願いの代償
誰かに愛されたかった。ただ、そのままの私を受け入れて、傍にいてくれる人がいたら——それだけでよかった。
そんな人は、いなかった。ずっと。
だから、私は今ここに立っている。冷たい柵に手をかけ、夜風に晒されながら。
「ほら、早くしろよ」
心の奥に潜む“もう一人の私”が囁く。あいつはいつもそうだった。私の弱さを見抜いて、正解を押しつけてくる。
黙ってほしい。
今度こそ、終わりにすると決めたのだから。
ドラマのヒロインみたいに涙が出て、誰かが見つけて助けてくれる——そんな展開を、何度も夢見ていた。
でも、そんな人は現れない。
傷だらけの体と心だけが、ここに残っている。
「涙も出ない。からっから」
そう呟いて、手を放しかけた瞬間だった。
誰かに腕を掴まれた。
「やっと見つけた…僕の運命の人」
温かい声。でも幻聴だろう。もう死んだ。そう、これは2度目だから怖くない——はずだった。
けれど、その声に触れたとたん、意識がふっと途切れた。
△△△△△
目を覚ますと、見たことのない天井。
そして、何たるイケメン。…いや、めっちゃイケメンが、こちらを心配そうに覗き込んでいた。
「よかった、目を覚まして。体は、もう大丈夫?」
「…はい」
やめて。そんな安堵の顔を見せないで。
私は死のうと決めていたのに、そんな優しさに触れてしまえば——揺らいでしまう。
「お世話になりました。もう行かないと」
名前も、素性も、関わる気なんてない。ずっとそうやって生きてきた。誰とも関わらなければ、傷付くこともないから。
イケメンを残して部屋を出ると、広い廊下が続いていた。
まるで城のよう。高い天井、磨かれた床、窓から差し込む光がきらきらと反射している。
こんな場所、私には似つかわしくない。
「どちらへ行かれるのですか?」
玄関に差しかかったその時、背後から低く優しい声。振り返ると、映画に出てきそうな執事のような老人が立っていた。
冷たい瞳が、全てを見通しているようで——ゾッとした。
「行き場所など、ないのでしょう。なにせ…死のうとしていたんですからね」
どうしてそれを…?
「あなたには、ここしか居場所はない。ここには、すべてがあります。あなたが望んでいたものも。ねえ、雪さん」
私の名前…なぜ?
なぜこの人は私のことを何もかも知っているの?
直感が告げる。ここから逃げてはいけない。けれど、恐怖と疑問が次々に胸に押し寄せる。
「…何が望みなの?」
ただ真っすぐに問いかけた。
「簡単なことです。ここに住んで、旦那様に愛されてくださればいい。——それだけです」
執事は微笑んだ。
願ってもないこと。
何もしなくても、愛される?
意味が分からない。そんな人間、いたことがない。
「あなたは誰にも愛されなかった。でも、愛されたいとずっと願っていた。旦那様は違います。何もしなくても、最初からあなたを愛している。実際に助けてもらったでしょう?彼は、あなたをずっと探していたのです」
——確かにあの時、「運命の人」と言っていた。
本当に私を探していた? 私の何を知っているの?
疑問は尽きない。でも、どこにも行けない。どうせ死ぬはずだった人生。
神様、少しだけ——死ぬ前に、愛されてもいいですか?
ほんの夢でも。