2年生の環境変化
2年生になり、再クラス編成が行われた。虎之介にとって幸運だったのは、中星クラブのキャプテンだった鏡君といっしょのクラスになったことだった。二人の他に野球部員はいなかったので、放課後の部活動は競争するようにカバンを抱えてグランドへ飛び出した。
担任の先生は山中先生といい、学年主任の先生だった。歳は30後半で国語の先生であり、柔道部の顧問も受け持っていた。話方が落ち着いていて、ひと目で尊敬してしまった。山中先生の口癖は、「自分の将来のために勉強しろ。」で、おかげで虎之介の成績は飛躍的に伸びた。
野球部の顧問の先生も新しくなり、小泉先生といった。小泉先生は野球未経験で、英語の先生だった。25歳と若かった。小泉先生は陸上経験者のためか、虎之介に「足が遅い。」とよくハッパをかけた。
小泉先生は雨降りの後、学校のグランドが使えないと「ロードワークへ行く。」と言い、野球部員をジョギングに連れて行った。学校の外を走ってみると、知らない景色にあふれていることに気づいた。
2年生になってしばらくした頃、虎之介の母親がバイク事故で1週間入院した。頭を打ったがヘルメットのおかげで、幸い大事にはいたらなかった。右目の瞳孔の開閉に後遺症が残った。
中間テストも控えており、父親と家事を協力したり忙しかったが、この時のテストの成績は学年で7番だった。英数塾や尊敬する山中先生のクラスかつ、鏡君という模範的な友達が身近になったという相乗効果の表れであった。




