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酒に沈む夜は、つづく

作者: 月村幸世

 酒に溺れたい夜がある。――こう言ってしまうと、どこかキザったい。酒飲みがこのような言いわれ方をしていると、まるで酒に泥酔して、てんてこ舞い、口はひょっとこ、吐くのは悪口かゲボのみ、のどうしようもない人間を、一種あこがれの的にしているようで落ち着かない。


 あれらはまだ世を知らない男子、あるいは女子の甘い理想……もしくは過去の恋人、そうした悪いやつに対する冷え切らない恋情を持った人間の言う、負け惜しみのようなものではないかしら。あぁ、そう怒らないで欲しい。こうしたことを知っているのは、私も彼ら、どうしようもない連中の一人であって、このような悪文を連ねていられるのも、安価の酒をちびちび、貧乏くさく啜りながら書いているためなのだから。


 「溺れたい」この言葉を換えたい。海にしろ、金にしろ、人間はそうそう溺れたい生き物ではない。いや、金には溺れたいかもしれない。まぁ、とりあえず、盲目に社会を生きて、はっと何かを思って死ぬなど、私ならごめんだ。私はしっかりとした足取りで、時折立ち止まって、深く呼吸をする――そうした人生を送りたい。


 私がこう望むのは、呼吸をしようとすると、酒が流れてくるからであって、喉を下った酒が食道どころか気管――更にはそれらを突き破って、身体中を侵すからである。そうした状態は、自分でもどうすることもできないから恐ろしい。あの感覚をなんと言おう。


 例えば、夜の10時くらい、帰宅途中に通る繁華街のある店で、酩酊くらくら、酔っ払いがいる。私は顔を顰めて、反射的に彼あるいは彼女を避けようとする。しかし酔っ払いは、私を見つけて、千鳥足にこちらへ来る。私は逃げる間もなく肩を組まれて、「どうして逃げる!」と酒の腐った臭いを鼻腔に感じ、泣きたくなる。こうした二人の状態、つまり溺れた本能と弱虫な理性に分けられる。私の場合、いつもこの理性の方に視点を移される。移される度に、泣いている。


 なので「酒に溺れたい」こんな恐ろしい願望はまったく抱けない。飲みたくない、なのに、飲まなければ生きてはいけない。悲しいから、酒を飲むのである。「溺れたい」なんてロマンチックに言ってはいけない。我々は酒に「沈む」のである。足掻いて、足掻いて、しかし、足掻ききれない自分の甘さによって、ゆっくり、沈んでいくのである。


 願望ではない。悲劇だ。しかし、その悲劇の中にいなければ、自分という人間を保てない。だから沈むのだ。朝、深い海のそこから浮くように目覚めるのは、幸福に出会うためではない。悲劇に甘えるために、目覚めるのだ。


 あぁ、こうしている間に酔ってきた。2Lの日本酒が軽く、秒針を刻む時計は疲れたのか、その間隔を遅らせている。もっと働け! お前ぐらいはしっかりしろ! 日付の変わる深い夜に、冷たいフローリングのワンルーム。窓に映るのは夜の街、煌々と輝く人の灯り。それらは私の中にあって、私を透かして、遠くにある。時計はもう息をしていない。今日が今日のまま、終わってしまった。


 私は今も酒の中。あぁ、水に浸かりたい。澄んだ透明な水に写る私はどんなに幸せだろうか。


 今日も一人、酒を呷る。底から上がることのない、男のはなし。

 

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