温度差の中で揺れる心
翌日も変わらず研究所へ向かった。
昨日はレオンと仕事の話をするはずだったのに、結局自室での食事を命じられ、彼とは会えなかった。
会える日と会えない日の違いは何なのだろう。ルールも告げられないまま、ただ不確かな感情だけが残った。
△△△△△
仕事はいつも通り、器具の洗浄と準備。
黙々と作業を続けていると——
「熱っ…!」
勢いで手を引っ込める。
使い終わったばかりの器具。熱さに思わず悲鳴が漏れた。
本来は冷めたあとに洗い場へ置かれるはずなのに、誰が運んだのかも分からない。
「大丈夫か?!」
声とともに、レオンが駆け寄ってきた。
遠くで会話していたはずなのに、どうして気づいたのか。
彼は私の手を掴むと、すぐに水で冷やしてくれた。
やがて気づく。今、私はレオンに背後から抱きしめられている。
逃げ出したいほど恥ずかしいのに、彼の腕の力は強く、抜け出せない。
△△△△△
「ごめん。熱い器具があることに気づかなかった…」
彼が謝ることに戸惑う。
誰かに謝られるなんて、いつぶりだろう。
咄嗟に返した言葉は——
「もう大丈夫です。ごめんなさい…」
気づけばまた“謝っていた”。
彼は、静かに微笑む。
「君はよく謝るよね。『ごめん』よりも『ありがとう』の方が、言われた方は嬉しいよ。」
その言葉が、胸の奥にじんわりと染みた。
レオンの優しい声。私の答えを待ってくれる姿勢。何気ない気遣い——
彼の魅力が、少しずつ心に染み込んでくる。
「それと、いつまで敬語を使うゲームを続けるの?」
まるで探るような冗談。
ゲームのつもりなんてなかった。
でもその言葉には、違和感を感じた。聞き返したいのに、笑顔を崩さない彼にそれができない。
△△△△△
仕事を続けようとする私を、レオンが制止した。
「隣の部屋で待ってて。仕事が終わったら、送るから。」
ほんの一瞬、心が浮き立つ。
そこへ、冷ややかな声。
「勘違いしない方がいいよ。」
振り返ると、田村翔が立っていた。
彼の言葉はまるで、楽しく踊っていた心に冷水を浴びせるようだった。
「どういう意味ですか?」
感情を押し殺しながら返す。
レオンの気分次第でしか会えないのに、どうして“勘違い”なんて言われるのか。
「そのままの意味だよ。つまり——」
「何している。」
静かに、しかしどこか怒りを含んだ声が響いた。
レオンだった。田村は気まずそうな顔ですぐに立ち去った。
「何もされなかったか?」
安心する声。それだけで張り詰めた空気がほどける。
レオンには、私の異変に気づく“センサー”でもついているのだろうか。
△△△△△
車で送られる間、レオンの研究している薬の話や仕事仲間のエピソードを聞いた。
不思議と自然に会話が進み、気づけばもう家だった。
「約束を守ったこと、執事に伝えておこう」
そう思って車を降りると——
家の前には、真っ青な顔の執事が立っていた。
何があったのだろう。
この家には何か大切なことが隠されている——そう感じるほど、空気は緊張に包まれていた。