その㉗
弾丸が、茜の腹を貫いた。
バツンッ! と、肉が裂ける音が聞こえたかと思うと、茜の小さな身体がオレの方に飛んできて、オレの目の前で倒れた。
茜は呻くことも、泣くこともせず、木々に囲まれた点を見つめ、そして一言、「いったあ…」と言った。
茜の臍のあたりに黒い穴が空いている。
そこから、びゅっ! と血が噴出し、オレの頬に掛かった。
茜の血が、オレの頬をぬるりと伝う。
血はしばらくの間噴出した後、勢いを弱めた。そして、じわじわと地面を這うように広がっていくようになった。
「え…」
オレが声を出したのは、その時だった。
「茜…?」
たった今起こったことを、頭の中で整理した。
オレが、竹下俊に撃たれそうになった。
茜が飛び出してきた。
代わりに、茜が撃たれた。
茜から、血が出ている。
「あ…」
次の瞬間、山の中に、銃声にも劣らないオレの絶叫が響き渡っていた。
「うわあああああああああああああああっ! ああああああああああっ! ああああああああああああああああ! ああああああああああああっ! ああっ! ああああああああああああああああああああああああ! あああああっ!」
サバイバルナイフが腹に刺さったまま、茜のもとに駆け寄り、腹の穴を押さえる。
手の中に、生温かい感触。
「うわあああああ! ああああああああああああ! あああああああああああああああああああああああああああ! あああああああああああ!」
茜の目から、光が消える。
息、息はしているか? 心臓は? 心臓は大丈夫なのか?
「あかねえ! 茜! おい! しっかりしろよ! 茜! 死ぬな、死ぬなああ!」
「か、かつ、兄…」
茜の唇がかすかに動いた。
「よかった…、無事で…」
「お前が無事じゃねえだろ! なにやってんだよ! 馬鹿! オレは不死身なんだ! お前は…違うだろ!」
「早く…、逃げて…」
茜がそう絞り出す。
お前を置いて逃げられるわけないだろ! そう言おうとした瞬間、背後から空を掠める音が迫ってきた。
躱す余裕は無かった。
ザクッ! と、オレの首…、頸動脈を猟銃の刃が切り裂いた。
途端に、血が大量に噴出する。
「くっ!」
横腹に蹴りが入り、その場にひっ転んだ。
竹下俊が、肩で息をしながらオレのことを見下ろしていた。
「馬鹿なガキだ。おとなしくしときゃ。幸せに暮らせたってのに。こんな馬鹿を庇って死ぬなんざ」
「て、てめえ…、よくも…」
オレは裂けた首から流れる血を押さえながら、竹下俊を睨みつける。
竹下俊はオレの返り血を浴びながら、にやっと笑った。
「本当にオレは運がいい!」
そう言って、横たわっているオレの腹から、サバイバルナイフを引き抜いた。
「死ぬまで、そこで黙って見てな。てめえが守りたかった餓鬼が、めった刺しにされて死ぬ様をな」
そういうと、踵を返して、茜の方を向いた。
腹から血を流している茜に近づくと、血濡れのサバイバルナイフを振り上げる。
「死ね! クソガキ!」
「させるかよ!」
オレは力を振り絞って跳び、竹下俊が振り下ろしたナイフを背中で受け止めた。
「がああ!」
「てめえ! その傷でよく粘れるな!」
「うるせえ、オレは不死身なんだよ…」
まずい…、出血で目が回る。
あとどれくらい生きられる? 死ぬのはまずい。復活に、最低半日は掛かる。それだと…、茜を、病院に連れて行ってやれない。
「茜は…、殺させない…!」
オレは倒れている茜に覆いかぶさった。
竹下俊の舌打ちが聞こえた。
次の瞬間、背中に激痛が走る。竹下俊が、何回も、何回も、何回も、何回も何回も何回も何回もサバイバルナイフを突き刺してきたのだ。
その度に、ザクッ! ザクッ! ザクッ! と、肉が切り裂かれ、そこから血がにじむ。
「どけよ!」
ナイフが刺さる。
「てめえ、そのガキになんかあんのか!」
ナイフが刺さる。
「このガキはな! どうせこの町じゃ生きていけないんだよ!」
ナイフが刺さる。
「親父のせいで、全員に嫌われている!」
ナイフが刺さる。
「母親だって逃げて行った!」
ナイフが刺さる。
「こいつは! もうまともに生きられないんだよ!」
ナイフが刺さる。
「そういう運命だったってやつだ! 親父のきたねえ血を継いでいるこいつに、生きる価値なんて! 無いんだよ!」
茜を必死に庇うオレの背中にナイフを突き立てた竹下俊は、肩で息をしながら、喉の奥でひきつったような笑みを浮かべながら、ぐりぐりと刃を押し込んでくる。
オレの背中はボロボロだった。
肉がぐちゃぐちゃに抉られ、多分、皮膚奥の筋肉繊維がむき出しになっている。そこから絶えることなく血が流れ落ち、辺りには異様な臭気が漂っていた。
切り裂かれた右目から、くちゃっと潰れた眼球が落ちる。視界の半分が赤く染まっている。裂かれた頸動脈から、血が噴出している。
もう絶命してもおかしくないその状況で、オレは必死に茜を庇っていた。
茜が言う。
「かつ兄…、もう…、やめて…」
「ばか…やろう…」
オレは途切れそうな意識を必死に繋ぎとめた。
「こんだけ…、酷い目に遭ってんのに…、そのまま…、死ねるかよ…」
茜は悪くない。悪くないんだ。
悪いのは親父でなんだ。
それなのに、どうして、こいつが傷つくんだよ。
なんでだよ。
なんで…、いつも弱いやつばっかりが…! 傷つくんだよ…!
「あ、あかね…」
茜の青白い顔にオレの血が落ちる。
「護る…、から…」
「かつ兄…」
茜の虚ろな目がオレを見る。
小さな口の奥で、ごぼっ! と、排水溝が詰まった時のような音が立ち、茜は黒い血を吐いた。
「ごめん…、もう、ダメみたい…」
「だめだ…、あ、あかね…、だめだ…」
茜の顔からみるみる生気が抜けていく。
茜は最期の言葉を、オレに伝えた。
「…大人に…、なりたかった…」
そして、ゆっくりと瞼が降りた。
茜が…、死んだ。
それを自覚した瞬間、オレの身体の奥で、何かが燃え上がった。
「おら、そろそろ死ねや。運が悪かったってあきらめろ」
竹下俊が、ナイフを振り上げる。
オレは叫んだ。
「ふざけんなああああああああああああああ!」
力んだ拍子に、全身の傷から血が噴き出す。
「なんだよおおおお! 『そういう運命だった』って! 『運が悪かった』ってなんだよおおおおお!」
なんで、こんな小さなガキが…!
なんで、弱いやつばっかり。
「じゃあ、オレたちは一体! 何のために生きているだよおおおおお!」
竹下俊が振り下ろしたナイフが、オレの首に突き刺さった。
「あ…」
刃が気道を貫通し、切っ先が喉から突き出る。
「が…、ふ…」
溢れだした血が、喉に詰まった。
死ねない。死んじゃだめだ。
死んだら…、オレが死んだら…!
そして、オレの意識が途切れた。