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その⑤

 目が覚める。


「うーん…、喉が痛い」


 まだ完全に治癒しておらず、喉にはオオカミにつけられた牙の痕が残っていた。


 ふと隣を見ると、天野さんが岩に腰を掛けて、オオカミの頭を撫でていた。


「おい!」


 オレは声を荒げて立ち上がり、天野さんとオオカミに詰め寄った。


「てめえ! さっきはよくもオレを殺してくれたな! ぶっ殺してやる!」

「こら」


 天野さんが錫杖でオレの頭を小突いた。


「動物相手に、なにムキになってんの?」

「その動物相手に、オレは殺されたんだよ!」

「まあまあ、許してやってよ。この子、嬉しいことがあると、相手の喉を咬んじゃう癖があるから」

「殺人じゃねえか!」


 オオカミは天野さんに頭を撫でられ、舌を出して「はっはっは…」と息をしていた。


 オレは学ランの襟もとに染み付き、黒く硬化した血液を指で拭いながら天野さんに聞いた。


「で? このオオカミはなんだよ」

「あ、これ、オオカミじゃない。狼犬ね」

「なんじゃそりゃ」

「イヌだって言ってんの」


 すると、オオカミ…、じゃなくて、狼犬は「わん!」と吠えた。


「簡潔的に言えば…、このこ、『不老不死』だから」

「まあ、そうだろうな!」


 話が見えてきたオレは、やけくそに頷いた。

 つまり、こういうことだろう。隣町の神社で見たあの絵巻に、天野さんと一緒に描かれていたあの犬は、彼女同様「不老不死」。百年間この山の中にいたってわけだ。


「って! この淫乱女!」


 オレは天野さんの頭を小突いた。


「なに、こんな凶暴な犬を、不老不死にしてんだよ!」


 他者が不老不死になるためには、オレ同様、天野さんの血を飲まないといけないのだ。


「オレが眷属第一号だったんじゃねえのか! オレ! 初めてだったのに! ちくしょうめ! オレの純情を踏みにじりやがって!」

「うん、『初めて』言うな」


 天野さんは呆れたように、傍の狼犬の頭を撫でた。


「私がマサムネを不老不死にしたわけじゃないの。あれは確か…、百四十年前かな? 長崎の辺りを歩いてたら…、飢えた野犬に襲われて、噛み殺されちゃったのよ。その時に、その野犬が私の血肉を啜ったおかげで、不老不死になっちゃってね。で、以来一緒に旅するようになったわけ」


 それから、天野さんは、「私は今までに、三人と一匹を不老不死にしてきたの」と、衝撃的なことを言った。


「一人はあんた、もう一匹はマサムネね」


 マサムネ、と呼ばれた狼犬は「わん!」と吠えた。そして、天野さんに泥だらけの顔を擦り付ける。もとより血で汚れていた天野さんは、気にすることなくマサムネを抱きしめた。


「うひゃあ! モフモフゴワゴワ! これよこれ。懐かしいこの感触! 冬場はよく炬燵代わりになったのよねえ!」

「冬場オレを炬燵代わりにしてるくせして何言ってやがる」


 大体の事情が読めたオレは、天野さんに聞いた。


「で? なんでこの馬鹿犬を、百年もこの山に放置したってんだ?」

「ふふ…、聞きたい?」

「……いや、いいや」

「聞け」


 オレの意思を無視して、天野さんは事情を語った。


「とある村で殺人事件が起こってね…、それを、マサムネと一緒に解決したわけよ。最後は犯人と対峙して、錫杖片手に、迫りくる刺客をばったばったとなぎ倒し…、そして、一件落着〆の段」

「それで?」

「解決した後は、この山の近くで野宿しながら日々を過ごしてたわ。一年が経ったくらいにね、マサムネに留守番を頼んで町に買い出しに行ったの。そうしたら、そこで人さらいに遭って…、そのまま東北の方まで連れていかれて…」

「うん」

「それで…、完全に忘れてた」

「忘れたのかよ!」


 オレは声を荒げてつっこんだ。


「いや、天野さん! マジでボケてんな! この犬、百年間天野さんの帰りを待ってたんだぞ? 馬鹿犬どころか忠犬だよ! ハチ公像も頭下げるくらいの忠犬だよ! てめ、なに忘れてくれてんだ!」

「えへへ…」

「なに照れてんだ! ってか、思い出したのも今日だろうが!」

「いやあ、奇跡的だね。あの神社に行かなかったら、思い出すのはもう百年先だったかもしれないよ。これも、私とマサムネの絆が見せてくれたことかな?」

「美談にしてんじゃねーよ!」


 犬の方もまんざらでも無い様子で、尻尾を振りながら天野さんに頬ずりをしていた。そのままの勢いで、彼女の喉を噛み砕きそうな勢いだった。


「で、どうすんだ? その犬」

「決まってんでしょうが。一緒に旅するのよ」

「え、ええ…」

 

 なんか気が乗らない。嬉しいことがあったら人を噛み殺す狂犬だぞ?

 オレがげんなりしていると、天野さんはいたずらっぽく笑った。


「なに? 嫉妬してんの? 頬ずりくらいしてあげるけど」

「してねーよ!」

「しかしねえ」


 天野さんは、隣のマサムネのごわごわした毛をなでながら首を傾げた。


「マサムネ、あんた、今までどうやって生きてきたわけ? まあ、不老不死なんだから、死ぬことはないんだけど…、あんたみたいな狂暴犬に寄り付く人間なんていないでしょ」


 すると、マサムネは目を輝かせながら「ワンッ!」と吠えた。

 天野さんが眉間に皺を寄せる。


「え、そうなの?」

「え、天野さん、その犬が何言ってんのか、わかるのか?」

「いや、わからない」

「おい! 百年の絆はどうした!」


 だが、確かにおかしな話だった。


 百年、この山に放置されていたというのに、マサムネはやつれた様子がない。不老不死者は、結果として「死なない」体質だが、その「死」の過程は存在するのだ。天野さんが、敷島の事件でバラバラにされて殺された時や、オレが、ホテルピーターで頭を割られて殺された時がその一例だ。


 そうなると、不老不死者は「死なない」のではなくて、「死んでも生き返る」と表現するのが妥当だろうか?


「こいつ、餓死しなかったのか?」

 オレはマサムネの頬を撫でた。硬い毛の奥に、もちっとした肉がある。

 すると、マサムネが「ワンッ!」と吠えて、オレの手に嚙みついた。


「あ…」

「ワンッ!」


 そのまま、オレの指を食い千切る。そして、くっちゃくっちゃと、湿気た音を立てながら飲み込んでしまった。


「て、てめええ!」


 オレはマサムネの胸ぐらを掴み、揺さぶった。


「おい! なに人の指食っているんだよ! おい! 吐け! 吐けええええ!」

「ワンッ!」


 オレはマサムネから血まみれの手を放し、天野さんに言った。


「天野さん、こいつが百年この山に放置されても、肥えてる理由がわかったわ。人食ってんだわ」

「バカねえ。百年前の私の躾が完璧だから、普通の人間には噛みつかないようにしてますよーだ」

「ってことは! 不老不死者には噛みつくんじゃねえか!」

「大丈夫だって! 指なんて、敷島事件の私と違って、すぐに生えるから」

「だからって、こいつの非常食になるのは抵抗があるぞ!」


 オレが怒涛の突っ込みを見せていた時だった。

 背後で、がさがさっと、草木が揺れる音がした。


 振り返る。


 そこには、六歳くらいのガキが立っていた。




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