第8話 不思議な庭のアリス
「ラティナ様は、まさか・・・・・・」
(ドキッ! バレましたか?)
リオにリゼルの事がバレたのかと思い、ラティナの心は動揺した。
だが、リオの目には輝かせていた。
「素敵な彼氏を見つけたとか」
「・・・・・・」
勘違いをしていた様だ。
「え⁉」とクエスが真に受けて驚いていた。
「そんな訳ないでしょ」
リオの勘違いにサラが即行でツッコミを入れた。
「でも・・・サラちゃん、ラティナ様だってもう恋をしたい年頃だよ~」
リオが言った”恋”という言葉にラティナの心の中から引っかかりを感じた。
(私がリゼル様に恋を?)
「だからと言ってあんな時に恋する出来事が起きる訳がないでしょう。そうですよね? ラティナ様」
「ふぇ? あ、はい、違います」
「ほら、見なさい。ラティナ様も違うと言ってるわよ」
「だって~・・・・・・」
「大体、貴女はいつも楽観的な事ばっかり考えて・・・・・・もう少し真面目に頭を使いなさい」
「うぅ~な、何よ~楽観的で何が悪いのよ~! いつもキツイ事や冷たい事ばっかり言うサラちゃんだって人を傷付ける問題があるでしょうが~!」
「何ですって! 私はただその人のダメな所を治して欲しいと指摘してるだけよ!」
「まあまあ、二人共、喧嘩は止めて下さい。サラさんもリオさんも私や皆のために考えて口にしている事ですから」
「・・・・・・そうですね。すいません、お見苦しい所を見せてしまって・・・・・・」
「ごめんなさい・・・・・・」
「いえ、私は気にしていません。それよりも久しぶりにクエスさんとお話がしたいです」
「・・・・・・そうでしたね。それでは私とリオは今日話した、ルブルーショによって追放された行方不明の人達の名前を取りまとめにしますので、ラティナ様はクエスさんとお二人だけでごゆっくりとお話して下さい。さぁ行くわよ、リオ」
「ごゆっくりと・・・・・・」
サラとリオの二人はお辞儀を取り、部屋から立ち去ろうとした。
するとサラは立ち止まり、ラティナの方へ向けた。
「その前にラティナ様。一つだけ言わせてもらいます」
「ふぇ・・・・・・?」
「私達にも言えないお悩み事ならば今滞在しているジャンヌ様かポリッチェ様にご相談して下さい。先輩癒療師であるお二人ならばきっと貴女の悩みを晴らしてくれるでしょう」
「・・・・・・本当にすいません・・・・・・」
「いえ・・・・・・本当に怒っている訳ではありません。謝るならば私の方です。確かに私の口では厳しい事しか言えず貴女を更に気を悪くさせてしまうかもしれません」
「そんな事は・・・・・・」
「ですが私もリオも人のために考えて最善に尽くします。悩み事も苦しい事も全てラティナ様に押し付ける訳にはいきません。貴女を手助けするのが私達補佐官の役目ですし、同じ人を助ける“仲間”でもありますからもっと頼って下さい。それでは・・・・・・」
サラは再びお辞儀をし、部屋から出た。
「・・・・・・ラ、ラティナ・・・今日はどっちからでどこから話せばいいんだ?」
サラの言葉を受けてラティナが呆然しているとクエスがたどたどしい口調で話しかけた。
「・・・・・・ふふ・・・それではいつもの様にクエスさんから今回の任務先での起きた事を話して下さい」
クエスは、頭が良くなく優柔不断で人と話すのも余り得意ではない。その事を知り、彼女を上手く誘導して会話を合わせるラティナとの楽しい時間を過ごしていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ねえ、ラティナ様は本当に恋人を作らないのかしら・・・・・・」
「はぁっ・・・・・・またそんな事を言うの・・・・・・」
ラティナの部屋から出た後、リオの呟きに対し、サラがため息を吐く。
「だってラティナ様と同じ聖女のポリッチェ様やマオ様にリアン様にはとても仲の良い相手がいるのよ。このままだとクエスさんがラティナ様の恋人になっちゃいそうだよ。流石に女同士はちょっと・・・・・・」
「・・・・・・私もそんな不純な事は許さないけどクエス先輩の好意はそこまでじゃないと思うから・・・・・・たぶん・・・・・・」
「それにラティナ様は言ったわ。五年前、修道生時代のわたしが運命の彼氏を見つけて婚約を決めた時、ラティナ様が「私も結婚に憧れますね」と」
リオには婚約者の男性がいる。ただし、今から直ぐに結婚する事は出来ない。何故ならば、多忙な聖女を常に支える女性の補佐官は結婚をした後に子作りと子育てをしなくてはならないため、長い休暇を取るか、あるいは引退をしなければならない。
最近では母の代わりに家事を行う男性が増えてきたがそれが出来ない人の所へ嫁ぐ場合があるのでどっち道、結婚するのは三十歳過ぎて後任が就いてからだった。
そのため、リオは結婚するのは三十歳になるまで保留で相手も承諾したのであった。
サラも自分が認める頼りになる後任の補佐官が就くまで結婚を断固拒み続ける気であった。
「そもそもラティナ様に結婚は無理な話なのよ。エンジェロスだから・・・・・・」
「だから! 私はエンジェロスだからという理由だけで異性と恋愛をしないのが嫌なの‼ だって・・・・・・それじゃあラティナ様が可哀そうじゃない・・・・・・」
納得の出来ないリオは憤り、声を上げた。
「落ち着きなさい、リオ。あなたの気持ちは分かるけど・・・これは仕方のない事よ・・・。ポリッチェ様達は前世、人間だった頃からの付き合いだけとエンジェロスは子を産めない。だからラティナ様に結婚は意味のない事よ・・・・・・」
エンジェロスも元は人間。心があれば恋だってする。しかし、次の時代への新しい命である子を産む事は出来なくなっていた。
これまでの歴史上、現在でラティナが誕生するまではエンジェロスから子が産まれる事は無かった。
「でもラティナ様はエンジェロスのお母様から生まれたお方よ」
「そうね・・・・・・どうしてラティナ様を産む事が出来たのか医術師の人達も頭をひねらせて考えたみたいだけどラティナ様の母方の固有理術による作用の一つなのかユーセルさんとの相性が良かったからなのかという結論を出した位で明確な答えは未だに分かっていないわ・・・・・・。でもね・・・・・・」
サラはうつむいている親友の左肩に優しく触れた。
「リオ・・・・・・ラティナ様を幸せにさせたいあなたの気持ちは良く分かるわ。でもね・・・ラティナ様は私達が一緒にいるだけで十分に幸せなのよ」
「サラちゃん・・・・・・」
「さぁラティナ様のためにも私達の今出来る事をしに行くわよ」
「うん・・・・・・」
サラとリオの二人は再び歩き始めた。
(そりゃ私だってラティナ様の将来が心配だわ。でも・・・ただの人間である私達ではいつまでも支える事が出来ない・・・・・・。エンジェロスにならない限りは・・・・・・)
ただの人間と寿命も老いも無く、病気で死ぬ事の無いエンジェロスでは生きる時間は違う。
サラもリオもいずれは老い、弱まり、現役から退くしかないであろう。善意の悟りを開いてエンジェロスへと転生しない限り。だが、サラはなろうという気持ちはあるが恐らく自分の性格ではエンジェロスにはなれないだろうという思いも在って半分諦めていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
クエスとの楽しい会話は彼女が話のネタを尽きてしまったので、終わりとなった。
クエスが部屋から出て行き、ラティナは一人となった後、再びリゼルの事や過去の無念を思い返しだした。
(う~ん・・・・・・好きかどうかは分かりませんがやっぱりあの人の事が心配で今、無事なのかどうししているのか気になって仕方がありません・・・・・・。でもどうしたらいいのでしょうか・・・・・・)
ラティナはこの国の大事な癒療師。そう簡単に共和国領の外、ここの大聖堂から出して再び外の世界に行かせてもらう許可はもらえそうになかった。現に今いる部屋のドアの前に見張りが二人立っている。ラティナが出ようとすれば見張りに理由を問われてしまう。
(ここはサラさんの言う通り、ジャンヌさん達に相談したいのですが、流石にリゼル様の事となれば正直に言いにくいです・・・・・・。あれ?)
ラティナがいつまでも想い切れないもやもやと考えているとある物が目に入った。
それは部屋に無かった筈の人一人が等身丸ごと映せる大きな鏡がいつの間にか置かれていた。
「ここにこんな大きな鏡ありましたっけ?」
気になったラティナは鏡の表面を触れた。
すると触れた右手が沈み始めた。
「ふぇ・・・? ふわ? ふわわわ~⁉」
水の中に沈んで行く様に向こうから何かの力に引っ張られ、右手から顔と体まで鏡の中に吸い込まれて行った。
吸い込まれた先にラティナが目にしたのは、一面緑の草が生え、垣に多くの真紅の薔薇が咲き誇り、中央に白いテーブルとその周りに同色の椅子に座っている青いドレスの上に白いエプロンを着た金髪の少女が居る庭だった。
完全に鏡に吸い込まれ、ラティナは向こう側の庭の芝生へ倒れ込んだ。
「ようこそ、ラティナ・ベルディーヌさん」
ラティナは声がする方向に顔を上げた。
椅子の上に優雅に座る十歳位の金髪の少女がとても可愛らしい顔立ちで微笑んでいた。
そこに香りの良い紅茶の匂いがした。
「わたしの名はアリス。一緒にお茶会にしませんか?」
「あ・・・はい・・・・・・」
アリスと名乗る、目の前の椅子に座っている少女に誘われ、ラティナはつい釣られて二人だけのお茶会の参加に即答で返事してしまった。何故、自分の名を知っているのか疑問に思う前に。
「ではお座り下さい。今、お茶をご用意しますので」
「はい」
返事をした後、ラティナはアリスと向い合せになる反対側の椅子に座った。
「ホワイト。ラティナさんの分のお茶を」
「はい、ただいま」
第三者の声が返事をした。
ラティナかの視点から右の方にいつの間にか奇妙な人物がティーポットとカップを持って立っていた。
その奇妙な人物とは、体は黒い燕尾服を着た長身の古風執事らしい人だが、頭には右目に片眼鏡を掛けた白い兎の被り物を被っていた。声からして性別は男であって彼がホワイトと言う名で間違いないだろう。
「どうぞ」
ホワイトとうい名前らしき兎頭の執事が紅茶を注いだばかりのカップを白い円型のテーブルの上、ラティナの眼下に置いた。
「ありがとうございます」
普通の人だったら戸惑いそうな珍妙な恰好をした人物が目の前にいるにも関わらずラティナは少々気になりつつも特に引いたりせず普通に笑顔で接した。
ラティナの眼下に置かれた紅茶から温かい湯気の中に混じった程良い薔薇の香りが漂わせた。一口飲んでみるとえぐみが少なく甘さと酸味が調和された美味を味わった。
「ふわぁ~美味しいです」
「ふふふ・・・・・・良かった。その紅茶は私が育てた薔薇を使っていますがお口に合えて良かったです」
アリスと言う名の少女も微笑んで紅茶を飲み始めた。
ラティナはティーカップを皿の上に置き、今いる辺りの赤い薔薇が咲き乱れた垣の庭を見回した。紅茶を再び飲む時に今度は空を見上げた。空は雲一つもない青一色の空だった。そう不自然に。正に作り物の空であろう。今いるこの庭、地面の芝生も薔薇の垣もこの世界そのものが恐らく、アリスが理力とマナで作り出したものに違いないでだろう。何故、そう決めつけたかというとラティナの理力感知能力で感じ取ったからが第一の理由で、第二の理由は、ラティナは彼女の事を知っていた。
ラティナは次にアリスを観察してみた。見た目は、髪は長い金髪だが同じ金髪で直進的なストレートヘアーを持つジャンヌとは違いこちらはふんわりとしたウェーブがかかった柔らかそうなゆるふわパーマで、その頭の上に付けた、風や頭の動きに従い揺らして動く兎の耳と思わせそうな青いリボンがこれまた愛らしい印象を与えた。目の色は空と同じ澄んだ空色。リボンと同じ青色の広がったスカートと看護婦の服の上に白いエプロンを着た、十代位のとても可愛らしい美少女だが、彼女はただの人間の少女ではないと分かった。何故ならばアリスの頭上に空色に光る輪”天輪”が浮かんでいた。そう彼女の正体はエンジェロスだ。
「どうかしましたか?」
アリスはラティナに見られている事に気づいた。
「あ・・・あの・・・・・・貴女はもしや”世界の聖女”のアリス・リデルさんですか?」
現在、精霊教会に認定され、所属している癒療師は十二人いる。
妖精の国の癒療師、”蝶花の聖女”ポリッチェ。
空の国の癒療師、”歯車の聖女”オズマ。
和の国の癒療師、”月の聖女”輝夜。
漢の国の癒療師、”黄金の聖女”三蔵。
超人の国の癒療師、”蓮の聖女”リアン。
砂漠の国の癒療師、”幻煙の聖女”シェヘラザード。
人獣の国の癒療師、”鳥獣の聖女”マオラカ。
娯楽の国の癒療師、”銀貨の聖女”ステラ。
湖の国の癒療師、”騎士の聖女”ジャンヌ。
夜の国の癒療師、”玻璃の聖女”アーシュ。
眠れる森の癒療師、”茨の聖女”アウラ。
そして花畑の国を代表する癒療師、新米聖女のラティナ。
だが、ラティナは、リオから十三人目の癒療師が現世に存在しているという真実なのか嘘なのか定かではない噂を耳にした事があった。
それが”世界の聖女”アリス・リデル。彼女の事はラティナが修道生だった頃に学んだ歴史の授業で歴代の聖女の一人として知られていた。
「私がアリス・リデルだとしたら?」
「どうして貴女はこの世に転生した事を精霊教会に知らせたりしなかったのですか?」
「それはね・・・・・・」
アリスは口元に右手の人差し指を当てた。
「秘密です♪」
悪戯好きな子供みたいな笑顔に答えた。
「・・・・・・秘密・・・ですか?」
「それでは今度は私が質問をする番ですね。貴女の悩み事は何ですか?」
「そ、それは・・・・・・」
ラティナは迷ったが、直ちに決断した。
「実は・・・・・・」
ラティナは三日前、アップグリーン・パークで起きた出来事、ディアボロスに襲われ、その次に機械化兵団という集団が現れ、カワキが殺され、自分が大量の血を見て気絶して彼の命を救えなかった事に後悔している事をリゼルの件を除いてアリスに話した。
「そうか・・・・・・それが貴女が暗い気持ちになっている理由なのですね?」
「はい・・・あの時、私が・・・・・・いえ・・・・・・例え、あの時に血を見て気絶しなくても今の私ではカワキさんを助ける事は出来ないでしょう・・・・・・」
ラティナはあの時、今でも思い出すのがとても嫌に成程、辛い心傷を思い返した。それはモイの理導針銃の餌食となったカワキが数百の針を体中に撃たれて絶命した時の記憶だ。
脳も心臓も停止した以上、どんな重傷も再生できる聖属性の回復の理術だろうと失われた命を戻す事は出来ない。すでにラティナではどうしようも出来なかった。最も死者を蘇生する事は聖女だろうが不可能な事だ。
「私は・・・自分が情けないです・・・・・・」
ラティナの宝石の様に輝く青い瞳から不意に涙がにじみ出た。例え自分やラティナの父を含む理術使いの同胞達を捕まえた悪者だろうと目の前で死なれる事はラティナにとって望ましく無い事であった。
「貴女のお気持ちは良く分かりますがそれは仕方の無い事」
アリスはカップを置き、空いた右手を上に差し伸べた。
「人から進化したエンジェロスといえど神でもなければ万能でもありません」
アリスの掌の上に理術で生成した水を落とした。
落とされた水がアリスの小さな掌から溢れ出ては、地面に流れ落ちていく。
「この様に例え全力で尽くして救いの手を差し伸べ様としても掴めず零れ落ちてしまうもの。だけどね・・・・・・」
水が零れ落ちた掌の中にほんの僅かな水が残っていた。
「この掌の上に残った水の様に救われた命もあります。そう・・・・・・”紅黒の魔獣”リゼルを救った様に」
「ふえ⁉」
ラティナは話していない筈のリゼルの名を聞いて驚いた。もし、紅茶を飲んだままだったら思わず噴き出していただろう。
「な、何故その人の事を・・・・・・?」
「くすくす・・・・・・ごめんなさい♪ 実は知っていたの」
笑いながらアリスの右手から掌片方で持てる位の大きさの長方形のカード型の手鏡が現れた。
「貴女の悩んでいた様子はこれで全て見てました♪」
先程ラティナを慰めた時の顔は見た目を反する成熟された大人の感じを表していたが時折切り替える見た目相応の人をからかわせる顔が無邪気ないたずらっ子にも見えた。ラティナは今まで出会ったどの聖女にも無く、自分が想像していた”世界の聖女”の実際の素顔を目の当たりにして呆然とするしかなかった。
しかし、ラティナがこの世界に連れて来られた鏡も今アリスが持っている掌位の鏡もおそらくアリスの霊装だろう。そして空間をも超えるこの鏡の霊装の能力を使って気付かれずにこっそりと置いて癒療師ならば必ず会得している理術能力《心眼》を使えれば鏡を通してラティナの心情を読む事が出来るだろう。その事を呆然から立ち直って気付くと自分が悩みまくって部屋の中をうろついていたり、ベッドの上で寝転んで考え事をしていたりしていた姿まで見られていた事に気付き、ラティナは赤面した。
「さて貴女が今一番気になっている”紅黒の魔獣”の事ですが。彼は今、私達が捕まえてある場所に閉じ込めています」
「そ、それは本当ですか⁉」
驚きのあまり、テーブルに両手を置き、身を乗り出すラティナ。
「今その方はどこにいるのですか? ある場所というのは・・・・・・」
「奴は危険だ」
ラティナが質問の最中にいきなり第四者の声が出た。
声は男性のものだが兎頭の執事ではない、ラティナの視点から左の隣、アリスの方から右の隣にいつの間にかいた、これまた怪しく奇妙な恰好、目を引く程派手な赤紫色と黒の格子縞柄の燕尾服を着ていて頭に赤紫色の大きな帽子をなんと首の上まですっぽりと被った人物が紅茶を右手に持って座っていた。
「やあ。お初にかかる。私はマッド・ハッターと呼ばれている者。こう見えて商人さ」
「は、初めまして・・・・・・」
流石にラティナはマッド・ハッターと名乗る男の奇抜な帽子の頭の姿には驚かずにはいられなかった。目の部分に穴が二つ開いていて見える様になっているが口が無いのでどうやって紅茶を飲めるのかも気になっていた。
自らを商人と自称しているが、兎頭が黒の燕尾服で執事と見えるならば帽子男は派手な赤紫色と黒の格子縞柄の服と帽子の頭の姿で道化師かサーカス団の団長みたいだと思えるだろう。
「彼・・・“紅黒の魔獣”リゼルはあのまま、あの場所で一生大人しくもらうよ。何しろ奴はかつて世界中の人間を滅ぼそうとした怪物さ。見た目はただの人間の若者だがその身には理術使いとは違うディアボロスの力を宿している。”精霊の約束”に縛られる事もない。一層の事、消した方が私は良いのだが、アリスの願いでね、その考えはダメにしている。だから奴はある場所で閉じ込めて外に出さない様に一生閉じ込めるつもりだよ」
「あ・・・あの人は、噂とか思っていたよりも…そんなに悪い人ではありませんでしたよ」
「なんでそう思うかね?」
「私と三日間一緒にいましたがちょっと怒りっぽいですがそんなに悪い人ではありませんでしたし、今記憶喪失ですよ」
「そんなの君が記憶喪失中の彼から見えるだけの範囲で勝手に思っているだけだ。今は記憶喪失でも過去は過去。私達は知っている。彼奴は過去に数え切れない罪をたくさん犯した。“紅黒の魔獣”の本当の姿は間違いなく害悪の事実だ」
マッド・ハッターは立ち上がり、ラティナを帽子の空いた穴から冷たく鋭い眼差しを見下ろした。
「今記憶を失っても人間を拒絶しているまま。近づく者は容赦なく傷付ける。そして何かの切掛けにより記憶が戻ったその時には再び人類の敵となるだろう。そうなった場合、君はどうするつもりかね」
ラティナはしばしの間だけ、顔を地面に向けて考えた。それから表情が、何か打開策を思いついたのか決断した顔へと変わり、帽子男の眼へと向けた。
「・・・・・・そうなる前に・・・・・・私がリゼル様を更生させます‼」
「そう簡単にいくと思っているのか? その前に君がリゼルに殺される」
「私は三日間もリゼル様の近くで過ごしました! 殺される事はありませんでした!」
マッド・ハッターの帽子の頭がラティナの顔に近づき、穴から覗く冷たい眼光がより鋭く射た。
「君は馬鹿かね? 赤の他人である”紅黒の魔獣”に肩を持つつもりかい? 例え君に痛い目や嫌な事をされていなくともいずれ何かの切掛けにより奴の本性が目覚め、君を殺しにかかるだろう。その上に彼は世界中、精霊教会や帝国等の敵だ。そんな大悪党の”紅黒の魔獣”リゼルと共にいると君までとても厳しく辛い目に会うだろう。果たして君の様な半人前の癒療師が奴の閉じた心を開かせる事が出来るかね、ん? この世は君みたいな箱入りお譲様が口にすれば誰もが優しくなれる訳が無い程甘くは無いんだよ」
マッド・ハッターから感じられる圧に押されながらもラティナは勇気を振り絞って答える。
「・・・・・・確かに貴方の言う通り、私はまだ半人前の癒療師ですし、この世は全てが思い望んだ結果になれる様な甘い世界では無い事は分かっています。・・・・・・それでも私は例え赤の他人だろうと悪い人だろうと誰だろうと癒して救いたいのです‼」
「本気かね? なんでだね?」
「はっきりとした事は言えませんが、それは私が癒療師だからです! 半分ですがエンジェロスでもあり聖女としてでもあってこの世に生まれた時から持った私の役目だと私はそう考えています。そのためにも私は成長もしなくてはなりません。先程アリスさんの言った言葉を加えるならば多くの人を救える様な器になれば良い事です!」
「ふ・・・・・・ふはははははは‼」
突然と腹を押さえて大笑いするマッド・ハッター。
「えっ・・・・・・? 何故そこで笑うのですが?」
「ふぅ・・・・・・それはそれで有りだなと思ったからだよ」
「はい、それもまた正解のひとつ。それでこそ聖女ラティナ・ベルディーヌです♪」
両手を軽く叩いて拍手するアリス。
「実を言えばね、彼にはやってもらわなければならない役割があるのだよ」
「その役割というのは?」
「詳しい事はまだ言えません、がそれは世界の命運に関わる事です」
「世界の命運? ・・・・・・それってま、まさか世界が滅びるかもしれないという事ですか?」
「今世界は貴女の知らない所である”闇”が密かに大きく広がっています。スルト教団の勢力拡大もその影響の一つです。この闇を祓うためには”紅黒の魔獣”リゼルの力が必要です。そして貴女は彼を抑え、共にする同伴者として旅に出てもらいます」
「私ですか⁉」
「貴女なら彼を任せられると信じていますよ。ハッター」
「うむ」
アリスに名を呼ばれたマッド・ハッターは右手を握り締める。それから手を開くと何も無かった筈の右手の上に空色に煌めく鍵型の小さな物質が現れた。
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