3 瀬尾時雨
「カズマ。俺は、お前ほどの変人を他に見たことがない」
妹尾時雨はそう言って、どっかと正面の席に腰を下ろした。
盆の上には天麩羅そばが乗っている。七百五十円。高校生の昼飯にしては、豪華すぎる代物である。
少なくとも、俺から見ればそうなのである。
「随分といきなりな台詞だな」
「だってそうだろ? 遅刻の言い訳なんて適当にすりゃいいのに、
『ゆっくり歩いてきたからです』なんて馬鹿正直に言う奴初めて見た。
もしかして、今まで遅刻したことなかったから、言い訳の仕方がわからなかったのか?」
「ああ、それでいいや」
笊蕎麦をすすり、適当に答える。
時雨はその返答が大層不服らしく、分かり易くむくれている。
「…別にいいけどさー。お前がそういう奴だってことはわかってるし。
ただな、数少ない友人にくらい、愛想良くしても罰は当たんないんじゃね?」
「そういう奴だってことがわかっているなら、諦めてくれ」
「そういう奴だってことがわかっているから、改めて頼んでるんだけどな」
会話が進まない。面倒だ。
この話題は無視すると決めて、食事に集中する。
学食の笊蕎麦は味こそ平凡だが量は多い。
一食三百円で腹が十分に膨れるのは、学生としてありがたいことである。
「…いつも思うんだけど。それ、食べ難いだろ」
「それって、どれ」
「それはそれ。手袋。
一日中、ずっと嵌めたまま生活してるよな」
「悪いか」
「いや、悪くはない。珍しいだけ」
それはそうだろう。手袋を嵌めたまま一日を過ごしている奴など、自分以外に見たことがない。
初めは苦労したが、今はこの生活にもすっかり馴染んだ。
何せ八年にもなるのだ。厚い手袋越しの箸やペンの扱いも、慣れたものである。
―――変人。そう言った妹尾の言葉は実に正しい。
自分自身でそうだと認識し、理解しているのだ。
九浄小夜を含めて、自分以上の奇人変人はそういるものではないと、今でも思っている。
「そうだ。なぁ妹尾」
「ん、何?」
「お前、九浄小夜をどう思う?」
「――――――」
名前を出した瞬間、妹尾は食べかけの蕎麦を口の端から垂らしたまま、石像のように固まった。
「え、ちょっと、何、お前の口から、女の名前が出てくるなんて―――惚れたの?」
「惚れてない。ただ、気になっただけ」
「いや、お前が他人に関心を持つこと自体が、とんでもなく稀だろう」
確かにその通りである。
今まで自分以外の人間に興味など持たなかったし、これからもそのつもりだった。
多分、そういう感覚が元から希薄なのだろう。
知ろうとする心。繋がろうとする精神。自分の中のどの部分を探っても、人間として当たり前に持っていそうなそれらは無かった。
だから、きっと俺は人間ではないのだろう。
人を人足らしめているのは、そういった感情や心である。
失われていれば、そんなものは獣と変わりはない。
「…やっぱいい。忘れてくれ」
「了解。忘れろと言うならすぐ忘れる」
目を瞑ってから、ずぞぞと音を立てて妹尾は蕎麦をすする。
忘れろと言えば忘れる。貸せと言えば何でも貸す。
そういう奴だからこそ、こいつだけとは今も友人でいられる。
妹尾は俺を変人と評したが、こいつ自身もかなりの変人であることは間違いない。
それは例えば、男勝りの不自然な口調であったり。
俺なんかと好んで友人関係を結んでいることであったり。
類は友を呼ぶ。そんな言葉を思い出す。
「今日は暇か?」
「やることは無い」
家に帰れば、待っているのは洗濯と夕飯の支度である。
ああそれと、クリアまでもう一息のRPGがあった。
「じゃあ、うち来いよ。
食べ物と娯楽だけは豊富だぜ」
「やだよ。お前は嫌いじゃないけど、他人と接触するのは嫌いなんだ。
学校で顔付き合わせるので、精一杯」
「そうか。なら仕方ないわな。また今度、諦めずに誘ってみる」
その今度が来たところで、答えが変わるとも思えない。
妹尾とてそのことをよく理解しているのだろう。
残念がる素振りも見せなければ、口調もいたって平坦なものである。
笊蕎麦を食べ終えた。
見れば、いつの間にか妹尾も天麩羅蕎麦を平らげている。
学生たちの喧騒に包まれた食堂。食事のため仕方なく来てはいるが、あまり好んで長いしたい場所ではない。
自分以外の人間が多く居る。
それだけで、途方も無い重圧を感じる。
人が嫌いなのでは無い。そこにいるから、嫌いなのだ。
だけど、他人以上に俺は―――。
「教室戻ろうぜ。ここよりか、人は少ないだろ」
「ああ」
自分自身が、嫌いだ。