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番外編【1708・0713】 錫杖の音

番外編


 私が人魚の肉を食べて二百年が経った頃。


 私は「不老不死を治す方法」を探して、四国のとある山中を彷徨っていた。


 昼頃。

 気候には十分気を使っていたが、木陰で休んでいる内に、空は灰色に染まり、そこから大量の雨粒が降り注いだ。


 ボロボロの着物に雨水が浸み込み、私の体温を奪っていく。


 雨宿りできる場所を探そうと、立ち上がった。その時だった。


 ずるっと、足が滑る。


 あっ! と思い、手頃な木の枝を掴んだが、それもすぐに湿気た音を立てて折れた。岩に腰を打ち付ける。激痛が走る。受け身がとれない。重力に引っ張られる。


 緩やかな斜面を、私は雨に流されるようにして転げ落ちた。


 そして、岩に頭をぶつけて、絶命した。










        ※





 目を覚ました時、私は青い空を見上げていた。


「…いてて」


 まだズキズキと痛む頭を抑えて身体を起こす。

 

 ザザザッ! と、土を擦るような音と共に、男達の小さな悲鳴が聞こえた。


 見渡すと、私の周りを袈裟を着た僧侶たちが取り囲んでいた。


「…生き返った?」


 一人の僧侶が言った。


 私は「ああ、そう言うことか」って思い、めんどくさそうに頭を掻いた。


 さしずめ、死んでいるところを近くの寺に拾われたのだろう。傍に穴が掘られてあるってことは、埋葬の直前だったというわけだ。


 私は「よっこらしょ」と、言って立ち上がる。その一挙手一投足に、私を取り囲んでいた僧侶たちが驚き、後退る。口々に「生き返った…?」「なんで…?」「仏様に拒まれたのか?」「奇妙な…!」と言い合う。


 驚かれるのに慣れっこだった私は、警戒させまいと、気さくに言った。


「ごめんね、驚かせちゃったね」と。

 

 すると、一人の僧侶が私の前に立った。当然のごとく禿げ頭で、目は鷹のように鋭い。頬の張りからして、二十代後半か、三十代前半か。


 僧侶は穏やかな声で言った。


「無事で何よりです。どうです? 夕飯でもご馳走しましょう」と。




        ※



 寺の横に隣接された小屋に招かれた私は、その僧侶に食事を振舞われた。麦飯に、味噌と山菜を煮込んだ汁。あと、瓜の塩漬け。肉類が無かったのは残念だが、どれも美味かった。


 私が囲炉裏の前で飯を掻き込む様を見て、あの鷹の目の僧侶は嬉しそうに言った。


「あの世を、見ましたか?」


「あの世…?」


 私は食べる手を止めて、僧侶の顔を見る。


「何のこと?」


「極楽浄土のことですよ。貴女は間違いなく、頭を割って死んでいた。それが生き返ったのです。蓮の花を、見ませんでしたか?」


「知らないね」


 汁を啜る。


「最初に言っておくよ。私はその…『仏様』ってやつに吹き飛ばされてこの世に舞い戻ったんじゃないの。『人魚の肉』を食べて、不老不死になっちゃっただけなの」


「ああ…、人魚の肉ですか」


 僧侶は知ったふうに頷いた。


「なに? 知ってるの?」


「風の噂で…。ある村の海岸に流れ着いた人魚の肉を食った者たちが…、不老不死者になって彷徨っていると」


「へえ、風の噂ってすごいね」


 私は素直に感心した。


 くどく聞かれる前に、全てのことを言う。


「私は…、不老不死を治す方法を探して旅をしているんだ。この山を歩いていたのも、四国参りにそれが隠されているんじゃないかって思ってね。だけどまあ、有力な情報は見つからなかったけどね」


 飯を食べきると、椀を床に置いた。


「ご飯、ありがとうね。夜が明けたら出ていくよ」


「ああ、そのことなんですが」


 鷹の目の僧侶が言った。


「どうです? 少しの間だけ、私の寺にいませんか?」




        ※



 私を保護してくれた僧侶の名前は『八海』と言った。


 彼は二十八歳で、この小さな寺の僧侶をやっている。弟子は六人いて、山の下にある小さな村の葬儀や、物の怪退治、貧困者の救済を主な仕事としていた。


 私は八海の寺に住み込むようになった。


 八海は「何もしなくていい。のんびりと過ごしなさい」と言ってくれたが、飯を食わせてもらい、屋根を与えられている身だ。何もしないというわけにもいかず、修行僧らと共に、僧侶としての修行をした。


 朝、日の出と共に目を覚まし、なぞるような経を上げる。


 掃除、洗濯、炊事…。


 自分ができることは何でもやった。きついこともあったけど、案外悪くない。


 弟子の僧侶らとも仲良くなり、八海とも打ち解け、楽しい日々を送った。


 一年が経つ頃、私は経のほとんどを読み上げられるようになっていた。


 そんな時に、八海が言った。


「天野様…、貴女はやはり、『極楽浄土』を目指しなさい」


「…なんで?」


 私は縁側に腰を掛け、寄ってくる狐を撫でながら聞いた。


 八海は私を穏やかな目で見ながら言った。


「貴女は…、あの世で仏様に褒められるべき人です」


「残念ながら…、私はあの世の存在は信じていないんだよ」


 肩を竦めて、自嘲気味に言った。


「八海は、私が経を覚えたからそう言っているんだろうけど、これはただの『礼』ってやつだよ。この寺にいる以上、最低限のことをしたまでだ」


「どうして…、仏様の存在を信じていないのですか?」


「そりゃあ、そうでしょ。私は二百年生きてきたんだ。その中で、たくさんの人間が死ぬところを見てきた…。皆、飢饉や飢えで、苦しそうに死んでいったんだ。極楽浄土があるなら、あんな顔はしないよ。多分、別の所に行ったか…、あるいは、土に還ったか」


「だからこそですよ」


 八海は笑いながら言った。


「貴女は、たくさんの人の死を見てきた…。僧侶である私以上に。だからこそ…、生命の大切さを知っている。だからこそ、『救い』を求めている…」


「なんじゃそりゃ」


「苦しみぬいた人が行きつく先が、極楽浄土ではないなんて…、あまりにも悲しいじゃありませんか」

 

 縁側を風が吹き抜ける。手の中のキツネの頭がぶるっと震えた。


「極楽浄土は…、あるかどうかわからない。だからこそ、『探す』ことが必要なのです」


「…八海は…、探しているの?」


「はい。そして、私も…、救いを求めている者です。懸命に生きて、人を助け、そして、あの世で、仏様に褒めてもらうのです」


「馬鹿みたい」


 私はははっと笑った。


「私には踏み入れられない場所だよ。きっと」























        ※


 四十年が経った。


 八海が病魔に蝕まれ、倒れた。


「ねえ、八海…」


 布団に横たわり、木枯らしのような息をしている彼に言った。


「行くの?」


「…行きますよ」


 年老いた八海は天井を見たまま言った。目は混濁し、多分、もう見えていない。やせ細り、首から下は魑魅魍魎のようだった。


「やっと…、仏様に褒めてもらえる」


「八海…、私ね、あんたに死んでほしくないと思っているんだよ」


 私はそう言うと、持っていた短刀を自分の手首に押し当てた。


 八海にだけ教えたことがある。私の血には、他者を不老不死にする効果があると。


 気配で察したのか、八海が「おやめなさい」と言った。


「私は…、もう、あの世に行きます」


「でも…」


「一つ、約束をしましょう」


「え…」


 八海は消え入りそうな声で言った。


「私は先に行き…、極楽浄土で…、蓮の上に座っています。何年かかってもいい。必ず、私に会いに来てください…」


「なにそれ」


 私は笑った。


「私に、あの世に来いって?」


「はい。こうでもしないと…、貴女は来ないでしょう?」


「そうだろうね」


「貴女が不老不死を治し、往生した時…、間違えて地獄に行かないように、蓮の上から手招きをしましょう。声をかけましょう。貴女はそれを頼りに、私の所に来てください。きっと、仏様は褒めてくれます」


「馬鹿みたい」


「ええ、馬鹿ですとも…」


 八海はふっと笑い、そして、絶えた。


 私はもう一度「馬鹿みたい」と言うと、ゆっくりと立ち上がった。






        ※


 一週間後、八海の葬儀を終えた私は、身支度を整えて寺を出ることにした。


 門の前に差し掛かった時、彼の弟子たちが私を呼び止めた。


「天野様!」


「……なに?」


「本当に、行くのですか?」


「うん。行くよ。ここには、不老不死を治す方法は無かった。あったのは、極楽浄土への行に方だけだね」


「では…、これをお持ちください」


 八海の弟子はそう言って、私に錫杖を渡した。


「これは…?」


「生前、八海様が京の職人に頼んで作らせたものです。『天野様が極楽浄土を目指すのなら、持たせなさい』と…」


「……」


 私は何も言わず、錫杖を受け取った。シャラン…と、心地よい音が立つ。


「その錫杖が…、きっと貴女を導いてくれます」


「……馬鹿だね」


 私は笑うと、錫杖を強く握り締めた。


「信じる者は救われるってやつなのかな?」









        ※


 そして現代。


「おい、天野さん、ここに何の用があるってんだよ」


 隣の克己が、頬をの汗を拭いながら、山の一角にある荒地を見ていた。


「暑いし…、早く帰ろうぜ」


「まあ、待ちなさんな。後であんみつ買ってあげるから」


 私は克己を宥めると、地面に錫杖を突き刺した。


 道中で買った数珠を手に持つ。


「ああん? なんで数珠?」


「ここはね、私の恩人が眠っている場所なんだよ」


「はあ? 墓なんて何処にも無いだろ」


「まあね」


 ここには、八海と暮らした寺があった。だけど、もう無い。残っていた弟子たちは、仏教反対勢力に焼き討ちをされて、全員殺されたのだ。


 今は荒れ地となって、八海たちの墓が何処にあるのかもわからなかった。


 私は数珠を構えると、三百年ぶりに経を唱えた。

 

 隣で克己が、「あんた、無宗教じゃなかったけ?」と言いたげな顔をしている。


 経を唱え終えると、私は錫杖を抜き、肩に担いだ。


「じゃあ、行こうか。旅の続き」


「おう! あんみつ、買うんだろ!」







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