その⑱
「うわっ!」
中のものを見た瞬間、思わず後ずさる。マサムネは嬉々として「ワンッ!」と吠えた。
冷蔵庫の中に入っていたもの。それは、赤い肉の塊だった。大きさは…どのくらいだろう? スーパーで売っているものなんて比べ物にならない…サッカーボールよりも一回り大きいくらいだろうか?
業務用。と言っても差し支えない肉の塊が、冷蔵庫の中に、どんっと置かれていたのだ。
「な、なんだ、これ…」
茜の親父の死体を見たあとなので、嫌な予感が脳裏を駆ける。
だが、その筋肉質な表面と、一層強くなった香りを嗅いで、その予感はすぐに消え失せた。
「ああ…、これ、イノシシの肉か…」
黒河村に住んでいた時に、幸三の爺さんが嬉しそうに引きずっていたのを思い出す。「見ろ! ミカン畑を荒らしておったから、撃ち殺した!」って笑いながら言っていたな。その日の晩は、近所中からいい香りがしたんだ。
まあ、オレと親父の家にはおすそ分けされなかったけど。
「ふへえ…、イノシシか! 懐かしいなあ…」
「ワンッ!」
マサムネが尻尾を振り、口からよだれを垂らしながら冷蔵庫に飛びついている。
オレは「やめとけよ」と言って、マサムネを引きはがした。家主が死んだとは言え、殺人事件があった家のものを食べるわけにはいかない。
他にも見たが、棚にあるのは二人分の茶碗とコップだけだった。特に謎解明に繋がるものは発見されずオレは肩を落としながら台所を出た。
マサムネが爪をカツカツと踏み鳴らしながらオレの後に続く。
「おい、マサムネ」
「ワンッ」
「お前…、どう思う?」
「ワンワンッ!」
マサムネは尻尾を振りながら鳴いた。
「…おかしな点は二つ。同時刻に茜の親父と、天野さんの殺人…二つの殺人事件が起こっていることだな。しかも、その二つは殺害方法が違うと来た。親父さんの方は刺殺。天野さんの方は…、撲殺。そして、殺人現場に居合わせた三人の空き巣」
ここまでなら、まだ、犯人は親父さんの殺害を茜に擦り付けたのち、逃げ出したところを天野さんに見られて彼女を撲殺。オレたちの気配を悟って家に戻り、空き巣らの中に紛れた。という説明がつく。
だが…、まだ不可解な点がある。
「なんだったんだ? あの炸裂音は…」
オレとマサムネがこの家に駆ける途中に聞いた、あの「ドンッ!」という音。銃声にも思われる音だったが…、別に、天野さんも茜の親父も銃殺されたわけじゃない。
「くっそ…、意味がわかんねえ…」
オレは焦りから頭をぼりぼりと掻いた。すると、何を思ったのか、マサムネがオレの脛にすり寄ってきた。オレはマサムネの頭を撫でながらひたすら考える。
「まさか…、やっぱり、オレの考えすぎなのか? 茜の親父も、天野さんも、みんな茜がやったことなのか? でも…、無理があるだろうが。もし茜が犯人だとすると、天野さんを玄関前で撲殺したのちに、あの和室で酒盛りをしていた親父を刺したってことだぞ? そんなこと、七歳のガキができるわけないだろ…」
そこまで考えたところで、ふと「いや、できるのか?」という考えが浮かんだ。
思い出すのは、三十年前…。脳裏に浮かぶのは、オレの親父を殺した友達の顔だった。あいつは、オレの親父に騙されて、母親を失い…、そして、オレと親父を殺すために復讐心に身を焼いていた。三十年前だから…、十四歳か。まだ皮も剥けてないようなガキが…、まあ、あいつの皮が剥けていたのかどうかは知らないが。
つまり…、復讐心は行動力に直結するということだ。
殺したいほど恨んでいるのであれば、それは人に勇気を与える。
茜も親父さんを殺したいほど憎んでいて…、だから、突発的にそれを行った…。いや、でも、それだと天野さんはどうなる?
どうして、あの場に偶然居合わせた天野さんは殺されたんだ?
考え事をしながら、マサムネを撫でていると、不意につんざくような悲鳴が響き渡った。
「きゃあああああああああああああああっ!」
「……」
オレはそこまで驚かず、縁側の先を見た。
歩いて向かうと、殺人現場になった和室の前に誰かが立っていた。
女だ。年齢な二十代後半くらい? 肌寒い春にも関わらず、胸元が開いたTシャツに、パンツが見えそうなくらい短いスカート。肌はうっすらと焼けていて、目元のチークがぎらぎらと光っていた。
女は口を押さえて三歩下がる。縁側から足を踏み外し、庭の土の上に転げ落ちた。
すぐに体を起こす。その瞬間、オレと目が合った。
「あ、あ、あんたが…」
「……」
「あん、あんたが…」
女は酸欠の金魚のように口をぱくつかせながら、震えた指で和室の方を指した。
あちゃー。
オレは内心舌打ちした。
外の扉にも鍵をかけておくべきだったか? 血の臭気がすごくて開けていたんだよな。
当然のごとく、和室の中には、茜の親父さんの死体。血まみれの茜。そして、縄で拘束された空き巣三人がいるわけだ。
そして、オレは大型犬を連れて、部屋の中を闊歩している。
女は「ひいいいい!」と悲鳴を上げて、腰を抜かしながら後ずさった。
「け、警察…、け、警察を…!」
黒いパンツを丸見えにしながら、スカートのポケットからスマホを取り出す。この女にも口止めを…と思ったが、無駄なことだと思った。
「くそ…」
オレはまた舌打ちをした。
三十分後、この家の前にパトカーが駆け付けた。




