その⑨
ガツンッ!
と、後頭部に衝撃が走った。
「ふげえ!」
オレはカエルが踏みつぶされたようなうめき声をあげて、コンクリートの上に倒れこむ。顔を上げようとした瞬間、追い打ちと言わんばかりに、頭を誰かに押さえつけられた。
食べかけの焼き鳥の串が喉に刺さる。
「がふっ!」
息が詰まる。
喉から鼻の奥にかけて熱いものが広がり、それは鉄の味となって舌先を鈍らせた。声が出ない。首を抑えてうずくまると、頭上から天野さんがオレを呼ぶ声と、また別の誰かの声が聞こえた。
「てめえ! なにしてやがんだ!」
だ…、れ、だ?
喉に串が刺さった痛みで、頬が痙攣する。震えながら眼球を動かすと、オレの頭を筋肉粒々の男が踏みつけにしていた。
この肌寒い中、Tシャツに、ハーフパンツ。裸足にサンダル。腕と脚には黒く縮れた毛が大量に生え、髭も手入れが行き届いておらずぼうぼうだった。怒りに満ち、黒く光った眼球がオレを見下ろしている。
「あんた!」
天野さんが、オレを踏みつけにしている男に向かって錫杖を振った。
男はオレの頭を蹴って後退する。それがとどめとなり、オレの喉にはさらに深く串が刺さった。
「あんた! 急に何やってんの!」
「そりゃあ、こっちのセリフなんだよ!」
男の野太い声が聞こえた。
「オレの娘に手え出しやがって!」
オレの…、娘?
眼球を動かしてみると、先ほどまで幸せそうにしていていた茜が、低く唸るマサムネを抱きしめながら、真っ青な顔で男の方を見ていた。
「お、お父さん…」
「おう! 茜えッ!」
男は茜の方にサンダルを踏み鳴らしながら近づく。
殺気を感じ取ったのか、マサムネが「バウッ!」と吠えて、茜の父親に襲い掛かった。だが、男は「邪魔だッ!」という叫びとともに、マサムネの巨体を蹴り飛ばす。マサムネは甲高い悲鳴をあげながら地面を転がった。
男が、震える茜の腹に、蹴りを入れた。
茜が「ぐうっ!」と唸る。校庭に放置されたサッカーボールのように、コンクリートの上を転がった。遅れて嗚咽が聞こえ、茜の小さな口から先ほど食った焼き鳥やら大判焼きやらが吐き出される。
「…っ!」
だめだ…、声が出ない。
喉の苦痛に震えるオレを横切り、天野さんが男に殴りかかった。
「あんた! なにやってんのよ!」
錫杖を振り下ろす。しかし、男はそれを、毛むくじゃらの剛腕で受け止めると、一気に突き返した。
「きゃあっ!」
天野さんがオレの横に腰を打ち付ける。大勢を立て直そうと体を起こしたところを、男が蹴り上げた。
ガチンッ! と、歯と歯がぶつかる痛々しい音が響いた。
天野さんは「がうっ!」と呻くと、顔をのけぞらせ、背中から倒れこんだ。
「あ…、あま…」
喉が痛い、声が出ねえ…。
なにもできないオレの前で、男は倒れている茜に近づくと、胸ぐらを掴んで強引に起こし、そして、拳を振り上げた。
あ…。
茜が「ごめんなさい! お父さん!」と言うよりも先に、ゴツンッ! と鈍い音が響いた。一回ではない。二回、三回、四回…、五回…、六回…、七回…、八回…。九回殴ったところで、茜は糸が切れた人形のように、首をがくっと折り、気を失った。
男は「ったくよお!」と怒鳴り、茜の小さな身体を脇に抱える。そして、オレの方を振り返った。
「てめえら、よくもオレの娘に構ってくれたな」
「……」
「くそが…、いらねえ心配かけてんじゃねえよ。こいつはオレの娘だぞ」
「……」
「おら、帰るぞ。茜。こんな時間まで何やってんだよ。次に勝手に出歩いたら、ぶち殺すからな」
そう言いながら、男は茜を抱えたまま、商店街のゲートの方へと歩いていく。
オレが、言葉にならない「待て!」という声を発しながら、立ち上がった瞬間、すぐに足の力が抜け、その場に跪いた。喉の傷から溢れた血が気道に流れ込み、激しくせき込む。
くそ…、待てよ…。てめえ、茜を…。
そこで、オレは気を失った。