その㉑
どのくらい走っただろうか?
気が付くと、鬱蒼と生い茂った木々に囲まれていた。
身体が燃えるように熱を持ち、肌を汗が流れている。喉の奥に鉄の味が広がり、脚は生まれたての小鹿のように震え、もう一歩も動けなかった。
ここは…、山か? どこの山? まあいい。ここなら、しばらく身を隠せるだろう。
「はあ…、はあ…」
脇に抱えた茜は、酔ったのが目を回していた。
「あ……」
オレは茜を地面に下ろし、青くなった頬を軽くたたいた。
「おい、しっかりしろ」
「うひい…、目が回る…」
「ごめん…、夢中になって走りすぎた」
近くに小川があったので、そこに流れている冷たい水をハンカチにしみこませて、茜の頬を拭った。
回復した茜は、この世の終わりみたいな顔をして、オレを睨んだ。
「ねえ、かつ兄…、なんでこんなことをしたの?」
「…ごめん」
頭が冷えたオレは、俯いた。
「少し気が逸った。お前が…、警察に連れていかれると思うと…」
「いいんだもん。だって、私がやったんだから…」
「だから…、それが信じられないんだよ」
「信じられなくてもいいんだよ」
茜の目には光るものがあった。
「あれでよかったのに…。私がお父さんを殺したって言えば…、それで…、私は幸せに暮らせたのに…」
「……」
やっぱり、こいつ、何かを隠しているな。
「まあ、わかったよ」
言いたくないならそれでいい。
オレは茜の白い頬を撫でた。
「言いたくなったら言え。言いたくならなくても、オレが謎を解く」
「もう、私に構わなくていいんだよ」
「…なんだ? 有難迷惑か?」
「だって…、私を庇ったばっかりに…」
遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえた。
「かつ兄が…、警察に…」
「オレは別にいいんだよ。不老不死だし、いざとなれば逃げられるし。だけど、お前はそうもいかないだろ。少年法で早く出たとして…、『殺人犯』のレッテルが貼られるんだぜ? その状態で、この町で生きていけるかよ」
「それでいいんだよ」
茜は首を横に振った。
「生きていれば…、どうにだってなるよ。みんな、私のこと嫌いだけど…、アマ姐とか…、かつ兄とか…、マサムネみたいに、私に優しくしてくれる人だっているんだ。百人に一人でいいんだよ。百人に一人…、私を認めてくれる人がいれば…、それでいいんだ。それで十分だから…。だから…、これが、一番いい方法だったんだ…」
「……」
「それに…、私が警察に捕まれば…、私は、今まで以上に幸せになれるんだよ…」
「……」
オレは茜の頭をぽんぽんと叩いた。
「もういい。今は身を隠そう」
「いや…、警察に行こう」
「何度でも言わせんなよ。てめえを警察に渡してたまるかっての」
オレはそう吐き捨てると、再び茜の小さな身体を抱え、身を隠せる場所を探して歩き始めた。天野さんと毎日歩いているおかげか、山の急斜面や、ごつごつとした足場を難なく超えていけた。
オレに抱えられながら、茜は言った。
「マサムネ…はね、私の友達なんだ」
「うん、知っているよ」
「小学校の友達に追いかけられて、逃げた先に、あの子がいたの。山に入る前の茂みの中でちょこんと正座して…、ずっと誰かを待っていたんだ。何も食べようとしない…。だから、私が時々、食べ物を持って行ってあげた。そうしたら…、いつの間にか仲が良くなっていたの。お父さんには獣臭いって殴られたけど…、その傷も、マサムネが優しく撫でてくれたんだ。それだけで私が『生きていこう』って思えるの」
「…うん」
「ねえ、また…、もし、私が牢屋から出てきたら…、また、マサムネを撫でさせてくれる?」
「そうだな…」
絶対に守る。
茜を担いでいると、三十年前の自分を担いでいるような気分になった。