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第9話 乳母を「処分」?――魔王城の常識に私は怒った

エリンに会いに行く途中。


私はさっぱりと体を洗い、新しい服に着替えた。


爽やかなワンピース。

明るい花柄で、思ったよりずっと可愛い。


(……サイズ、ぴったり)


まるで事前に採寸していたみたいに、私の体に吸い付くように合っている。


鏡の前で、くるりと一回転。


初夏の空気をそのまま縫い込んだみたいな服だった。


(魔王城に、こんなデザインができる魔族がいるの?)


内装だけ見れば、静まり返っていて無骨そのものなのに。


すると侍女が答えた。


「奴隷商から買い取った女性の中で、才能のある者が衣装のデザインと仕立てを行っております」


「……そうなの?」


「魔王様が、それぞれの才に応じた仕事を与えるよう配慮してくださいました」


なるほど。

ここにいる女性たちは、ただの“お世話係”というわけじゃない。


厨房にもいる。

裁縫をする者もいる。

思った以上に役割が多い。


魔族が苦手とする細かな分野を、

人間たちが埋めているのだ。


(ファンタジーで言うなら……ドワーフ? 職人枠?)


そんなことを考えながら、私は廊下を歩いた。


(……魔王、意外とセンスあるじゃない)


エリンのことで会議室に突撃したとき、勢いで「夫」って言ってしまったけれど。

今でも呼び方はぎこちない。


口を開くと、つい出るのは――


(魔王)


夫、とはまだ言えない。


そして、歩きながら思う。


(魔王城だけじゃない。他の一族も、人間を買ってるんだよね……)


だったら、いつか。


(アトランティス島全体で“人間を奴隷にする”ことを……廃止しなきゃ)


情報は、歩くだけで入ってくる。


高い金で買った奴隷だから、簡単には殺さない。

でも“奴隷”であることは変わらない。


財産として扱われ、人格が否定されている。


若き皇帝がやったように、私もこの島で――奴隷解放をしたい。


(……でも、どうやって?)


理想はある。

だけど現実は重い。


一度“財産”として仕組みが出来上がったら、魔族は簡単には手放さない。


(いつか、あの皇帝に会えたら……どうやって進めたのか聞きたい)


そしてもう一つ。


(この子たちが怯えないように、最初に言っておかなきゃ)


私が見ただけで首筋を差し出すのは――もう終わりだ。


私は吸血鬼じゃ……いや、ヴァンパイアではあるんだけど。

でも、そういう意味じゃない。


「これからは不必要な吸血はしないつもりだ。人間が死なない範囲で、できるだけ被害を抑えられる方法を考える。たとえば……血液パック、とか」


侍女たちは首を傾げた。


まあ、当然だ。

血液パックなんて見たことないだろう。


私は、以前魔王が見せた“あの”魔法を思い出す。


(3Dプリンターみたいに、何でも作り出すやつ)


なら、血を保存するパックも道具も作れるんじゃない?

保存用の冷却庫だって。


血は、人間の体に負担が出ない程度だけ“もらう”。

それなら、きっと成立する。


頭の中で歯車が回り出す。


(……やってみる価値、あるかも)


その時。

白く装飾された扉が目に入った。


エリンと乳母たちがいる部屋だ。


「お帰りなさいませ、魔王妃様。明るい月が昇る、良い夜でございます」


執事マハトラが、丁寧に腰を折って挨拶した。

その後ろには乳母たち。


(“晴れて良い日ですね”みたいな、吸血族の挨拶かな)


私は小さく頷いた。


「エリン様は十分に魔力を摂取され、現在はお休みです」


(そっか……あの子、相当飲んだはずだよね。みんな大変だっただろうな)


私は、小さなベビーベッドに寝ているエリンを見た。


(……わぁ)


もう、三歳くらいに見える。


手のひらサイズだったのに。

いつの間に、こんなに。


淡い茶色の髪が、すでに頭を覆っている。

目を閉じ、すぅすぅと寝息を立てるエリン。


頭の下には、白い薄布。


少しだけ、ぽこんと出たお腹。


(満腹で寝たんだなぁ……)


ベッドの中ほどに、半透明の膜が張られている。


(インキュベーターみたいな……保護膜?)


魔法で作られたそれは、虫や刺激や騒音を遮断しているようだった。


赤ん坊はよく眠る。

起こすべきじゃない。


(よかった)


無事で、安心した。


こんなに健康に、すくすく育っていることも。


「素晴らしい。平均を遥かに超える成長速度です。私が見た中でも最高の優良児。さすが魔王様と魔王妃様の血統! アトランティスの魔族の中でも最高峰でしょう!」


執事の方が、私より大騒ぎしている。


(この人、ちょっと喋りすぎ……でも情報は助かる)


(成長速度で“優良児”判定なんだね)


彼が驚くくらいなら、確かに異常なほど速いんだろう。


私は乳母たちに目を向けた。


(……ん?)


記憶では、五人くらいいたはずなのに。

今、ここにいるのは二人だけ。


残りの三人は休憩中……?


「執事」


「はい、魔王妃様」


「私がいない間、乳母たちと共にエリンを世話してくれてご苦労だった」


「ありがとうございます。務めでございます」


彼は、光栄そうに笑った。


「乳母たちもご苦労だった。ところで――残り三人はどこに? 休憩中か? 彼女たちも頑張ったはずだ」


その瞬間、執事の表情がわずかに変わった。


「……彼女たちは、エリン様のお世話には弱すぎましたので処分いたしました。新しい乳母はすぐ補充されます。魔王妃様は、どうぞお気になさらずお休みください」


(……処分?)


解雇、ってこと?

でも――言葉の温度が、冷たい。


私はこの城の主。

城で起きることは、私を通るべきだ。


執事でも例外じゃない。


「処分……とは?」


「エリン様に授乳するには不適格でしたので、処分しました。心配は不要です。新しい乳母は明日到着します」


まるで、電球が切れたから交換した。

そんな口ぶりだった。


私が睨むと、執事は目を丸くする。


きょとん。


まだ、何が問題なのか分かっていない顔。


(つまり……あの人たち、どうなったの)


私は静かに言い直した。


「乳母を“処分した”とは、どういう意味だ。今、彼女たちはどこにいる」


私の声が底まで落ちた瞬間。

ようやく執事の顔色が変わった。


バンッ。


私は扉を開けて踏み込んだ。


そこにいたのは――倒れている乳母たち。


三体の死体?


違う。


まだ、微かに魔力が残っている。


(ひどい……!)


“いらない”からといって、こんなふうに放り捨てるなんて。

ここで死ねって言ってるのと同じだ。


他の二人と違い、この三人はたった一度の授乳で“使い物にならなくなった”。


魔力の性質が合わず、耐えられなかったのだ。


(例えるなら……一次電池と充電池の差、みたいな?)


これは実際に授乳させてみないと分からない。

外見だけじゃ判断できない。


執事が五人を連れてきたのも、適合者を選別するため。


合わない者は――捨てる。

死ぬまで放置する。


(どうすればいい……助ける方法はないの?)


その時、ステータス画面が脳裏に浮かんだ。


(今、ここで?)


――そして気づく。


(……あれ?)


項目に、新しいスキルが増えていた。


========

スキル:血の従属(消費MP50)

血を分け与え、従属させる。

血を吸収した者はHPとMPが回復し、能力値が上昇する。

========


(……これなら、助けられる?)


そうだ。

これ、ゲームでめちゃくちゃ厄介だった。


魔王城へ向かう途中。

平原のステージボスを倒そうとした瞬間――


銀髪の魔女がランダムで出てきて、ボスを復活させる。


結果、もう一戦。


頻繁ではないけど、地味に腹が立つイベント。


そしてその銀髪の魔女こそ、最後のラストボス。


(私だ。エステル)


(でも……能力値上昇なんてあったっけ?)


ゲームでは体感しなかっただけかもしれない。

あの時はキーボードとマウスで、ただ操作していただけだから。


私は倒れている彼女たちに言った。


「生きたいか」


瞳が、わずかに動く。


まだ諦めていない。


生への意志。

それは、何より尊い。


「私が、お前たちを拾う」


さっ。


爪が伸びる。


私はその爪で、手のひらを軽く切った。

傷跡は残らない。すぐ治る。


じわり。


黒紅の血が滲む。


私はその血を、彼女たちの額へ落とした。


すぅ――。


血が吸い込まれていく。


同時に、私のMPが一気に削られていく感覚。


ぱぁっ――


(……なに、あれ)


血が落ちた額に、奇妙な文字が浮かんだ。


以前、侍女たちに見た“刻印”に似ている。


「助けてくださり、ありがとうございます」

「エステル様に永遠の忠誠を」

「忠誠を誓います」


乳母たちは、起き上がった。


(よかった……間に合った)


少しでも遅ければ、ここで冷たい死体になっていた。


「驚きましたね……それはまさか、血の従属? エリン様が強い理由が……ぐっ」


いつの間にかついてきた執事が、興味深そうに呟く。


――私は睨んだ。


ぴしり、と空気が張る。


「忘れるな。魔王城で起きるすべては、私の管轄だ」


「……承知しました。魔王妃様」


事務的な処理は任せてもいい。

だが命を奪うことを、勝手に決めるな。


(……これで分かったよね?)


執事は一見、ひょろひょろに見える。

戦闘力も低そうだ。


きっと、仕事ができるから執事に抜擢されたタイプ。


なら、私の言葉に逆らえないはず――


「ただ……大変失礼ですが、なぜ彼女たちを助けるのか、お聞きしても?」


……え。


この男、意外としぶとい。


「私は“魔王様”に任命された、この魔王城の執事。魔王妃様の命令には従います。ですが、理由をいただければ、より忠実に従えます」


(……この感じ)


“魔王が戻った”今、城の空気が微妙に変わった。

彼はそれを利用して、私に圧をかけている。


新参者と古参の意地の張り合い。


魔王に言いつける?


……でも会議室でのあの表情を思い出す。


仕事の話では、彼は私に甘くない。


だったら、この執事と真正面からやり合うのは得策じゃない。


私は短く答えた。


「人間との戦争に勝つためだ」


執事の表情が、わずかに揺れた。


「……ほう。私は、魔王妃様の気まぐれか、出産後の情緒の変化だとばかり。……もう少し、お話を伺えますか?」


――空気が変わった。


この男、ただの執事じゃない。


執事の口から、冷たい声が落ちる。


「弱い者、役に立たぬ者は死ぬ。それが魔界の法則です」


彼の指が、助かった乳母たちを指した。


「愚かだ」


「……今、聞き間違いでは? 当然の格言を述べた私に“愚か”とは」


そして。


すぅ――。


執事の身体が、変わり始めた。


(……戦闘モード!?)


茶色い剛毛。

鋭い眼。

狼の鼻梁。


手は爪を持つ獣の手へ。


――狼人ライカン。ライカンスロープの魔族。


助けた三人が、反射的に私の前に出る。


「退け。あいつの一撃は、お前たちじゃ止められない」


彼女たちは渋々退いた。


「ふむ。これが、お前の戦闘モードか」


(やっぱり……こいつ、ただ者じゃない)


「優性の交配で生まれた最終産物、それが私――マハトラ。改めて言いましょう。弱い者、不要な者は死ぬべき。それが魔界の真理。それを否定するのですか、魔王妃よ?」


殺気が溢れる。


だが私は、はっきり言い切った。


「ここは人間界だ。魔界の法則で戦えば――私たちは負ける」


「負ける? あの貧弱な人間に? 騎士団の一部を除けば、敵ではない」


「なら、なぜその人間にアトランティス島の二〇%を奪われた?」


重要な海岸地帯。

しかも魔王城に近い南部沿岸まで。


奪われてはいけない場所を奪われている。


「それは……人間が数で勝っているからでは?」


私の言葉に、執事はわずかに言葉を濁した。


「違う。

単に数の問題じゃない」


私は静かに言った。


「人間が持っている“武器”を、私たちは持っていないからだ」


その瞬間、執事の目が鋭く光った。


「……人間の武器、ですか?」


私は自分の胸を指さした。


「仲間と共に戦うという“心”だ」


「……は?」


「強大な魔王を立てて戦う。

その考え自体は悪くない」


私は続けた。


「だが、それだけでは足りない」


執事は眉をひそめる。


「魔族には――根本的に“仲間意識”がない」


「それは……魔界は弱肉強食の世界で――」


「だから言っただろう」


私は言葉を遮った。


「ここは魔界じゃない」


そしてはっきり言う。


「ここは“人間界”だ」


静かな沈黙が落ちた。


「ならば――

私たちも人間界のやり方で戦うべきだ」


執事の目が揺れる。


「人間たちが持つ武器を、

私たちも持たなければならない」


「……詳しくお聞かせ願えますか」


私はゆっくり言葉を続けた。


「人間は戦場で背中を預けられる」


「だが魔族は違う」


「敵と戦いながら、

別の魔族がいつ背中から刺すか分からない」


私は執事を見据えた。


「そんな状態で、

結束して戦う人間に勝てると思うか?」


執事は黙った。


私は続けた。


「だから魔族は人間の前で愚かなことをしている」


「愚か……とは?」


「先鋒の魔族たちだ」


私は呆れたように言った。


「なぜ一人ずつ出て戦う?」


「敵は大軍だ。

それなのに、なぜ一人ずつ挑む?」


私はため息をついた。


「部下を多く連れていると言っても意味がない」


「なぜ先鋒に立つ高位魔族同士で

力を合わせない?」


それは――


ゲームをプレイしていた時、

ずっと疑問だったこと。


なぜボスは一人ずつ現れて倒されるのか。


なぜ協力しないのか。


だが今なら分かる。


「魔族には信頼がない」


「だから一緒に戦う発想すらない」


「だが人間は違う」


私は言った。


「人間は弱い。

だが力を合わせる」


「その結果――

魔族に勝っている」


執事の表情が変わった。


「……では、どうすれば?」


私は答えた。


「信頼だ」


「絶対に仲間を見捨てないという覚悟」


「それが人間の武器だ」


私は倒れていた三人の乳母を指した。


「弱いからといって捨てる」


「役に立たないからといって殺す」


「そんなことをしていたら

信頼など絶対に生まれない」


そして言った。


「私は違う」


「私の子供たちのために」


「そして魔王のために働いた者を」


私は静かに宣言した。


「決して捨てない」


「彼らが尽くした分、

私も最後まで守る」


「それが信頼だ」


私は執事を見た。


そして問いかけた。


「お前はどうだ?」


沈黙。


次の瞬間。


ドサッ。


執事はその場に膝をついた。


そして深く頭を下げる。


「……驚くべき慧眼です」


「魔王妃様のお言葉、

このマハトラ、深く胸に刻みます」


その瞬間――


サァァ……


彼の体から戦闘の気配が消えた。


狼の姿が消え、

元の執事の姿へと戻る。


完全に戦闘モードが解除された。


そして私は理解した。


この男は――


今、私に膝を折ったのだ。

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