雨の日の一室にて
閲覧ありがとうございます!
あとがきに書いちゃうと読後感が台無しになりそうなので、ちょっとこちらに失礼します。
n番煎じですけど、こういうの好きなんですよね……。
この話を1日3回行動の育成ゲーム風に整えて、いつの日か世に送り出すのが夢です。なお、私にとってこの夢の同義語は「不老不死の実現」です。
<注意>
後半の誤字は雰囲気作りのためのものです。ご了承ください。
子供が可哀想な描写がありますので、苦手な方はブラウザバックお願いします。m(_ _)m
それではいってらっしゃいませ!
このアパートは、雨の日だけ幽霊が出る。
具体的には、雨の日にこの部屋の隅で体育座りしてる男の子が見える。その男の子は窓側の壁を背に座って、定まっていない焦点でずっと空中を眺めている。
たまに身じろぐ彼は、幽霊と言うには透け感が足りていない。透け感より煤け感が強い。
でも雨の日にしかいないし、鍵をかけてるはずなのに部屋の中にいるから、つまりは幽霊で間違いないんだろうと思う。
そもそも、このアパートは長い歴史を持っている。
有り体に言えば古めかしくて、肝試しに最適な雰囲気がある。
だから「出る」って言われている部屋もここ以外にもう一つか二つあったはずだし、家賃の安さに惹かれて住み始める住民は基本的にどこかしら『普通』から外れた何かを抱えている。障害だとか依存症だとか、とにかく借金はマストで、中には短期間ながら現地妻との逢瀬の場になっていた部屋もあるらしい。
私の場合は、大学の学費を自腹で払わないといけない、という事情があった。
両親は私の大学入学直後に不慮の事故で亡くなってしまい、親戚とは縁が切れているらしく、大学に残り続けるにはアルバイトをいくつも掛け持ちして学費を稼ぐ必要があった。残念ながら、遺産は両親の葬式代に全て消えてしまったから。
そんなわけで、家には寝るために帰るだけという社畜も同然の日々だったから今日まで気が付かなかったけれども、どうやら噂の「出る」部屋の1つがここらしかった。
久々に丸一日予定が空いたからまずは部屋の掃除をして、外に洗濯物も干してしまおうと思ってたのに雨で、落胆したと同時に下げた目線の先に体育座りをする男の子がいた。
最初に男の子に気付いた時は、
「うわっ!? ぅゎゎゎゎゎ……」
なんて大声を出してから壁の薄さを思い出し、震える手で口元を抑えながらズザザと後ずさって玄関扉に背を預けた。
かなり怖かったけど、どうしてか家の外に出ようとは思わなかった。
無気力な瞳は声に反応したのかこちらを捉えていたけれど、こちらに危害を加えようとする気配が無かった。多分それが理由。雨が降っていたから、ってのももちろんある。
「…………」
「…………」
しばらく無言で睨み合いみたいになって、男の子が動かないってことを確信してからは、半径1メートル程度の距離を保ちながら掃除やら何やらを終わらせ、そうして邂逅の初日は終わりを迎えた。
ザアザアという音を目覚まし代わりに起き、普段より薄暗い朝日から雨を確信した瞬間、私は部屋の隅をぐるっと1周確認した。それが2度目の顔合わせだった。
「ねえ、君……名前なんて言うの?」
寝起きの呆けた頭だったのもあって、私は男の子に向かってそう聞いていた。
「…………」
しかし、彼はこちらを一瞥することさえしなかった。
「聞こえてないの?」
布団を大袈裟に蹴飛ばして体の上から退かし、立ち上がるのが億劫だったから四つん這いで少しだけ距離を詰める。
「……おーい?」
片手を上げて目の前で振ろうとしたその時。
「っ!!」
「うわっ!!」
男の子の肩が大きく跳ね、膝を抱え込んでいる腕が緊張したように強ばった。
「な、なんだ、見えてるの……」
じゃあ、声が届かないだけ?
霊感があるって人にも、見えるだけとか声が聞こえるだけとか、色々パターンがあるらしいけど、幽霊側もそうなのかな。
考察の真偽なんて外見から分かることでもないけど、私は改めて上から下までじっくりと男の子の様子を眺めてみた。
薄暗さもあってより血色の乏しく見える肌に、うっすら骨が浮いている。体格は華奢で、生育不良を考慮せずに推測するとまだ5歳くらいにしか見えない。子供特有のぽっこりお腹ではない、地獄絵図の餓鬼を思わせる下腹の突出が、浮き出た骨にあまりに不釣り合いだ。
「ネグレクト……餓死、なのかな。胸糞悪い」
ボサボサの髪の下にある落窪んだ双眸は、小刻みに震えながら眉を顰める私を映す。うかがえるのは怯えと恐怖。
「……ごめんね、怖かったね。今、離れるから」
こちらの身動ぎひとつにも身体を震わせ、足の指先を自分に引き寄せようと、けれどこちらを刺激しないために音を出すまいと小刻みに踵を上下させ指を丸めるその姿は、酷く痛々しかった。
今度はあの子を怖がらせないために、半径1メートル程度の距離を保ちながら掃除やら何やらを終わらせ、そうして邂逅の2日目は終わった。
バタタタ、と雨樋から落ちた大粒の雫を室外機が受け止めた音が、邂逅3日目の目覚ましだった。
ウィーンとモーター音を響かせる掃除機を右へ左へ動かしながら、視界の端にいつまでもいる男の子のことを考える。
私が入居した時、物件紹介には「心理的瑕疵アリ」という表記が無かった。
不動産屋からの説明も無かった。
だがそれは、この部屋で何も起きなかったという証明にはならない。
事故物件は、事故後の最初の入居者が一定期間後に無事に退去したなら、新規入居者への説明義務が消失するらしいから。
あちこちを彷徨う霊を浮遊霊と呼び、何かに縛られて自由に動けない幽霊を地縛霊と呼ぶらしい。あの男の子はこの部屋の隅から動かないから、きっと地縛霊の方だろう。
私の持ち物は全てお店で新しく買った品で、中古品は一つもない。だから彼は、この部屋にある物ではなくこの部屋そのものに縛られている。
しかし私に引越し料金を捻出する余裕はなく、このまま同居を続ける以外に選べる選択肢が無い。
唯一の可能性として、幽霊は未練を解消できれば成仏する、というのが定番だけれど、だとしたら彼の未練とは何だろう?
「餓死、なら……食べ物? または、見殺しにした親への復讐、とか……」
でも、私がこの前近づいてみた時は大人を怖がっているようだった。怨みより、恐怖や怯えを感じた。
「道連れを探してる……にしては、こちらに何もしてこないよね」
なら、やっぱり食べ物なのかもしれない。
問題は、この家には安売りされていた期限切れの袋麺くらいしか無いってこと。それと、もやしならあるから、もやしラーメンくらいならなんとか作れる。
「……ねえ、食べる?」
早速作ったもやしラーメンだけど、差し出しても反応は無かった。むしろ怖がらせてしまったようだった。
掃除も洗濯も終わらせて、すっかり麺がのびてしまった頃に回収し、ぶよぶよした麺を虚しく啜った。
今日も今日とて雨だ。
「おはよう、ぼく」
何の気なしに、相変わらずの男の子に向けて挨拶をしてみたら、彼がこちらを向いた。
その瞳は驚きに見開かれていた。
「……あれ、聞こえてる?」
初めは、絶対に聞こえていなかった。でも今日は聞こえるようになっている。さっきのリアクションがそれを表している。
「ね、ねえぼく、ぼくは……お化けさん、なの? どうして雨の日だけそこにいるの?」
恐る恐るの質問に返答は無かった。パッと顔を逸らされて、閉じた貝のように俯いたまま動かなくなった。
4日目はそれで終わりだった。
5日目、6日目も4日目と似たようなものだった。
けど、だんだん慣れてきてくれたのか、2日目のように小さくなろうとする動きはしなかった。
その日の内に話しかける内容は、彼についての質問を一つだけと、私の何でもない雑談だった。
なんだかんだ私も今までの慌ただしい生活に疲れていたみたいで、通勤途中で見た猫の話とか、雲が綿菓子じゃないと気づいた幼少期の話をするのがだんだん楽しくなっていった。
7日目。
「おはよう」
挨拶をすれば、男の子はこちらを見てくれる。目が合っても怯えて逸らすことはしなくなった。
私を見て、数度瞬きをして、脚に回してある腕を緩慢な動作で片手ずつ掴み直すだけ。
「今日はさ、お隣に座ってもいいかな?」
彼は膝に乗せている額をグリグリと動かして、最終的に縦方向に一度頭を振った。
多分、『了承』と取って良いのだろう。
「ありがとう。それじゃあ、えーっと……何の話にしようかなあ」
通勤途中で見た猫の話とか、小さい頃お友達の飼ってたお友達の飼ってたチワワに指を噛まれて痛かった話とか、色々話して、掃除やら何やらを終わらせて、もやしラーメンを作って食べようとした時、ふと思いついた。
「ねえ、このラーメンの匂いって分かるの?」
首は縦方向に振られた。
「そうなんだ……。じゃあ、手を繋いでみてもいい?」
自分でもよく分からない文脈になってしまったが、この時の私はとにかく彼の五感がどう働いているのかが気になっていた。
頑なに結ばれたままだった左腕を掴む彼の右手はゆっくりと解かれ、手のひらを下に向けたまま床に乗って、最後にほんの少しこちら側へ滑った。
いいよ、と示してくれている。手をかざされただけで恐怖に身を竦ませていた小さな男の子が。
「ちょっとだけだから。ごめんね」
こっちまでビクビクしながら、彼の爪先にほんの少し指の腹を乗せるだけの接触をした。
……触れた。触れてしまった。
冷ややかな体温を意識した。背筋に流れるのは紛れもない冷や汗だった。
「……ぉ、ねェ、ちゃ…………」
7日間で初めて、自分以外の声を聞いた。酷く掠れて、子どもとは思えない、か細く弱々しい声。
「っ、……っ、………!!」
悲鳴は出せなかった。下にあった小さな手が私の手の甲の上に乗ったから。
温かい。今は初夏だ。
梅雨前線をキャスターが言及していた。
冷房はつけていない。
なのにどうして。
どうして手を「温かい」と感じるの。
だってそんなの、私の方が…………………
私が、死んでるみたいじゃないの。
「っア゛あ゛ぁァああ゛あ゛あ゛あ゛ア゛!!!」
いた、いたい。痛いイタイいたい!!!!
心臓が。心臓が、握りつぶされて、摩り下ろされて! 背中に焼きごてが!! 喉元を槍が!!!
「痛い! いだい゛っ!! だれ、かっ! た、たすけ…………」
ーーーーー
おねえさんは、いたいいたいが、27かい目でした。
おねえさんに、ボクが、見えるように、なってからは、7かい目です。
にわか雨でも、あらわれてやんだら、いなくなります。
「そういうおヘヤ」
なんだっておかあさんに、オジサンが、いってました。
だんだんボクと、おねえさんは、おんなじになっていって、ボクは、たまに、おヘヤが、キレイに、みえました。
ゴミふくろは、ダンボウルに、なったりきたないゆかが、ぬのの下に、なったりしました。
一ばん目は、おヘヤが、ユラユラ見えました。あつい日とおんなじでした。
二ばん目は、おねえさんだけ見えました。
三ばん目は、おねえさんが、せんたくものを、もちました。
四ばん目からいっぱいは、見えるものが、おおくなりました。
二十一かい目は、はじめておねえさんが、ボクに、おそうじのどおぐを、あてませんでした。
つぎは、てを、ふりました。そうじきのほうが、こわかったです。
つぎは、ごはんを見ました。さわれないけどおいしそうで、かなしかったです。
つぎは、おはなししました。おもしろかったです。
つぎも、おはなししました。おなじおはなしも、しました。おねえさんは、やっぱりおぼえているのが、ニガテみたいです。
つぎも、おはなししました。あたらしいおはなしは、してくれないです。でも、たのしいです。
ボクは、おしゃべりが、きらいです。
むかしは、だいすきだったけど、
「おしゃべりダメ」
って、おかあさんが、いったからです。
「おとうさんに、しゃべっちゃだめ」
ってゆびきりを、まもらなかったから、おかあさんは、ずっとおこっています。
「おとうさんとは、あえないの」
って、おかあさんは、いいました。
おかあさんは、もうボクに、おはなししません。
おかあさんは、あえない日も、いっぱいです。
おねえさんは、ボクに、おはなししてくれます。
雨の日は、おねえさんは、あえます。
おねえさんが、ほんもののおねえちゃんに、なってほしいです。
きょうは、おとなりが、おねえさんでした。
らあーめんが、おいしいにおいでした。
おてては、ひえひえです。あったかいあったかいしてあげたくて、おててぎゆーうしたら、わああってさけぶのが、きたみたいでした。
「わああ」
は、こわいけどおねえさんは、すきなので、またあいたいです。
あしたが、雨になりますよおに。
あしたが、らあーめんが、たべるのが、できますように。
ねぇ、「出る」ってウワサのあのアパート、あるでしょ?
臭いって思ってたらね、また腐ってたんですって。去年は大学生だったけど、今度はなんと8歳の子どもらしいの。
4月くらいはギャーギャーうるさかったけど、しばらく静かだと思ったらまさかこんな事になってたなんてね。若い子の可哀想な事件ってどうにも気分が沈んで嫌だわ。
そうそう、大学生の時は、雨の日に絶叫が聞こえたと思ったらその時に死んでたんだったかしら? 新聞に載ってたんだけど、死因が心臓発作とかだったから、その時に通報しててもどっちにしろダメだったと思うのよね。
……それにしても、呪われてるんでしょうね、あの建物。 じゃなきゃ、あんな人たちばっかり集まって来ないわ。
ね、あなたもそう思うでしょ?