その⑥
そこには、六歳くらいのガキが立っていた。
「え…」
目がくりっとして、深みのある黒い髪が特徴的。頬はこけ、土がこびり付いている。目はどこか虚ろだった。小学校のポロシャツの袖から伸びた枝のように細い腕は、何かを抱きしめていた。
…誰だ? この町の人間か?
「あん? なんだよ、てめえ」
マサムネに指を食われていらだっていたオレは、突如現れたガキを睨んだ。
ガキの虚ろな目に、「警戒」が宿る。後ずさった瞬間、ガキが抱いていた何かが土の上に落ちた。その瞬間、落ちたそれが激しく跳ねる。
「え…、魚?」
ガキが抱えていたのは、丸々と太った黒い鯉だった。
すると、マサムネが「ワンッ!」と吠えて、ガキの方へと走っていく。
オレは慌てて止めようとした。
「おい! バカ犬! そのガキは不老不死者じゃねえぞ!」
だが、オレが懸念したようなことは起こらなかった。
天野さんの言った通り、マサムネはガキに噛みつくようなことはせず、その、足もとに落ちた黒鯉に食らいついた。
がふがふと、勢いよく鯉の肉をむさぼるマサムネ。
ガキは「クロちゃん、美味しい?」と言って、マサムネの頭を撫でた。マサムネは「ワンッ!」と吠えた。
「なあ、天野さん、どういうことだよ」
「つまり、そういうことよね」
天野さんはすべてを察したように頷くと、錫杖を突いて立ち上がった。
ガキを警戒させないように、ゆっくり近づき、優しく話しかける。
「ねえ、あんた、マサムネの世話をしてくれてたの?」
「え…?」
ガキが目をきょとんとさせて、天野さんを見た。
「ま、マサムネ?」
「ああ、ごめん。この犬の名前、マサムネって言うの」
「おねえさん、クロちゃんの飼い主さんなの?」
クロちゃん…ってのは、このガキがマサムネに付けた名前か。「黒」って言うほど黒くないだろ、こいつ。
天野さんが頷く。
「飼い主だよ。今日はこの子を引き取りに来たんだ」
「…そうなんだ」
ガキはマサムネを撫でながら頷いた。
「そっか…、クロちゃん…、飼い主さんがいたのか…」
マサムネが「ワンッ!」と吠えた。
オレは、天野さんから手拭いをもらうと、食い千切られた指の断面に押し当てて止血しながら聞いた。
「おいガキ」
「ガキじゃない。アカネって言うの。新崎茜だよ」
「おい茜。そのバカ犬とは、いつ知り合ったんだ?」
「うーんとね、一年くらい前かな? 町の人から逃げて、この山の近くを通りかかったら、げっそり痩せたクロちゃんと出会ってね。それから、こうやっておやつをあげてるの。それでね、一緒に遊んでいるんだ」
すると、マサムネが血まみれの顔を上げて、茜に飛びついた。
華奢な茜では受けることができず、マサムネに押しつぶされるような形で倒れこむ。
一瞬、嫌な想像をしたが、すぐに、茜の楽し気な声が聞こえた。
「ちょっと! クロちゃん! じゃないや、マサムネ! 重いよお!」
マサムネは「くううん」と甘えた声をあげて、茜の土で汚れた頬を舐めていた。
オレと天野さんは目を見合わせた。
「なるほどね」
「じゃねえだろ。どうすんだよ。このバカ犬、天野さんに愛想つかせて、ほかの女とイチャイチャしているぞ」
「うん、その言い方やめようか」
天野さんが錫杖でオレの頭を殴った。それから、少し真剣な眼差しで言った。
「確かに、茜ちゃんとマサムネが絆を深めたみたいだけど…、だめよね。やっぱり」
「って言うのは、やっぱ、普通の人間と、不老不死だからか?」
「まあ、そんなところね。特に、マサムネは獣だから、身の振り方をしらないのよ。ほら、駅で出会ったおばさんの話、覚えてる?」
「ああ…、この山がいわくつきみたいな話をしてたな」
「この山に身を隠していたマサムネの存在が、結構浸透してるのよ。もし、マサムネが不老不死であることがばれたら、黒河村の克己みたいに、迫害されるよ?」
「ってことは」
「うん」
天野さんは、茜とじゃれあっているマサムネを見た。
「茜ちゃんには何とか言って、早々にこの町を出よう」




