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その⑳

 苛立ちを隠しきれないでいると、庭を囲む塀から声がした。


「あ! 見えたわよ! ほら、あそこに新崎の娘が!」

「あらやだ! 本当だわ! しかも血まみれ!」


 その場にいた者が全員、声がした方を振り返る。

 そこには、塀の向こうから、四十代くらいのおばさんが二人、こちらをのぞき込んでいた。

 笠野巡査が「ああ」と面倒くさそうな声を上げた。


「すみません、奥さん方、ちょっと事件がありましてね、見ないでもらえます?」

「あらやだ! 事件ですって!」

「あらやだ! 新崎の娘が、父親を殺したんですって!」


 もうそんな話が広まっているのか?


 オレはふと、岩に腰を掛けていた、通報者の女を見た。


 女はオレや笠野巡査に睨まれて、「てへ」と舌を出した。


「言いふらすつもりはなかったんですけどお…、この町、噂の広まりが広いみたいでえ…」


 見れば、おばさんたちはスマホを耳に当てて、どこかに電話をしていた。


「ねえ、お隣の〇〇さん! 今すぐ新崎の家に来てくださらない? ええ、面白いものが見れますよ! ええ、娘さんが父親を殺したんですって!」

「○○さん? 今大丈夫ですか? ええ、新崎の家で殺人事件が起こったのよ! ええ、犯人は娘さんですって! まだ警察が多く来ていないから、今のうちに見ましょうよ!」


 噂を広めようとしている二人に、笠野巡査が慌てて駆け寄って止めていた。だが、調子のいい野次馬二人の口は止まらなかった。


「いやあ、きっと娘さんも大変だったんでしょうねえ。出来の悪い父親を持って、でも、因果応報でしょうね。あれだけ、人に迷惑をかけたんですから!」


 そう、嬉々としながら、誰かに電話をしていた。

 彼女たちの言葉に思うものがあったオレは、塀をひょいっと飛び越え、おばさんらの前に立った。


「なあ、おばさん」

「うん? なによ」


 おばさん二人が通話を切りながら振り返った。


「新崎って、どんなやつなんだ?」

「そりゃあ、もう、最低な男よ!」


 おばさんらは声をそろえて言った。


「詐欺、暴行、窃盗…、下手すりゃ殺人…、この町のほとんどの人間に嫌われているのよ。この家も、人を騙して手に入れた金で買ったのよ。二人暮らしのくせして、ぜいたくよねえ」


 その話はあの空き巣三人に聞いたな。


「二人暮らしって…、母親は?」

「さあ、まあでも、あの男のことだから、たいして親しくもない女を孕ませたんじゃないのかしらね? 愛情の欠片が無いから、よく娘さんを殴っている姿も見かけるし」

「茜って、そんなに嫌われているのか?」

「そりゃあもちろん!」


 おばさんらはまた、声をそろえて言った。


「犯罪者の娘だからね、その血も汚れているでしょうし、身なりも汚いし…、将来はろくな大人にならないでしょうね。実際、人を殺しているみたいだしねえ」

「………」


 おばさんらは、まるで親を殺されたかのように、恨みのこもった声で茜とその父親について語った。


 それを聞いたオレの頭の中に、三十年前、黒河村で言われたことが過る。

 

 詐欺師の息子。


 汚れた血。


 ここから出ていけ。


 死ねばよかった。


 ろくなやつじゃない。



「………」

「みんな、あの男と、茜ちゃんを嫌ってるのよ」


 おばさんが笑いながら言う。


「ほら、あの三人。空き巣に入ったんですって? 仕方ないわよ。三人とも、新崎にお金をだまし取られているんだから」

「…そうなのか?」

「ええ、西城秋江さんは…、確か店の資金を融通してくれるとかどうとかでお金のやり取りがあったみたいだけど…、結局損をしたみたいだし…、竹下俊さんの親父さんは、この町じゃ有名な地主でね。山をいくつも持っているの。それが、建築関係の話の中で騙されて、いくつかの山を二束三文で買いたたかれたらしいの」

「棚村太一は?」

「あの人は、確か…、娘さんが強姦されたとか? 写真を撮って、インターネットに挙げられたとかで、泣き寝入りしたみたいなの。しかも、写真を消してもらうとためにお金を払ってねえ…」


 おばさんらは他人事のように(まあ、他人事なんだけど)言って、笑いながら手を仰いだ。


「ねえ、巡査さん。あの三人の罪は軽くしてやってくださいな。あの三人、失われた分を取り返しに空き巣に入ったようなものでしょ」

「まあ、それは後々の調査と、裁判云々で決めることですし」


 笠野巡査は面倒くさそうに首を横に振った。

 それから、おばさんは少し怒ったように言った。


「でも、嫌な世の中よねえ。娘さん、父親を殺したって、少年法が適用されるものね。すぐに世に出てくるわよ? ああ、そうしたらまた、被害者が増えちゃうわね。人を殺すことを覚えたんだから、もっと殺したくなるに決まっているわ」

「まあ、その件も、後々決めますから」


 そうこうしていると、遠くからパトカーのサイレンが近づいてくるのが分かった。

 笠野巡査は「お、やっと来たか」と、ため息をついた。

 庭にいる空き巣三人組と、血まみれの茜に声をかけた。


「パトカーが来たら、それぞれ乗ってもらうからね」

「「「はーい!」」」


 空き巣三人組は、遠足に行く前の子供のように声をそろえた。

 オレの身体の体温が、二度上昇する。頬から冷汗が流れ落ち、半開きになった口からは浅い息が洩れる。


 まずい。このままだと…、茜が警察に連れていかれる。


 それじゃあだめだ。このままだと…、茜は「犯罪者の娘」「殺人犯」として、世を歩くことになる。一層、後ろ指を指されながら…。


 だめなんだよ。それじゃダメなんだ。少年法が守ってくれる? それじゃあだめだ。


「…っ!」


 気が付くと、オレは自身の爪を噛んでいた。

 オレの尋常じゃない様子に、笠野巡査が心配そうに声をかけた。


「大丈夫かい?」

「いえ…、ごめんなさい」


 わからん。

 早く考えろ。

 なにがあった? 

 あの時間…、何が起こった? 

 本当に、茜がやったのか? 違うだろう。

 なにが…、何が、何かが矛盾している。何かが…、ああ、だめだ! 答えが出ない! 頭が…、働かない!


「だあ! 畜生!」


 次の瞬間、オレはとんでもない行動に出ていた。

 塀を飛び越えて、また庭に踏み入ると、茜に向かって駆け出す。

「え…、きゃあ! カツ兄! なにするの?」

「うるせえ! 黙ってろ!」


 オレは悲鳴を上げる茜の小さな身体を脇に抱えると、地面を蹴って全力疾走を始めた。

 オレの逃亡に気づいた笠野巡査と、もう一人の巡査が追いかけてくる。


「待ちなさい!」

「マサムネ!」


 次の瞬間、木陰で休んでいたマサムネが飛び出してきて、笠野巡査に飛びついた。


「うわあ!」


 笠野巡査が情けない声を上げて転ぶ。それに釣られ、もう一人の巡査も立ち止まった。


 マサムネ! 頼む、足止めしていてくれ!


 オレは後ろを振り返らずに駆ける。

 茜が甲高い声を上げながら、オレの腹を殴った。


「やめて! かつ兄! やめて! お願いだから! 私が殺したの!」

「だからうるせえ! って言ってんだろ!」


 バカな行為だ。だけど、これしか方法が無かった。

 早く、人のいないところに。

 まずは、茜を守ることが優先だった。


「てめえ! いい加減にしろよな! お前がやったわけないだろ! できるわけないだろ! てめえの身の潔白はオレが証明する! そう決めたんだよ! このクソガキが!」


 走った。

 走った。

 走り続けた。

 なにも考えられなかった。

 ただただ、「茜を守りたい」という本能が、オレを突き動かしていた。


 恥ずかしい話だ。


 シンパシーを感じていたんだ。黒河村で、皆に嫌われていたオレ。そして、この町で嫌われている茜。


 オレは逃げたから。あの村の人間から逃げたから、こいつには真っ当な人生を歩んでほしい。誰にも後ろ指を指されず、誰にも蔑まれない…、そんな日々を送ってほしかったんだ。


 茜の身の潔白は…、オレが必ず…。





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