが私のもとへ来るなら」
「その時から」
「私が彼女を守る」
「守る……?」
「まず魔王城の人員を」
「人間の女性へ入れ替える」
「人間を?」
ケルベス一族の女性なら。
エステルを拒絶する可能性が高い。
だが人間なら違う。
部下は動揺した。
「魔王城は魔族の象徴です!」
「そこに人間を?」
「必ず批判が出ます!」
カルセウスは断言した。
「構わない」
「彼女への非難は」
「すべて私が受け止める」
その時。
十二座が戻ってきた。
部下が囁く。
「この提案を断る理由はない」
「成功間違いなしです」
だが――
予想は外れた。
「提案には感謝する」
「だがエステルは純血」
「他種族との婚姻は認められない」
交渉は――
決裂した。
◆◆◆
その夜。
宿で作戦会議が開かれた。
「手詰まりだ」
「本当に頑固だ」
「支持がなければ魔王になれないのに」
その時。
一人の男が姿を現した。
「マハトラと申します」
「ライカン・スロープ第七長老です」
マハトラは言う。
「魔王様」
カルセウスは彼を見た。
丸眼鏡。
細身の金髪。
人間のような装い。
「人間の真似か」
「眼鏡まで」
マハトラは微笑んだ。
「人間は好みませんが」
「文化は悪くない」
「我々は革新を好む一族です」
カルセウスは眉をひそめる。
ライカン・スロープ。
魔族社会で忌避される一族。
「用件は」
「魔王様と二人でお話を」
カルセウスは頷いた。
「なぜここに来た」
「彼らと平和協定を結ぶためです」
「平和協定だと?」
「人間が南部海岸まで迫っている」
「もはや限界です」
「魔族の力を示すべき時」
そして続ける。
「興味深い話を耳にしました」
エステルとの婚姻の件だった。
「何が言いたい」
「我々が協力しましょう」
「あなたがヴァンパイアの支持を得るために」
「そして婚姻も」
カルセウスは目を細める。
「どうやって」
「彼らが条件を受け入れるなら」
「我々は平和協定で大幅な譲歩を行う」
そして断言した。
「ヴァンパイアは必ず応じる」
「あなたはエステルと結婚できる」
交渉は――
二者から。
三者へと変わった。
カルセウスは問う。
「代償は」
マハトラは微笑む。
「ささやかな願いです」
「魔王の子供たちを」
「近くで見守りたい」
「例えば――」
「魔王城の執事として」
カルセウスは告げた。
「裏切れば」
「殺す」
「無論です」
二人は手を掲げた。
魔界の紋章が浮かび上がる。
そして同時に叫ぶ。
「契約成立!」
光が弾けた。
――契約は成立した。




