1話 鬼頭やさことの、はじまり
俺は根っからの弱虫だ。
前の学校でもいじめられてばかりで、転校してきた今も状況は変わらない。
クラスではいつも端っこにいて、誰とも目を合わせないように生きている。
同じクラスに、鬼頭やさこという女がいる。
転校生で、席が俺の斜め前。長身で、紫がかった長い髪。赤い瞳が鋭くて、クラスで一番目立つ美人だ。
でも誰も近寄らない。いや、近寄れない。
彼女はいつも一人で本を読んでいて、誰かが話しかけると「ウザい」と一言で凍りつかせる。
クラスの一軍――派手なメイクの女子グループと、その彼氏連中のヤンキー軍団――からは、明らかに目の敵にされている。
理由はわからない。ただ、彼女が孤立していることだけは、俺と同じだった。
ある日の下校時。
校門を出て少し歩いたところで、クラスの一軍女子・美咲に声をかけられた。
「ねえ、ちょっと来てよ。話があるから」
美咲の後ろには、いつものヤンキー男子五人。
俺はビビったけど、逆らう勇気なんてない。黙ってついていくしかなかった。
連れて行かれたのは、学校裏の人気のない空き地。
そこに、鬼頭やさこが立っていた。
腕を組んで、明らかに苛立った顔で。どう見ても呼び出されて待たされている様子だ。
美咲がニヤニヤしながら言った。
「ほら、○○くん(俺の名前)。やさこに告白しなよ。みんなが見てる前でさ」
周りのヤンキーたちが下品に笑う。
俺は顔が熱くなった。実は……やさこのことは、気になっていた。
遠くから見てるだけで、話したことすらないけど、あの孤高な雰囲気に、勝手に惹かれていた。
だから、震える声で言った。
「……鬼頭さん、俺、君のことが好きです」
やさこは一瞬、俺をチラッと見た。
でもすぐに視線を逸らし、無言で踵を返した。帰ろうとする。
美咲が舌打ちして、ヤンキーたちに目配せした。
たちまちやさこは取り囲まれ、行く手を阻まれる。
「逃げんなよ、長身クソ女」
「せっかく○○くんが告白してくれたんだから、ちゃんと答えなよ」
やさこは冷たく一瞥しただけで、口を開かない。
その沈黙が、余計に彼らを苛立たせた。
次の瞬間、美咲がヤンキーたちに囁いた。
「じゃあ、○○くんにやさこの服脱がさせてあげなよ。見たいんでしょ?」
ヤンキーたちが哄笑する。
一人が俺の肩を掴み、耳元で低く言った。
「おい、押さえつけろよ。服、脱がせろ。さっさとやれ」
やさこを押さえつけて、服を脱がす……?
頭が真っ白になった。でも、俺はモタモタとしか動けなかった。
「おい、早くしろよ!」
我慢できなくなったヤンキーが、俺の腹に拳を叩き込んだ。
痛みが走って、俺は膝をついた。
その瞬間、はっと我に返った。
――絶対に、しない。
息を切らしながら、立ち上がって叫んだ。
「やらない! 絶対にやらない!」
やさこを押さえつけるなんて、ありえない。
俺はとっさにやさこの手をつかみ、走り出した。
「逃げろ!」
でも、数メートル走ったところでヤンキーに捕まった。
背中から蹴られ、地面に叩きつけられる。さらに殴られる。
頭を打って、視界が揺れた。脳震盪みたいに意識が朦朧とする中、遠くで喧嘩の音が聞こえた。
誰かが叫んでいる。肉を打つ音。骨が軋む音。
どれくらい時間が経っただろう。
ゆっくり視界が戻ってきた。
差し伸べられた手があった。
見上げると、そこに立っていたのは鬼頭やさこだった。息を荒げながらも、ほとんど傷一つない。
周りには、ヤンキー男子五人が全員地面に倒れ、うめいている。
……彼女が、一人で全員を倒した?
やさこは冷たく言った。
「帰るぞ」
俺はフラフラしながら立ち上がり、ついていった。
夕暮れの道を、無言で並んで歩く。
十字路まで来たとき、やさこが立ち止まった。
「私は帰るから」
そう言い残して、踵を返す。
俺はとっさに手を伸ばし、彼女の手首をつかんだ。
「あ、ありがとう……本当に、助かった……」
その瞬間――
パシン!
手を強く叩かれ、振り払われた。
やさこが初めて、俺に向かってまともに口を開いた。
「触んな、キモい」
「弱虫のくせにカッコつけてんじゃねえよ」
「二度と近づくな、ウザい」
赤い瞳で睨みつけ、吐き捨てるように言って、彼女は去っていった。
俺は叩かれた手を握りしめたまま、立ち尽くしていた。
痛い。
でも、なぜか胸が熱かった。
――これが、鬼頭やさことの、初めての“会話”だった。




