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6話 鬼頭やさことの、夢の輪郭

ジム帰りに、いつもの道を歩いていると――


小さな定食屋の前で、やさこを見かけた。


エプロン姿で、店先のメニュー看板を直してる。


長身が目立って、通りすがりのサラリーマンがチラチラ見てる。


紫がかった長い髪をポニーテールにまとめて、赤い瞳がいつもの冷たさで周りを牽制してる。


俺は驚いて、店に入った。


カウンター席に座ると、やさこが気づいて、軽く舌打ちした。


「……ウザい。来んなよ」


口角を下げたまま、財布からのぞく硬貨を鳴らして視線だけをこちらに戻した。


でも、注文を取るついでに、小声で。


「試合の動画、見せろよ後で」


……やばい。


心臓が跳ねた。


「う、うん! あとで送るよ。……ここ、バイトしてるの?」


やさこはメニューを置きながら、短く。


「そうだよ。料理、作るから」


それから、定食屋に寄るのが増えた。


ジム帰りに必ず寄って、カウンターで食べる。


やさこはホールと厨房をこなして、手際がいい。


特に激辛カレーを勧めてくる。「お前、弱いから食えるだろ」と投げる声は挑発みたいだけど、

実際は自分の味を押しつける形で一緒に時間を作ろうとしている。


ある夜、客が少ない時間帯。


俺がカウンターで待ってると、やさこが厨房から出てきて、俺の定食を置いた。


「バイト、いつからやってるの?」


やさこはトレイを拭きながら、短く答えた。


「……金、貯めてるから」


「え? 何に使うの?」


彼女は一瞬、手を止めて。


赤い瞳を逸らした。


「一人暮らし」


……え?


俺は固まった。


やさこが、ポツポツと続けた。


「家、出るつもり。親の再婚で……継父と、合わなくて。自分の金で、自分の部屋借りて……自由に暮らす」


声は低くて、いつもの棘がない。


珍しく、弱い部分を見せてる気がした。


「いつから?」


「もう少し貯まったら。……料理とか、家事とか、ちゃんとやりたいし」


俺が「料理?」って聞き返すと、


やさこは少し顔を赤くして、ボソッと。


「将来的に……専業主婦とか、やりたいんだよ。毎日、飯作って待ってるような……。バカじゃね? 言わなきゃよかった」


……えええ?


強くて孤高で、ヤンキー五人を瞬殺したやさこが――専業主婦志望?


厨房で激辛カレー作ってる姿と重なって、ギャップが反則級すぎる。


俺は思わず笑っちゃって、


「めっちゃ意外! でも、似合うかも。今日のカレー、めっちゃ美味いし」


やさこは俺を睨んで、


「ウザい。キモい。黙れ。余計なお世話」


って連発したけど、頬が真っ赤。


言い切ってから、視線を落として厨房に戻っていった。

皿を拭く指先だけが少し乱れていた。


「お前な、いつもこういうとこで弱音言ってるな」


次の夜、定食屋のカウンターでたまたま人が少ない時間帯。

彼女が皿を戻してきた。


「……本当、やるなら全部出す」


メニュー表の赤い文字を指でなぞって、

『激辛特大定食』の文字を示した。

「挑戦してみな。

時間は五分。負けたら、今日の店の洗い場を五分で全部片付けろ」


一瞬、言葉の意味が飲み込めない。


「え、五分でいいんじゃん。なんだそれ……」


「挑戦したいならやれ、って言ってんだ」


口調は冷たいまま、指先はテーブルに置いた丼の数を並べるみたいに小刻みに動いてる。

見えないところで、彼女は面白がってる。


「男を見せたいなら、ここで決める。

お前が言ってた“強くなりたい”の、まずは体力で答えろ」


普段の俺なら、ここで断る理由を探す。

だけど、その言い方をされると、逆に引けなかった。

「いいよ、やる。全部、食べる」


『激辛チキン南蛮定食』

『二合入りごはん』

『じゃがバターのスープ』


やさこが両手を広げた。

「その分だけ皿は増やさない。

途中で手を止めると、私が追加を出す」


五分のカウントはスマホで。

最初の五口は自信満々だった。

でも三口目から辛さが喉にまとわりつき、汗がにじむ。

「水、飲んでいい……?」と聞くと、

やさこは顎をすっと上げて「勝つなら、顔だけは保て」とだけ言った。

その一言で、妙な決意が背中に戻った。


三分で、手が止まる。

喉の奥が石みたいに重くなって、視界の端がしびれる。

隣の客が心配そうに見るほど、呼吸が荒くなる。

スープを一気に流して、息を詰めて、また箸を握る。

「うわ、無理……」と言いかけた瞬間、やさこの視線が刺さる。


「言葉は出すな。残してるなら、ここで終わらせる」


その声は命令でも、妙に冷房の効いた厨房の空気みたいに冷たかった。

でも、目の奥は乱れなく、じっと見守っていた。


最後の一口。

胃の中に突き刺さる辛さを噛みしめて、胃が重くなるのを飲み込む。

舌先の感覚が鈍るのを我慢して、なんとか全部を空にした。

計時は残り二十秒。

俺が勝った、と思う音が喉の奥で鳴った。


「終わった」


言ってから、息が切れて席に突っ伏しそうになった。

五分のタイマーがゼロになると同時に、やさこが短く息を吸い、笑うみたいに目を伏せた。


「……食いきったな」


珍しく、手の甲で額の汗を拭って、少しだけ言葉を戻した。

「たくさん食えるのは、才能だ。

このまま鍛えたら、ボクシングも強くなりそうだ」


続けて、彼女は箸を片付けながら、

「……勝手に弱音言うな。今日の顔、ちゃんと見ててよかった」

と言って、すぐ「だって」と言いかけた口を伏せた。

その小さな言いにくさが、やけにうれしかった。


店の外に出ると、夜風が少しだけ冷たくて、妙に腹の中が熱かった。


その夜、LINEで続き。


俺:『一人暮らし、応援してるよ。専業主婦の夢、なんか可愛いと思った。カレーまた食べたい』


やさこ:『死ね。忘れろ。二度と来んな』

+ちいかわの「照れ」みたいな表情スタンプ(顔を隠したやつ)。


相手からの短いやり取りなのに、毎回同じように帰宅報告や練習の有無を確認してくる。

これは、もう“放っておいていい”関係ではない。


あの強さが全部、心の壁だったんだな。


本当は、家庭的で甘えたいタイプなんだ。


一人暮らし計画を知って、俺の気持ちはさらに強くなった。


やさこが一人で頑張ってる姿を、もっと近くで見たい。


支えたい。


そしていつか……彼女の夢を、一緒に叶えたい。

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