序
その男の家を見た時、私は突き刺されるような痛みを感じた。
白い塀は高く聳え立ち、監視カメラがじっと玄関を睨みつけている。外から見える家の様子も大きな木の枝葉が茂り、家そのものの様子は見えずとも、逆に、その枝葉の隙間から訪問者を見ているような気がする。
私は生唾を飲み込み、本当にこの家がヤマモト・カズオの家か手帳にあるメモを改めて確認した。しかし、何度見ても手帳にメモした住所はここであった。
ヤマモト・カズオは世界的に有名な音楽家として知られている。貿易商を営む父と、音楽家の母親に生まれたカズオは音楽に囲まれて幼少期を過ごし、音楽の道へと自然に進んだ。
貿易商をしていた父親が反対したかどうかは定かではないが、自らの進むままにカズオは音楽に関する国内の大学を卒業し、大学院へと進んだ。
躍進はそこから始まる。
大学院在学中に知り合った劇団員からの提案で作中音楽を手掛けたところ、それが話題を呼んだのだ。あれよあれよという間に名前が広まり、若手作曲家として界隈に躍り出た。
そして、世界中で彼の音楽は愛されていくことになる。
一言で言えば、私は彼がヤマモト・カズオが好きだった。ファンとして。
だから、私は彼に会いに取材を申し込んだのも、言ってしまえば、趣味の、ファンの延長線上の行為ということになる。押しかけファンみたいなものだ。
ぐっと気持ちを押し殺して、玄関の呼び鈴を鳴らす。
二度三度と押すと、玄関がぎいと開いて、一人の女性が現れた。三十代ほどであろうか、黒を基調としたワンピースを身に纏い、小さなエプロンをしていることから見ると、お手伝いさんであろうか。ヤマモト・カズオほどの男であれば、この屋敷にお手伝いさんを雇い入れる事くらい造作ない。あるいは、奥様か。だとすると、かなり歳が離れていることになるが。
「どなたですか」
「あ、すみません。私はこういうものでして」
簡単に挨拶を済ませて、名刺を手渡す。
丁重に受け取った女性は、名刺をじっと見て、それから私をじっと見た。
「記者さん、でしたか。それで、ご用件は」
「えぇ、そうなんです。で、実はですね。この街の環境問題について記事を書くところでして。それで、この街の雄氏でもある、ヤマモト・カズオさんの意見をお伺いしたいんです。お会いすることはかないませんかね」
「たしか」
女性は静かに口を開いた。
氷のような冷たい声だった。
「少し前に電話でも似たようなお話を伺いしたかと思いますが」
「えぇえぇ、そうなんですよ。私の同僚が先にアポをとろうと思ったのですが、断られたという訳で、こうやって直接」
嘘だ。
少し前に電話をかけたのは私だ。しかし、電話でのアポイントメントがとれなかったから、こうやって押しかけたのだ。
女性は私の爪先から頭の先までをじっと見て、それから、憐れむように息を吐き出した。
私もつられて爪先を見る。そこには、泥がついて汚れた私のスニーカーがあった。
「どこから来られたのですか」
「都会の方からです。あのバスを三本乗り継いで」
「では、お疲れでしょうから、お帰りになられてはどうでしょうか」
案の定の素っ気ない返答がかえってきた。
何とか食い下がろうとしてはみるものの、何を言ってもその女性は何とも気のいい答えはなく、無様にも扉は閉ざされてしまった。玄関前に一人残された私は、なんとも惨めに監視カメラに撮られている事であろう。そして、それを見るかもしれないヤマモト・カズオの事を考えて、私は恥ずかしくなり足早に立ち去った。
屋敷の脇の路地がちらりと見えて、その奥に一度逃げ込む。
ゴミ箱が置かれており、普段はここにゴミを置いているのかもしれない。
が、そこにも監視カメラがあった。
まさしく、周囲を見張っているようにカメラがあり、路地から逃げ出した。