ひとりで強く、生きて行くために
その、まだ幼いキツネは毎日、勉強することだらけだった。
母親キツネと、数匹の兄、姉
それらに囲まれて、幼いきつねは、やがて大人になったときのための訓練を
毎日、その体に覚えさせていった。
兄とのじゃれあいは、狩のため
姉との宝捜しは、嗅覚の訓練
そして、母親の厳格さから、相手に対する支配力を。
彼の母親はとても優しく、また、厳しかった。
彼は母親の中に、愛を感じることはできたけど
でも、どこか、どうしても越えることのない壁が、彼と母親の間に存在する気がしていた。
『おまえは今私を必要としてるけど
ずっとそのままなわけにはいかないんだ。
いつか私がいなくなったとき
おまえが一匹になったとき
お前が困らないように、お前を大人にするために、
そのためだけに、私はお前と一緒にいるだけなんだ』
彼は確かに母親の目から、そう感じていた。
それに彼はちゃんと知っていた。
生きていくためには、外の世界に対して、常に力を行使する必要がある。
それをやめて、うずくまってしまったとたん、世界から消されてしまう。
それが、世界の法則だだから自分は強くならなくてはいけない。
母親はそれを望んでいる。
だから、彼はがんばった。
母親の期待に、こたえるために。
この世界で、生き残れるように。
そんな、彼を母親は、ただ見つめていた。
ある春のよく晴れた日。
異変は唐突に、前触れもなく起きた。
優しかった母親が、子供たちを襲う。
兄弟たちは混乱した。
どうして?どうして?
きっと何かの間違いだ。
母親に近づく。
容赦なく突き刺さる、母親の牙。
鋭い、爪
まるで別人だ。
なぜこんなことをするのだろう。
お母さんは、僕たちのことが、嫌いになったの?
ごめんなさい。
もう悪いことはしないから。
だからお母さん。僕たちを許して。
拒絶。
そして、暴力。
兄弟たちを追い払う母親。
彼もまた、兄弟たちと同じように、母親を混乱の目で見ていた。
なぜだ、ぜだ、なぜだ、なぜこんなことをするの、お母さん
「・・・・そうか」
彼は、突然理解できた。
母親の意図を、母親の、気持ちを。
とうとう、この日が、来たんだね。
兄弟たちは恐ろしく変貌した母親から
やがてあきらめたように、離れ始めた。
ちりぢりに別れる家族。
彼も決心し、母親に背を向け、歩き始めた。
でも、一度だけ、彼は振り向いた。
視線の先に、まっすぐこちらを見ている母親がいた。
「行け、そしてもう、私には近づくな」
母親の目は、確かにそう言っていた。
瞬間彼は、振り向くのを止め、全速力で走り始めた。
やっと成長した足が、ちぎれんばかりに、彼は走る
見慣れた野原、隅々まで知っている林を駆け抜ける。
もう、ここには戻らない。
さようなら、お母さん
幼かったキツネは、この日を一生忘れないだろう。
それは、春になれば、あちらこちらの野原で起こる。
ひとりで強く、生きて行くために