第2話 呪われた花嫁
開いたドアの先、部屋は来客や食客を泊めるための客室であろう広く天井も高い部屋だが、どういう訳か壁全面に分厚い毛布が留められて、中心にベッドが置かれているがそれ以外の家具が一切置かれていなかった。
「……寝ているのか?」
何やら警戒に確認している様子のオーロック。
「今あちらに寝ているのが私の娘ジュリアです」
ベッドの上には依頼人であるオーロックの娘だろうか一人横になって眠っていた。
「お二人方、気を付けて下さい」
オーロックとロトン、盾を持った使用人が順番に慎重そうな足取りでゆっくりとベッドに近付く。
「気を付けろって……」
「あの~知事さん、娘さんの病とは一体何ですか? 呪いとも言えるのは? 気を付けてとは? それと……壁に付いて毛布は何ですか?」
先行した四人の後を付いて行きながら質問するラティナ。
「……その病とは……」
オーロックが答える直前、眠っていたジュリアが起き上がった。
「ジュ、ジュリア!」
突然、目覚めた娘を見て、何やら怯えた顔になるオーロックと部下三名。
ジュリアは、美しい顔立ちと体付きの良いスタイルをした十八歳位の美女だが、その顔の表情は苦しそうではなく、弱まっている様子はないが如何にも不機嫌そうな顔をして、ラティナ達を睨んでいるかの様に見ていた。
「ごほっ! ごほっ!」
ここで表情が変わり、咳をし出した。
「こ…これはいかん‼ 皆、退避じゃ‼」
「え?」
「ごほぉーーーっ‼」
三度目の咳をすると同時になんとジュリアの口から炎を吐いた。
「「わあぁぁぁっ!!」」
「あ、《アンペインローゼ》‼」
咄嗟にラティナが前に飛び出し、右手から開いた傘型の霊装、《アンペインローゼ》を具現化させて迫り来る炎を受け止めた。そして、そのまま自然界を司る精霊に願う言葉、詠唱を早口で唱えた。
「水の精霊よ、私は願います。涼やかなる水の守りで私達をお守り下され! 《水ノ防護》‼」
最後に必要な言葉、“発唱”を唱える事で願唱理術は完成され、《アンペインローゼ》の最先端部から水のマナから変換された水の盾が出現し、炎を防いだ。
「ふぅ……皆さん、大丈夫ですか?」
「あ…ああ……」
「知事さん、もしかして今のジュリアさんが火を吐いたのが……」
「はい……今のが、娘にかかった奇病です……」
オーロックはジュリアの身に起きた事について語り始めた。
「六日前の夜、北の森で倒れているのを発見しました。その後ジュリアはどういう訳か咳をする度に火を吐く体になってしまいました!」
「つまり娘さんが何故火を吹く様になってしまったのかの理由はあんたも分からないと?」
「はい……」
リゼルの発言に対し、暗い気持ちで知事は返答した。
「でも確かにそれは普通では在り得ない病気ですね。ん~、竜さん達と同じ様に口から火等の息を吐ける理術もあってそれを使える人なら聞いた事がありますが……。ジュリアさんは理術が使えますか?」
「いいえ。全く使えません」
「そうですか……」
オーロックは頭を下げた。
「お願いです、聖女様‼ 娘を…ジュリアを元に戻して下さい‼ お願いします‼」
「分かりました。任せて下さい」
一切の考えも無く堂々と「依頼を受ける」の返事を答えるラティナ。
「ほ、本当ですが⁉ ありがとうございます‼」
「治せるのか?」
「何とかして見せます。皆さん、ここは私に任せて下さい」
「はい、分かりました。それでは何か欲しい物か手伝って欲しい事、ジュリアに何があった時にはこれを押して下さい」
オーロックはポケットから掌納まる位の大きさの機械を取り出した。
「何ですか、これは?」
「これはブザーと言いましていわゆる呼び鈴と同じで押すと大きく音が鳴ります。その時に使用人が来ますので」
「分かりました」
ブザーをラティナに渡した後、オーロックとロトン、使用人二人は部屋から出て行き、残りはラティナとリゼル、そしてジュリアの三人だけとなった。リゼルはジュリアから離れた場所、壁際付近に胡座をかけていた。
「リゼルさんもここに居なくても大丈夫ですよ?」
「お手並み拝見だ。気にすんな」
リゼルはラティナが回復役として役に立てるかどうかの腕前を確かめるつもりだ。ジュリアから離れている場所に居るならば炎も届かない筈だろう。
「そうですか、分かりました」
こうしてラティナの下手をすれば丸焼けになってしまうかもしれない危険な診断と治療が始まった。
「申し遅れました。私は共和国領のプランタンから来ました癒療師のラティナ=ベルディーヌと申します。あちらの方は……私の護衛の人のリゼルさんです」
診断と治療の前に最初はあいさつからと笑顔で接するラティナ。右腕には先程具現化した《アンペインローゼ》を持ったままだった。
ジュリアが咳をした時、或いはもしも喋っただけで火を吐いてしまうのであるのならばその時の備えとしていつでも防げる様にあらかじめ武器の属性を“水”に変換と術の水の力を強化する願唱理術《水ノ属性強化》を《アンペインローゼ》にかけておいた。これで威力を弱める能力が加われば苦手な炎を防ぐ事が出来る。
「……ジュリア・クライン……です。あなたが、お父さんが言ってた私の病気を治してくれる聖女様ですか?」
口から火は出なかった。どうやら喋っただけでも火を吐く危険は無く、咳の方もやたらに出る訳でも無いので会話は普通に出来る様でラティナはひとまずほっとした。
実年齢はラティナの方が上だが、外見的には十七歳位にしか見えないのでジュリアの方が年上だと思えてしまうがそれでも聖女という位が高そうな人なので一応、敬語を付けて話した。
ジュリアの表情はさっきまで不機嫌な顔だったが今はラティナに不審の眼差しを向けていた。
「はい」
「……本当に私の病気を治せるのですか?」
「はい、必ず治して見せます」
ラティナが明るく自信を持って答えるとジュリアの顔は希望を得た笑顔ではなく、癪に障ったのか舌打ちを小さくしたかの様に不満を露骨に表している顔になった。
(あれ? 何だが嫌そうですね……)
「あの~……治療は嫌ですか?」
「……ごほぉっ‼」
「ふわわっ⁉」
再び咳と共に火を吐かれ、ラティナは咄嗟に一般の人間以上の素早さで反射的に頭を引っ込め、《アンペインローゼ》の傘を前に向け、開いて火を防いだが、完璧に避けきれず、ラティナの桃色真珠色の髪の一番上の部分が黒く焼け焦げた。流石に咳を出すなら口を腕やハンカチ等で押さえようという作法をやろうと言ってもこう火も出る咳ならば自身も焼かれてしまうから無理な事だ。
「ひ、《治癒水》」
ラティナは直ちに治癒系理術を唱え、焦げた髪を元の綺麗な髪に治した。
「な…治らないと不便ですよ? 体もずっとベッドに寝たままで動けませんし、このままだと体調の悪化とか体力の低下で死ぬかもしれませんよ?」
「……ちっ……」
(今度は聞こえる位、舌打ちされました~! やはりこの人は何か火を吐く奇病でも治りたくない事情でもあるのでしょうか? 取り敢えず話は後で聞くとして今は先に治療をしなくては……)
「そ…それではまずは診断から始めます。体温を測りますのでじっとして下さい」
気にするよりも診断と治療を優先にしようとラティナは言った後、右手を伸ばし、ジュリアの額に触れそうな直前で止めた。
《温度計算》
ラティナは理術能力を発動させ、右手からほのかに眩しくない程度の赤い光の球が浮かんだ。この光は赤外線と同等の理力の波長であり、その波長によって物体の温度を測り、読み取る事が可能になる。
赤い光の球に触れたジュリアの額から温度を測り、対象の温度の情報がラティナの脳へと伝わり、脳内に温度の数値が浮かび上がった。
「……体温は三十八度……微熱程度ですね」
「体温が分かるのですか?」
「はい。さっきのは理術能力《温度計算》を使いました。それによって貴女の体温が分かる様になったのです。さて、熱は少々高い方ですから……」
ラティナはすぐに背負い鞄型の【収納道具箱】を、絨毯を取り外された耐熱性の石タイルの床の上に置いて、中から樹脂製のコップと紅茶を作るティーポットの代わりにも使われるラティナのお気に入りの薬缶、そしてディアボロスに憑かれた者には効果が良い聖塩が入った小瓶を取り出した。
「水の精霊よ、私は願います。熱に侵された身体を冷ます清涼の水をお与え下さい。《救済ノ水》」
詠唱から発唱を唱え終えた時、理術によって右手に生じた青い光の玉から水が出てきてフタを取った薬缶の中にたっぷりと入れた。それから聖塩を少し入れてコップに注ぎ込んだ。
「はいどうぞ、ミネラルがたっぷりの美味しい水です。ゆっくりとお飲みになって水分を補給して下さい」
「はい……」
ラティナから水入りのコップを渡されたジュリアはゆっくりと飲んだ。
「……美味しい」
水が美味しかったのか表情がほんの少し緩んだ。もしくはラティナの自然に発する固有理術《痛み無き薔薇》の影響を受けて嫌悪感が薄れたのだろう。
ジュリアが水を飲み終えた頃、ラティナは【収納道具箱】から今度はタオル取り出して見学中のリゼルの方へ向いた。
「あの~リゼルさん。これからジュリアの体を拭いて汗を取りますのでしばらくの間だけ反対の方向へ向いてもらえませんか?」
「ん……」
リゼルは承諾したらしく一言返事して頷いた後、体を反対の方向へ向いた。
「それではまずは服を脱がしますのでじっとして下さい」
「ちょ、ちょっと! 本当に大丈夫なの!? 彼、こっそりと私の裸を見たりしないでしょーね!?」
「え~と……」
ラティナは再びリゼルを見た。
リゼルは毛皮で覆われた壁の方へ向いたままだった。ラティナの言った事を素直に従っている様だ。
「はい、大丈夫です」
「そう……信用しているのですね?」
「はい」
「分かりました……。なるべく早く済まして下さいね」
「はい。それでは上の服だけを脱がしますね」
ジュリアの寝間着を脱がし始め、上半身のみ彼女の大きな胸が露わになった時、ラティナはある所を目に入った。
胸鎖骨関節の辺りに奇妙な紋章らしきものが刻まれていた。黒色の線と丸で門と思える形に描かれていて、ラティナから見て、それば禍々《まがまが》しく心から怖いと思った。
「あの~ジュリアさん、胸の紋章みたいなものは何ですか?」
「……分からない。気が付いた時からありました」
ジュリアは両腕で胸とその上にある紋章を覆う様に隠しながら答えた。
「……」
それからラティナはジュリアの体中の汗拭きを行った。その際にジュリアはリゼルがこっそりと後ろを向いて露わになった自分の裸を見てないかと彼を見つめ続けた。リゼルはジュリアの睨み付けている視線に気にしていたがラティナから「終わりました。もう大丈夫ですよ」と声をかけるまで後ろを向く事は無かった。
時々出す火の吐息に注意しては避けたり、《アンペインローゼ》で防いだりしながら身体の隅々《すみずみ》まで汗を拭き終え、服を元通りに着せた頃に若い家政婦がジュリアの夕食のトマトのリゾットを持って入って来た。それをラティナが受け取り、ジュリアに食べさせた。
ジュリアの食事を終わらせた後、空になった皿とスプーンを運び戻そうと部屋の前で待機していた家政婦から「終わったら貴女方も食堂で食事にしませんか」と誘われたのでラティナとリゼルも夕食を済ませようと一旦、客室もといジュリアの火吹き対策用に変えられた寝室から出て、食堂へ案内された。
ラティナはリゼルと共に食堂で用意して貰った夕食を食べ終え、ジュリアの居る寝室に戻ってから治療を本格的に開始した。
【収納道具箱】から磁器の乳鉢と色々な種類の薬草を取り出して、薬草を乳鉢で磨り潰し、混ぜ合わせて作った風邪に効く薬をジュリアに飲ませた。
薬を飲ませた後、ラティナはジュリアにあまり刺激しない程度に質問をしまくった。誤魔化す様に態と火を吐いて質問を答えようとはしない場合もあった。
質問はここまでにして今度、ラティナは理術《緩和芳香》を唱えた。アロマに似た心地良い香りが室内に漂わせ、匂いを嗅いだジュリアは心が少し安らかになり始めた。同じく匂いを嗅いだリゼルも心が安らぎ、横になって眠った。
気付いたラティナは眠っているリゼルの許へ近づき、【収納道具箱】から敷布を取り出して彼の体にかけた。その様子を見ていたジュリアはラティナが戻って来た時に口を開いた。
「……ラティナ様。今度は私からも質問よろしいでしょうか?」
「はい、何でしょうか?」
「リゼル、さんだっけ? あの人とはどういう関係ですか?」
「関係は……実はリゼルさんとは最近知り合ったばかりなのです」
「最近知り合ったばかりなんですか?」
「はい。六日前に出会いました」
「その割に随分と信用してますのね」
「確かに出会ったばかりで未だに知らない事、分からない事も有りますがリゼルさんは、悪い人ではなく本当は心が優しい方だと私はそう思います」
「単純なのね……」
「ふえ?」
「気のせいですよ。それよりも私もそろそろ眠くなってきました」
「どうぞ、早いうちに寝るのが一番です。お休みなさいませ」
「お休みなさい……」
そう言いながらジュリアは眠りについた。
ラティナも寝ようと敷布と枕を取り出した。ジュリアの体調に急変が起きた時のためにここで寝るつもりだ。吐いた火を防ぐために開いた《アンペインローゼ》を立てて置き、顔が隠れる位置で横になった。
(今日は本当に起きてから色んな事がありましたが火を吐く人の治療は初めてでした……)
そう思いつつラティナの意識は眠りの世界に入っていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
オルタンシアに来て初めての朝を迎えた。
目を覚ましたラティナはジュリアを診て確認した後、報告しようとブザーを押して使用人を呼んだ。オーロックは今、食堂で朝食を取っていると教えて貰い、未だにぐっすりと眠っているジュリアとリゼルをそのままにしてラティナは依頼人に現状を伝え向かった。
「知事さん、おはようございます」
「あ、聖女様、おはようございます。ジュリアの病気はもう治りましたか?」
「はい。熱の方は下がりました」
「熱の方は……?」
「はい、どうやら咳と熱の方はタダの風邪で火を噴く病気とは別の様です」
「……別の……? ……そう…ですか……」
オーロックは顔を下へ向けがっかりした。
「ジュリアさんの火を噴く奇病の正体はやはり“呪い”と思われます。ジュリアさんの体に恐ろしい気を感じる紋章みたいなものがありました。恐らく誰かに呪われているかもしれません」
「貴女様のお力で呪いを解く事は出来ませんか?」
「呪いというものは二種類あります。一度対象物にかけたらそれっきりの聖属性の回復系理術で解く事が出来る比較的に弱いものと相手が死ぬまで遠くから呪いを送り続ける強力なものがあります。今回、ジュリアさんにかけられた呪いは後の方です。その場合ですと解く方法はたった一つだけ、かけた人に呪いをかけ続けるのを止めさせなくてはなりません……。問題はその呪いかけた相手なのですか……心当たりありませんか?」
「そう言われましても……いや…待てよ。まさか……もしかしたら……」
「心当たりがあるのですか?」
「はい。実は聖女様にはもう一つ何とかして貰いたい事がありまして娘が治ったらその次に言おうと思っていました。恐らくジュリアに呪いをかけた犯人は奴の仕業でしょう」
「その犯人とは?」
「出たんですよ……」
オーロックの口調が重々しくなった。
「出たって……まさか、ディアボロスですか!?」
「はい、一週間前、ジュリアが奇病、いや呪いにかかった日の夜、同じ時間帯に顔が口だけの白い化物がこの町に突如現れ、娘の結婚指輪を盗んで聖堂に閉じこもりました。そうだ、呪いもあの化物の仕業に違いありません!」
「ジュリアさんの結婚指輪ですか? それてもしや……」
「はい、ジュリアは近々、結婚をするんですよ」
「やっぱりそうなのですか~」
「しかし、ジュリアはあの通り、火を吐く体になってしまい、その上で結婚式場の聖堂が化物に占領されてしまいした……」
説明しながら涙ぐむオーロック。
「このままでは結婚は出来ません。聖女様、娘の幸せの為にもどうか呪いと化物から聖堂と指輪を取り戻して下さい! お願いします!」
「分かりました。全部何とかしてしましょう」
当然の如く、自信満々に新たな依頼を引き受けるラティナ。
「お~流石は聖女様! ありがとうございます」
依頼を受け入れてくれたラティナに感激するオーロック。
(でも本当にこれで良いのでしょうか? もしかしたらジュリアさんは結婚が嫌なのでは……)
ラティナの心の内は少し迷いを抱いていた。
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次回は新たな理術使いが登場する予定です。