第9話 本当の旅立ちの始まり
アリスの庭から自室に戻って来たラティナは旅の準備を始めた。
薬や材料となる薬草と実と種、金銭の代わりとなる様々な属性のクォーツに長期日持ちが出来る非常食、旅の先で必要になるかもしれないその他の道具等を全て背中に背負う立体正方形型の鞄に詰め込んだ。この鞄はただの鞄ではなく錬金術で作り出した、大きさが同じまでで入れさえすれば入れた物を小さく圧縮される鞄型の【収納道具箱】。圧縮された物は傷付いたり、壊れたりする事もなく、出せば元の大きさに戻れる事も可能。更に重量を軽減してくれる機能も付いていて非力なラティナでも軽々と背負える事が出来る長旅には有り難い道具だ。
ラティナが必要な物を考えては探して【収納道具箱】に入れる作業をしているとドアからノックする音が聞こえた。
「す、少しお待ち下さい~」
ラティナは聖堂の皆に旅支度をしていると知られない様に【収納道具箱】を急いで机の下に隠した。
「ど、どうぞ、入っても良いですよ~」
「それでは失礼します」
それはラティナにとって聞き覚えのある声だった。
「あ……」
「元気かい、ラティナ?」
眼鏡をかけた初老の男、ラティナの父であるユーセル・ベルディーヌが、如何にも柔和な性格だと表している笑顔で入って来た。
「お…お父さん! お父さんこそもうお体はもう大丈夫ですか?」
「あぁ…心配は要らないよ。これでもまだ若い者には負けていられないからね。それよりも旅に出るんだね、ラティナ……」
「えっ⁉ な、何故分かるのですか……?」
「ははは……君は相変わらず嘘は吐けないんだね。別にそれでも良いんだが。実はジャンヌ様に言われてね」
「ジャンヌさんが?」
ふとラティナは換気のために開いたままにしてあった窓の方へ見た。外では陽も沈みかけ、橙色に染まる夕方になっていて風が音聞こえる位に吹いていた。ジャンヌの持つ固有理術ならば風が入る限り、ラティナの密かな行動も筒抜けてしまうだろう。
ラティナは観念して正直に話そうとした。
「……お父さん……私は……」
ユーセルは微笑みながらラティナの肩に優しく触れた。
「行きなさい、ラティナ」
「え?」
「君は癒療師の前にお母さんの子だ。一度決めたら最後までやり遂げようとする所が彼女に似てしまっている。でも私にとっては良い所であって、それが世の為、人の為であって、お母さんと果たした約束でもあるしな。だから私は止めたりしない。見送る事にするよ」
「お父さん……」
ラティナの目から涙がにじみ出た。
「行きなさい、ラティナ。体には気を付けて……」
「行ってきます……」
ラティナはユーセルの体に抱き着いた。
窓から風が今も吹いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「行きなさい、ラティナ。貴女が正しいと信じる道へ……」
「独り言はさてともかくとしても親子の涙の会話に盗む聞きするのは聖女としてどうかと思うんだけと……」
「わ、私はただ、ラティナの事が心配なだけで……」
「冗談よ。その気持ち分かるから」
ラティナの自室から離れた客室に今、ジャンヌとポリッチェが滞在していた。
ジャンヌは風の精霊を通じてラティナが父との旅立つ前の挨拶を交わしている所までを聞いていた所だった。
“騎士の聖女”ジャンヌ・ダルクは、遠く離れた場所でも風そのものである風の精霊から見たり、聞いたりした情報を以心伝心で共有する事が出来る固有理術を持つ。この能力によってかつてガリア大陸に起きた戦争にて風の精霊達を通じて敵軍の動きや場所を把握し、先を予測して予言者の如く兵士達を鼓舞し、まとめ上げて敵国から母国を守り通し、勝利へ導いた。この偉業により民衆達から「ジャンヌ・ダルクは天から神の声を聞く耳を持っている」という伝説まで語りつかれる程になった。
客室に休んでいた時、普段気まぐれな風の精霊達から空間の歪みを感知し、ラティナが消えたという知らせを受け、ジャンヌは固有理術と同じ持ち前の推理と直観によってラティナが戻って来た時、後輩の聖女は再びプランタンの外へ出ようとしていた事を予想していたが、あえてラティナの父、ユーセルだけ伝えて自分とポリッチェは見送る事にした。
「あの子もあたし達と同じ理術使いなら自分で決めた道は自分の足で歩いて進まなきゃね」
それが自分達と同じ癒療師としての宿命だと感じていたからだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
リゼルは二階建ての広く立派そうな館の裏にあるプール場でデッキチェアに寝そべり、小説を読みながらくつろいでいた。
「ふぅ……」
二日前、リゼルが目覚めた時にはこの館の中に居た。
一体ここはどこなのか、何故自分がここにいるのか誰かに連れて来られたのか気になっていた。
館の中は、昔読んだ事があるような漫画や小説、昔遊んだかもしれない気がするゲーム機が置いてあった。食事も朝昼晩のある時間になると誰かがどこからか用意してくれたのかいつの間にか食堂に料理が置かれた。
この二日間は置かれてあった本を読んだり、ゲームで遊んだり、プールを泳いだり、館の周りにある広い庭を探索と散歩をしたりしてうるさい人もいない、不自由なく一人に満喫して過ごしていた。だが、やがてリゼルの心は寂しさを感じ始めた。
(はぁ…なんだろうな……今、俺は自由でうるさく目障りな奴らもいない静かにのんびりする事が出来て嬉しい筈なのになんだが虚しさを感じ始めたな……)
デッキチェアから立ち上がり読みかけの小説をコートのポケットに入れてから少し歩き回りながら考えているとふとリゼルの頭の中にラティナが思い浮かんだ。
(なんでここであいつの姿が? まぁそれなりにうるさい奴だけどただのアホだし、胸デカかったし、エロかったしな……だからといって今更あいつを思い出すなんて……)
「それは貴方が寂しいからではないでしょうか?」
「寂しい? はっ、そんな訳あるかよ……って、ラティナ⁉」
リゼルは驚きの余り、デッキチェアから降りて立ち上がった。目の前に先程までいなかった筈のラティナが居た。
「また私の名前を正しく言ってくれましたね。今まで私の事を「お前」と呼んで名前を呼んでくれなかったり、名前を間違えていたり、「ラティ」と呼んだ事もありましたが、ようやく名前を憶えてくれたのですね」
「あ、あれは……その……別に偶々《たまたま》なだけだ……って、いやいやそれよりも何故お前がここにいつから居るんだ⁉ つーかお前死んだんじゃにゃかったのか⁉ 腹刺されたらどう考えて死ぬだろ、フツー⁉」
「まぁまぁ、リゼル様、落ち着きましょう? 早口で舌噛んでいますよ? まず私がここに居る理由はこれのお蔭です」
ラティナの右手にはマッド・ハッターから貰った空色の鍵らしき物が持っていた。
「なんだ、それは?」
「これは【転移門の鍵】と言いましてこれを手に握り締めて、行きたい場所を思い浮かびながら理力を注ぎ込めば転移門と呼ばれる物の近くへまで例え遠い場所でも飛び越えて移動する事出来ます。こんな場所に転移門があるのですね」
「へー。んで、お前が生きている理由は? 確かお前は……」
リゼルが理性を失う直前に目にしたラティナが腹に杭を貫かれる光景を脳裏に思い返した。
「それは私がエンジェロスだからです。お腹に穴を空いた程度でもなんとか死ぬ事はありません」
「へ、へ~……エンジェロスって化物みたいなものなのか?」
「うっ…リゼル様に化物呼ばわりは酷いですが……」
「当たり前だろ! 腹刺されたら普通死ぬ筈が死なずに、それからケロっと復活するなんて十分に化物だろ⁉」
「う……そ、それはともかく私の事、心配してくれましたか?」
「べ、別に……」
「本当ですか? あの時、私がお腹を刺されて倒れた時にリゼル様は怒って……」
「るせぇっ‼」
「あうっ‼」
リゼルに頭を平手打ちで叩かれたラティナ。
「うぅ…痛いです……。頭を叩くのは酷いです……」
泣きながら叩かれた頭の部分を押さえて苦情を言った。
「叩いたんじゃねぇ、叩いたんだ」
「同じ意味ですよ……」
最もリゼルの平手打ちは鉄板で叩いたと同様なもの。普通の人間だと怪我だけでは済まない事なのに、痛いと感想するだけで済むラティナも実はとんでもない石頭であってそんあ事実は本人さえも気付いていなかった。
「それよりもお前の親父さんはいいのか?」
「あ、はい。お父さんの事ならもう心配ありません。私、リゼル様と一緒に行く事を決めました」
「は?」
「私はまだ貴方の記憶を治していません。治療を終えるまで一緒にいると決めたのです。私と一緒にいる間は、貴方に人間の悪い所ではなく、良い所も思い出して皆さんともう一度仲良く生活できる様にしてみせます。貴方を狙う人達から私がお守りもします」
微笑むラティナの右手がリゼルに差し伸べた。
「リゼル様、これからもよろしくお願いいたします」
リゼルはしばし考えた。
(どうする? こんなアホアホな奴と一緒でもな~……とは言え、こんな奴に助けられた事もあるらしいし……理術だっけ? 魔法みたいな便利そうなものも使えるし、役立たずではなさそうだ……。回復役として利用価値はある。俺に知らない事をたくさん知っていそうだ。場合によって使える奴かもしれない。……それに……)
ラティナの顔を見た。
誰もが見惚れてしまう程の宝石に似た輝きの美しさと悪意が一切も無い無垢さを持った微笑みの顔で人間不信のリゼルにとってその輝きは太陽であり眩しくて直ぐにそらした。
リゼルは気付いていない。ラティナの見た目の美しさだけではなく、彼女の怖気の無い優しさに触れて少しずつ感化され、惹かれている事に。
「……はぁっ……」
それから一旦ため息を吐いた後、ラティナの差し出された手と同じ様に右手を差し出す。
「しょうがないな……。言っておくがお前は俺の奴隷として扱うからな」
ラティナの手を力強く無く軽く掴むリゼル。今のリゼルの右手には火傷する程の熱にも込めていなかった。
「はい。これからもよろしくお願いします、リゼル様」
笑顔を絶やさずに明るく答えるラティナ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ラティナ・ベルディーヌ様は”紅黒の魔獣”リゼルを仲間にする事を成功しました」
「そうですか」
人知れぬどこかの薔薇の庭園で白兎頭の執事、ホワイト・ラビットから報告を受けたアリスは新しく注がれた紅茶を一口飲み、カップをゆっくりと置いた。
「今度こそ上手く行くと良いね」
「出来る限りならば私達も手助けは可能だがこちらからあっちの方へ出しゃばりすぎると時空に悪影響を受けて世界が変わるか最悪、滅びるかもしれぬ」
同じく紅茶を飲んでいたマッド・ハッターが相変わらず個性が定まっていないでたらめな口調でアリスに対して言った。
「わたし達があちらで出来る事は彼女達を導くのみです。信じましょう。ラティナを、リゼルを、人が持つ希望の可能性を信じて……」
“世界の聖女”アリス・リデル。彼女が人前に姿を現した時、この先の未来に世界滅亡の危機が訪れる意味とされている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
むかしむかし、あるところに人間の父と天使の母とのあいだに生まれた半分天使の力をやどした聖女がいました。
聖女はほかの聖女たちとはちがい、生まれたてなので戦い方はまだみじゅく。見習い聖女とも呼ばれていましたが、体と心を癒す力と誰でも惜しみなく助けようとする優しさは誰にも負けませんでした。
ある日のこと、見習い聖女のもとに父が悪い火の神を信仰する人たちにつかまった知らせをうけました。
見習い聖女は父を助けにいきましたがその先の雪と氷におおわれた地でつかまってしまいました。
そこで紅い悪魔と契約を結び、魔獣となった若者と出会いました。
半人前だが、天使の翼をもつ優しき聖女と悪魔の力をもつ魔獣。このふたりの出会いから世界を救う旅が始まりました。
第1章は完結し、ラティナとリゼル、二人の主人公の旅はここから始まります。
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