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99/102

その㉘

        ※


「ねえ、克己のお母さんって、どんな人だったの?」


 天野さんと旅を始めて二十五年が経ったとき、彼女は不意にそんな質問をしてきた。


「知らねえよ」


 オレは乱暴に返事した。


「とっくの昔に家を出ていきやがったんだ。もう覚えてねえよ」

「そうなの」


 天野さんは少し残念そうな顔をした。


「せっかく産んでもらったのに、顔くらい覚えておきなさいよ」

「無理無理、親父の顔だって覚えてないんだぜ? 母親の顔なんて…」


 そう言いかけたとき、オレはあることを思い出し、口を噤んだ。

 少し考えてから言う。


「いや…、まあ、でも、コロッケかな?」

「ころっけ? なに?」

「いや、だから…、コロッケの味を覚えているっつーか…、昔、なんかのタイミングで、肉屋のコロッケを買ってもらってたんだよな。だけど、オレ餓鬼だし、胃袋小さいし、全部食べられないんだよ。だから、母さんと半分こして食べてたんだ」

「ほう…」

「あれが美味かったんだよ。肉汁がじゅわっとして、玉ねぎもいい感じに甘くて…。でもって…、母さんが笑ってて…、『そう? 美味しい?』って言って、オレの頭を撫でてくるんだ。顔は憶えていないのに…、その感触だけ覚えているっつーか…」


 歩きながら、オレは秋空を仰いだ。


「もしかして…、オレの母さんって、良いやつなのか?」

「そりゃ知らんよ」


 天野さんは大げさに肩を竦めた。


「まあでも、そういう思い出があるって良いよね。そういうことなんでしょうね」


 そして彼女は、いたずらっぽく笑った。


「まあ! 私の方が母さんっぽいけど!」

「張り合うなよ。ってか、母さんじゃねえし」

「ちょっと! なにその言い方! 私みたいな母さん、嫌い?」

「嫌いじゃないけどさ!」

「好きなんだ」

「好きじゃねえよ!」


 本気で言っているわけではなかった。彼女はからかうつもりで言ったのだ。

 オレが顔を真っ赤にして叫んでいるのを見て、天野さんはくすっと笑った。そして、頭をくしゃくしゃっと撫でる。


「やめろよ。あやされているみたいで恥ずかしいんだよ」

「ま、あんたもいつかわかるよ」

「何がだよ」

「だから、人を護りたいって思う気持ち」

「ああん?」

「つまり、『母さんの気持ち』ね」

「急にどうした?」


 その日、天野さんは妙に上機嫌で、オレの頭を撫で続けた。美味しいものをごちそうしてくれた。眠るときは、ずっと抱きしめてくれた。


 誰かを護ること。

 命を張ること。

 その時はわからなかった。

 いま、わかった。



        ※



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