走り方の矯正
虎之介は新人戦の後、両足の膝下の軟骨が痛くて走れないという時期があった。成長期の痛みという外科の診断だった。小泉先生に相談し、無理をしない程度で練習に参加した。
中学校生活における英数塾と夜の練習は、虎之介にとって充実していた。1週間が過ぎるのが早かった。英数塾は自転車で通ったが、途中週間マンガ誌を買ったり、駄菓子屋でおでんを食べたりした。勉強ばかりでは頭がパンクしてしまうし、成長期はお腹が空くものだった。マンガは虎之介にとって、当時おもしろい連載がめじろおしだった。
3年生になり、最後の夏の大会は初戦で敗退した。残念がる余韻も無く、次の進路をどうするかという現実的な問題が待っていた。人生を決定づけると言っても過言ではない、高校進学である。
虎之介にとって最大のネックは、走り方が悪く、足が遅いことであることはすでに述べた。野球を続けるかどうかの判断材料であったといえる。そんな時、野球部の友達の親戚の方が陸上の先生で、虎之介の走り方を見てくださることになった。見ていただくと、ロープを腰に巻き、「おヘソを前に引っ張られるイメージ」で実際ロープを引っ張られて走った。するとすぐ、走り方は矯正された。陸上の選手のように、手がきれいに振れているのが自分でもわかった。
いったい小学校4年生からの悩みは何だったのだろう。もっと早くこの方と出会い、走り方がよくなれば、もっと違う人生だっただろう。「たら」と「れば」は、誰しも言えばきりが無い。
とりあえず、これからの野球人生には自信を持って取り組めると思った。