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その⑧

 一時間後。


 温泉を堪能して、暖簾をくぐって外に出ると、一時間前と変わらず、マサムネがそこに座ってオレを待っていた。


 オレと目が合うや否や、「ワンッ!」と吠えて、立ち上がる。

 尻尾を振りながら近づいてきたので、思わず身構えた。


「おい! 人前なんだ! 殺してくれるなよ!」


 オレの願いが通じたのか、マサムネはぴたっと止まった。でも、尻尾はどうしようもなく揺れている。オレは温泉で火照った手(マサムネに食われて一部欠損)で、マサムネの頬を撫でた。


「よーし、いい子だぞ。とりあえず、天野さんと合流するか」


 先ほどのペットショップで買ったリードをマサムネの首に取り付けると、天野さんがいるであろう商店街へと足を向けた。


        ※



 ゲートをくぐって、数多の店が軒を連ねる商店街に入ると、先ほどとは打って変わって、多くの人が行き交っていた。

 その人の多さに、マサムネが「ワンッ!」と吠える。

 オレは顔をしかめながら辺りを見渡した。


「くそ、人が多くて、天野さんがどこにいるのかわかんねえな…」


 左右から、商売人の元気な声が聞こえる。「よお! そこの兄ちゃん! コロッケ買わないか?」「おい兄ちゃん! 野菜安くしとくよ?」「どうだい? 閉店前だから、半額セールやってるよ?」って。


 オレは、肉屋に近づくと、店主のおじさんにコロッケを一つ注文しながら、天野さんのことを聞いた。


「なあ、この通りを、着物で、錫杖を突いた女が通らなかった?」

「着物で…、錫杖?」


 おじさんが、少し冷えたコロッケを手渡しながら言う。


「ああ、新崎の娘さんと一緒にいた女の子だね」

「新崎の…、娘?」


 ああ、茜のことか。


「兄ちゃん、あの別嬪さんと知り合いなの?」

「うん、まあ」

「じゃあ、一つ忠告しておいてやるよ」


 肉屋のおじさんはオレに顔を寄せると、声を潜めて言った。


「あの別嬪さんと一緒にいた女の子に関わらない方がいいよ」

「え…」


 持っていたコロッケを落としそうになる。


「女の子って、茜のことだろ?」

「おう、新崎の娘さんだな」

「どういうことだよ?」

「まあ、いろいろ事情はあるんだけど…、とにかく、関わったらろくなことにならないからな! 兄ちゃんも、どうせ他所から来たんだろ?」


 そういうことを、肉屋のおじさんは、がははと笑いながら言った。


 そんなはずはない。茜は、そういうやつじゃない。という言葉は、すぐに喉の奥で消え失せた。代わりに、「ああ、そうなんだ」って、乾いた納得が沸き上がり、鼻先で弾けた。


 茜と出会ってから、まだ数時間しか経っていない。あいつが「そういう人間」であるかどうかなんて、まだ計ることはできなかった。


「あの親子は、『疫病神』だからな」

「………」


 おじさんの言葉が、三十年前のことを思い出させた。

 そういえば…、オレも昔…、村人に「疫病神!」って言われて後ろ指さされてたなあ。


「おっと、すまんな、陰気臭い話して。とにかく、あの娘さんと、その親父さんに関わったらろくなことにならんから、忠告はしておいたぞ。じゃあ、またよろしくな!」


 オレは肉屋のおじさんに「どうも」と頭を下げてから、店を離れた。


 商店街を歩いていると、ふとすれ違った雑踏の中から、ある声が聞こえた。



「ねえ、見た? 新崎の娘さん」「ええ、ああ、嫌だわ。あの子のお父さんに、私の知り合いがやられてねえ」「あんなみすぼらしい子が、こんなところに、何の用かしらねえ」「さあ? また、娘を使っていかがわしい商売でも始めようとしているんじゃないの?」「ほんと、この町から消えてほしいわねえ」


 オレは思わず立ち止まった。


 振り返っても、その声の主はわからない。


 マサムネが心配そうな顔で「ワンッ!」と吠えた。


 オレは我に返り、マサムネの頬を撫でる。マサムネは耳を倒して、気持ちよさそうな顔をした。


「なあ、マサムネ…」

「ワンッ!」

「お前…、どう思う?」

「ワンッ! ワンワンッ!」

「なるほど…、わからん」


 ということをしながら、商店街を奥へ奥へと進んでいくと、見慣れた白い着物が見えた。


「おーい! 天野さん!」

「ワンワンッ!」


 オレとマサムネの声に、焼き鳥屋の前でももを頬張っていた天野さんと、茜が一斉に振り返る。

 茜は小さな口の周りをソースでべったりと汚しながら、オレに向かって手を振った。


「おーい! かつ兄!」

「かつにい?」


 本名以外で呼ばれるのは生まれて初めてだったために、違和感が耳に残る。


「お前ら…、オレを放って、美味しいもんばっかり食べやがって…」


 マサムネがリードを引っ張り、「ワンッ!」と鳴いて、茜に飛びついた。


「マサムネも焼き鳥いるの?」

「ワンワンッ!」

「わかった、ゆっくり食べなよ。串から抜いてあげるから」


 茜が、タレがかかった焼き鳥を、串から抜く。それをマサムネの口元に持っていくと、マサムネは彼女の手を噛みちぎりそうな勢いで食べた。


「おいおい、塩分過多で死んじまうよ」

「大丈夫。マサムネは不老不死だから」


 天野さんがネギまを齧りながら得意げに言った。こういう愛犬の食事に無責任な飼い主っているよな。

 まあ、マサムネが塩分過多で死んだところで、すぐに生き返るんだけどな。


 焼き鳥を通じて触れ合っている茜とマサムネを横目に、オレは天野さんに手を出した。


「おら、オレの分の焼き鳥」

「了解。何がいい?」

「なんでもいいよ」

「へい! おやっさん! もも三本!」


 店の屋台から、野太い声で「あいよっ!」と返ってきた。


 紙袋に入れられた焼き鳥を受け取ったオレは、一本取り出し、一口噛みながら、傍にあったベンチに腰を掛けた。天野さんも隣に座り、食後のミネラルウォーターを飲んでいる。

 オレたちの前には、茜とマサムネがいて、二人は人目もはばからずにじゃれあっていた。


「茜とマサムネって、本当に仲いいんだな」

「そりゃそうだよー。だって、マサムネは私の一番の友達だもん!」


 茜が笑いながら言う。


 ふと見ると、オレたちの横を通り過ぎる者たちのほとんどが、汚いものを見るような目で、茜を見ていた。彼らは顔をしかめ、でもすぐにぷいっと前を向いて歩いていく。


「なあ、茜。お前…、学校の友達は?」

「いないよー」


 茜はマサムネを撫でながら何てことないように言った。


「みーんな、私のこと、嫌いなんだ。何もしてないのにさ、『バカ』とか、『死ね』とか言われるんだよ。まあ、もう慣れたけどねえ」

「…そうか」


 鼻の奥がつんとした。


 オレは茜とマサムネの方を見ながら、隣の天野さんの脇腹を小突く。

「おい」

「急に触らないでよ、この変態」

「いや、今はいいだろ」


 気を取り直して。


「おい、天野さん、まじでどうするんだよ」

「どうするって…、明日にはこの町を出るよ? もちろん、マサムネと一緒に」

「でも…」


 周りの目。そして、茜の話から察するに、こいつの家は、この町の住人から嫌われている。


 オレがそうだったからわかるんだ。これは…、あまりいい状況じゃない。もちろん、オレたちが口を出すことではないし、正直関わりあいたくない。だけど…、もしこのまま、友情を確立している二人を引きはがせば…。


「おい、天野さん、このままだと、茜、孤独になっちまうぞ」

「んなこたわかってるわよ」


 天野さんは食い気味に答えた。


「だけど…、どうしようもないでしょうが」

「まあ、そうだよな」


 オレたちは不老不死だ。決して老いない。決して死なない。そんなオレたちに、であって間もない茜の人生を支えることは不可能だった。


「いい? 克己」


 天野さんは諭すように言った。


「私は五百年間…、たくさんの人間を見てきたわ。今は平和の世になったけど、昔は本当にひどかったの。飢饉や災害でたくさんの人間が死んだ。当時、私が世話になっていた村の人もみんな死んだ。だけど、私は彼らに血を飲ませることはしなかったわ」

「…なんで?」

「時の流れって…、そう易々と止めるものではないの。それとね…、私には全員を救うことが不可能だったから」

「じゃあ…、オレの時は」

「あんたは死にそうだったじゃない」

「まあ…」

「茜ちゃんは、確かに周りから蔑まれているね。あんたが温泉に入っている間…、合計三人の町人から罵倒を浴びせられたわ。だけど…、あの子は生きているの。生きてさえいれば、案外いいこともあるの。特に…、大人になればね…」


 それから、天野さんは得意げに言った。


「これ、五百年の知恵!」

「要するに、ばあちゃんの知恵じゃねえか」

「うん、おばば言うな」


 失礼ねえ! 私はぴちぴちのお姉さんだから! と、「ぴちぴちのお姉さん」ならまず言わないセリフを言う天野さんを横目に、オレは二本目の焼き鳥に手を伸ばした。


 串の先端に気を付けながら、そろりそろりと齧る。


「なあ…、茜」

「なあに?」

「お前の親父さんは、何やってんの?」


 すると、にこにこと笑っていた茜の顔が曇った。


「え、お父さんのこと?」


 あ、聞いちゃまずかったか。

 すかさず、マサムネが彼女の顔を舐める。


「うわ! マサムネ、くすぐったいよ…」


 マサムネのおかげで余裕を取り戻した茜は、明るい口調で言った。


「きれいなお姉さんと一緒に、お出かけしているんだよ。それで…、いっつも、たくさんのお金を持って帰ってくれるんだあ!」

「たくさんの…、お金?」


 天野さんと顔を見合わせる。やはり、茜の家庭は暗そうだ。


「そうか…、てめえの親父さんは、商売上手なんだな」

「そうなんだろうね。まあ、私には使わせてくれないけど」

「………」


 茜の話を聞くたびに、三十年前のことがフラッシュバックした。


 バニバニ様だなんて…、噓八百で村人の関心を引き、信心深い優しい人から金を巻き上げる。そうやって得た金を道楽に費やす畜生。茜の話からは、そんな臭いがした。


「お前も…、大変だな」


 そんなことしか言えなかった。



 茜が笑う。


「別にい。もう慣れたし! そりゃあ、つらいときもあるけど、私にはマサムネがいるからね! あと、アマ姐と、カツにいとも友達になれたし! 温泉にも入って、久しぶりにおいしいもの食べられたし!」


 茜はマサムネを撫でながら、その小さな身体をしゃきっと伸ばした。


「生きていればさ! いいこともあるよね!」

「………」


 言葉が出てこなかった。

 茜はさらに続けた。


「私ね、最近分かったことがあるの。歳をとればとるほど、つらいことって無くなるんだって。小学生になって、体が大きくなって、そうしたら、お父さんが私を殴るとき、少しだけ平気になったんだよ! すごいでしょ?」


 商店街の薄汚れた屋根を仰ぐ。


「私も早く大人になって…、どんなに辛いことも、笑ってやり過ごせるようにしたいの!」


 マサムネが「ワンッ!」と吠えた。


 通りを肌寒い風が吹き抜け、思わず身震いする。


 天野さんはふふっと笑い、髪をかき上げた。


「ほらね? こういう子って、強いの」

「そうだな」



 オレも笑って、焼き鳥を齧る。

 その時だった。



 ガツンッ!



 と、後頭部に衝撃が走った。




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