第3話 記憶喪失
再び部屋で二人っきりになったラティナとリゼル。
「「…………」」
リゼルは横寝のまま、相変わらず黙っていた。
長い沈黙にたまらずラティナは口を開いた。
「あ…あの~リゼルさん……」
「……なんだ?」
「ひっ……!」
リゼルに睨まれ、怖じけるラティナ。
「取りあえずお前、俺の事をリゼル様と呼べ……」
「は、はい……。リゼル様、私に何か聞く事はありませんか? 例えば私についてとか……」
「ん……そうだな……じゃぁ……」
リゼルは寝そべったままだが、ラティナの方に向き、口を開く。
「さっき、最初にお前が言ってたえんじぇろって何だ?」
「エンジェロスの事ですね? はい、分かりました。それでは分かる様に順に説明していきます。まずは理術についてから説明しましょう」
「りじゅつ?」
「私の右手を見て下さい」
ラティナは右手を上げて唱える。
「《照明灯火》」
口に出した瞬間、掌に赤い光の粒子が集まり、橙色に光る球が出来上がり、宙に浮かび上がる。
「な!?」
思わず驚きの声を漏らすリゼル。
「理術とは、この世界の生き物、誰もが持っている理力を使い、自然を司る神様とも言うべき方々、精霊さんにお願いして、自然の力を借りて、今の様に現象を引き起こす術の事です。人は理術を操る人達を理術使いと呼びます。理術には二種類あります。まず、今、使ったのは火属性の初歩的な理術で明かりの光の球を作るものです。本来は精霊さんに具体的にして欲しいお願いをする言葉、“詠唱”と後に上げる合言葉、“発唱”を唱える必要があります。これを“願唱理術”と言います。ですが、今さっきの様にたくさん使い続ければ発唱のみで使える様になります。」
「つまり、魔法か?」
「大体近いですね」
そう言った後、ラティナは右手に浮かぶ光の球を消した。
「先程の貴方の怪我を治したのも私が回復系の理術を使ったからです」
それを聞くとリゼルは目覚めた時から体中、いたる所に怪我をしていた事を思い出した。
「……そう言えば、お前、俺がやった……肩の怪我も自分で治したのか?」
「はい。もうこの通りです」
ラティナの左肩はリゼルの爪で斬られ、深手を負ったはずだが、今はもうその傷は無かった。それどころか彼女が着ている法衣までもが治っていた。
ラティナの回復の理術は服にも効果が及ぶのか。それならばリゼルの服も全て元通りになる筈なのだがボロボロのままだった。
「理術はエレメントという自然界のからエネルギーとか物質から構成されているものがありまして、その種類は 火、水、風、土、影、聖の六大属性があります。それらの属性には人によってそれぞれを司る精霊さんに好かれる事により、扱える属性の理術も決まってきます。次は理術能力もしくは固有理術について説明します。《アンペインローゼ》」
ラティナの右手からかつてリゼルの攻撃を受け止めた薄紅色の傘が現れた。
「その傘は……!」
「これが私の固有理術にして“霊装”、《アンペインローゼ》です。固有理術は精霊さんに頼らず、エレメントと自身の理力のみで起こす特有の理術で、それをその人の持っている人格、扱える属性、潜在的な能力から得意となる、使いやすい武器を体現した物を霊装と言います。そして……」
《アンペインローゼ》の傘布が分離し、ラティナの背中に六枚の大きな花弁となった。
「この様に理術を修め、心を学び続け、限界点を超えるまでに成長して霊装の翼を得た人はエンジェロスと呼ばれる様になります」
六枚の翼を持ったラティナの姿は神々《こうごう》しく神秘的で正に天使だった。
「……傘の翼……?」
リゼルの一言は神秘を台無しにする言葉だった。
「……はい。私の特技は治癒と防御が得意な事、それと……あまりピンと来ませんが突く方の剣の才能があるらしく、それらの結果から傘という形になってしまいました……。戦うのは得意じゃないのに……。傘が武器というのは変だと思いそうですが、これはとても柔らかく丈夫ですし、確かに盾よりとても扱いやすく、それとおしゃれでとても似合う武器だと一部の人達から評判も良く、私は気に入ってます。……って、あ~~リゼル様、どこへ行くのですか~?」
リゼルはベッドから立ち上がっていた。
「……トイレに行く。後、体まだ冷えてるから温めたい……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アップ・グリーンパークの下水処理場には、夜通しに働く人、汚れと腐臭を落とす為に備えられたシャワー室がある。そこにスルト教団が酷寒の地でより体を温める様に仮設の風呂を作っていた。
リゼルは部屋の前にいた見張りの団員その一に案内され、シャワー室に着いた。
服を全て脱いだリゼルはシャワーの湯で限界まで溜まりきった湯船に浸かり、二年も氷の中に閉じ込められ、冷えた体を温めていた。
そこにシャワー室の扉が開く音が聞こえた。
「し…失礼します……」
ラティナが全裸にタオルで前だけ隠した姿で入って来た。
「ななな、お前、何入って来てんだよ!?」
リゼルは大いに動揺して両手で股間を隠した。
「リ、リゼル様のお体を洗いに来ました……。障害者を最後まで完璧に治すまで、面倒を見るのも癒療師の役目ですので……」
そう答えながら一歩ずつ歩いてリゼルの許へ近づくラティナの頬は赤く染めて恥ずかしい気持ちを表していた。
「そういえば起きた時に着てた服、違うと思っていたが、まさかお前が俺の服を脱がしたのか!?」
「……癒療師って看護婦なのかよ?」
リゼルの視線がラティナの裸体をちらちらと見ていた。
タオルは長いだけそう大きくなく、白く美しい肌と大きい胸、曲線美の尻が完全に隠し切れず、より煽動的な印象を与えた。
「正しくは癒療師とは理術を使って怪我した身体を治したり、心を癒す事を役割とした理術使いの事です。あ…あの……あまり見ないでくれませんか? 恥ずかしいので……」
自分の裸を見られている事に気付き、困っていた。
「なら……入って来んなよ……。もう怪我治ってるから動き回れるし、体を洗う位、自分でやれる……」
右手で上下に振り、ラティナを追い返そうとする。
「で…でも、貴方は記憶喪失ですし……、外傷を全て治したとはいえ、後遺症が出るはずです。本来ならベッドの上でもう少し安静しないと……」
近づいてリゼルの手を触れようとするラティナ。
「いらんと言ってるだろ!!」
ラティナは驚き、濡れた床に滑り、一回回って湯船の方へ倒れる。
タオルは手から離れ落とし、胸のたわわに育った二つの実がリゼルの顔に乗せつける。
「~~~」
こらえていたラティナの羞恥心が爆発した。声にならない声を発し、すぐ様立ち上がってシャワー室から駆け足で出て行った。
その場に残ったリゼルは一分間、硬直した後、顔に覆った胸の感触を思い出し、真っ赤な顔になって湯の中へ沈んだ。
それから風呂から出て、シャワーの開閉ハンドルを左に動かし、噴水口から冷水を出して火照った体を浴びた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
風呂から出た後、部屋に戻るとスルト教団の団員達がリゼルのためにたくさんの料理を運んで来た所だった。
ついさっきのシャワー室の事故以来、ラティナとリゼル、二人の間に気まずい空気が漂っていた。
「……あの……リゼル様……先程はすいませんでした……」
「……何か……?」
しらばくれるリゼルは二年ぶりの食事を堪能しようと黙々と食べ始め、テーブルの上に乗せられた料理が凄い勢いで減らした。その食べっぷりにはラティナも驚いていた。
リゼルの様子から見て、後遺症は無さそうだった。
(……この人、本当に“紅黒の魔獣”なのでしょうか? 見かけは普通の人間だけど……)
だが、最初、リゼルが復活した時は、彼の右腕は凶器如きの爪に変貌したという普通の人間じゃない事実を持っていた。
何者かと聞こうにもリゼルは記憶喪失だった。この状態ではラティナの《心眼》では判別する事は出来ない。
「あの……リゼル様」
「……何だ?」
ラティナに呼び掛けられ、食事を止めるリゼル。
「私からの質問よろしいでしょうか?」
「……俺が答えられるものがあればな」
「リゼル様は世界征服を今でも目論んでいますか?」
「別に……世界征服なんて興味はない。」
「そうですか」
安堵の息を吐くラティナ。リゼルは食事を再開した。
「……ごちそうさま……。……次はこちらからの質問いいか?」
「は、はい。何でもどうぞ」
「お前ら、え~~と……ス…ス…スルト教団、は俺を使って何をさせたいんだ?」
「私はスルト教団ではありません。精霊さんを信仰する精霊教会の者です」
「そうなのか? なら何故ここにいる?」
(つーか信仰する奴に“様”じゃなくて” 精霊さん”呼びは良いのかよ……。別にどーでもいいが)
「私の父と仲間の人達を助けるため、故郷のプランタンから来ました。……でもここに着いた途端、スルト教団の人達に捕まってしまい、今、手伝わされている状態なんです……。それでリゼル様にお願いがあります。私の事はいいですからお父さんと他の捕まった人達を解放してもらえませんか?」
リゼルに懇願するラティナ。“紅黒の魔獣”と崇められている彼ならばスルト教団も言う通りにする筈だろう。だが……。
「……なんで俺がそんな事をしなくちゃならないんだ?」
他人事の様に断られた。
「捕まったそいつらは人質だろ? そいつらを解放したら仕返しに襲いかかってくるに決まっている」
「そ、そんな事は……」
「どっち道、お前らがどうなろうと俺には関係ねぇ」
「関係ないって……」
「俺は人間じゃない」
リゼルの右手が黒い鉤爪に変異する。その爪で脅している事を示す様にラティナの方に向ける。
「……」
この時、ラティナの《心眼》がリゼルの本性を読みとった。
リゼルの心の中は暗い闇があった。
記憶を失っていてもリゼルは本能的に人間を憎む程、嫌っていた。
ラティナも自分を慕っているスルト教団も誰も信じようとはしなかった。
“紅黒の魔獣”と呼ばれた記憶喪失の青年リゼル。彼は何者かにしろ。人間に対して信用せず、一切の慈悲も無かった。
ラティナは考えた。それから決意を決めた。リゼルを説得して更生させようと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
“紅黒“の魔獣”リゼルの復活から三日後。
アップ・グリーンパークの地下、下水処理場の設備の管理と制御、整備員が利用できる休憩施設まで備えた地下一階の廊下。見回りをしている最中の軍服を着た兵士二人が真夜中の見回りに歩いていた。
「はぁっ……いつまでこんな所に住まなきゃならないんだ? 本物かどうかは知らねぇけど““紅黒の魔獣”も復活した事だし、使命も終わって、もうここには用がねぇのにさ」
まだ二〇代にもまだなっていない若い方の男性兵士がぼやく。
地下一階の廊下は日の光が差さない上に長い間、整備されていないため、天井にある電光の照明は照らされているが光度がやや弱く、一部、明かりが点いていないのもあり、少し薄暗く、不気味な雰囲気があった。彼はお化けの類が苦手で太陽の光も通らない地下の廊下の薄暗さに嫌気を差していた。
「仕様がないだろ? 司祭様が戻ってくるまで、ここに待機だと命令なんだと……」
無精髭を生やした二〇代になったばかりの少々、服装がだらしない男性兵士が答える。
理由は聞かされていない。答えてくれなかったからだ。
「大体、いつまでもここにいちゃマズいでしょ? 特に将軍が。外では降り続けた雪が止んで溶け始めている。もう世間に知れ渡って、政府も動けば、将軍が勝手にやってる上にスルト教団と通じている事がバレてヤバいじゃん。オレらもヤバいかもしれないし……」
「そりゃあそうだろ。俺らも帝国でも屈指の犯罪組織の一員で、偽の兵士をやっているからな……」
彼らは正規の帝国軍兵士ではない。カワキにより、軍服を与えられ、アップ・グリーンパークに在中している理術使い達を油断するため、偽の兵士を演じているだけであった。
正直の事、軍の兵士を偽る等、意味が無いと思った。
「はぁ~スルト教団に信じて入ったのに結局、上司達の勝手さに付き合わされて、こんな少し暗くて薄気味悪い所に見回りをやらされて嫌になるっス……」
「まあまあ」
恐怖を紛らわせようと軽い口調で愚痴を言う若い方に対し、年上の先輩がなだめていると彼らに異変が起きようとしていた。
見回りをしていた二人の兵士の背後から黒いガスの様な、あるいは泥の様な二つの”何か”が通り過ぎた。
「「!?」」
痛みは感じていない。”何か”は確かに二人の体を通ったが穴は空いていなかった。それ所が”何か”を見えてなかった。
「あ…あれ……? 体が…なんだが…怠い……?」
急に体から気力が抜けたかの様に感じた。
二体の”何か”は反転して眼らしき二つの赤い光の円が獲物を狙う目で見ていた。
「あ…ああ…あ……」
「お…おい…どうしたんだ……?」
若い方の兵士が気怠さとは別に前に指を差して怯えていた。
そう彼は見えていた。
薄っすらとだが、生き物でも物体でもない”何か”を見えていた。
”何か”を見えてない年上の兵士は年下が恐怖で幻覚を見て怯えているとしか思っていなかっただろう。だが、その”何か”は実在していた。
二体の”何か”は再び二人の兵士に襲おうとはしなかった。
否、動こく事は出来なかった。
不意に天井から液体の雫が無精髭の兵士の左肩の上に『べちゃっ』と音を立てて落ちた。
「…ひっ!? ……な…なんだ…これ……!?」
自分の左肩を触れてみると普通の水ではない、よだれの様な粘り気のある液体だった。
恐る恐ると天井の方へ見上げると空気換気用に設置されたむき出しの管路の出入口から液体が大量にあふれ出た。
二体の黒い不定の”何か”が二人の兵士に再び襲おうとはしなかったのはそれらよりも強く恐ろしい”何か”の存在に察して動くのを止めたからだろう。カエルが蛇に恐れる様に。
こうして液体状の”何か”に襲われた、見回りをしていた二人の兵士は悲鳴を出せないまま、命を落とした。同時に偶然か廊下の照明の明かりが二つ消えた。
“白き聖女”が施した雪と氷による”白の封印”が解かれた今、アップ・グリーンパークの下水処理場に悪魔とも呼ばれた世界の敵が
次回はRPGで定番の戦闘パートの話です。
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