その⑮
四階?
オレの身体に電気のような衝撃が走るのと、石丸刑事の声が裏返るのはほぼ同時だった。
『お二人さん、四階に泊まっていたんですか?』
『そうだけど…』
怪訝な顔をする二人。
オレは顔を隠すことも忘れて、窓にへばりついて石丸刑事とカップルを見た。
『どうしたんですか? 何か、マズイことでも?』
『音は、音は聞きませんでしたか?』
『音?』
『はいはい、音です。ええと、何時ごろだっけ!』
オレはすかさず、トランシーバーに向かって答えた。
「石丸刑事、オレが天野さんを探して部屋を出たのが、深夜の二時五十分ごろ、多分、あの部屋に戻った時は三時を回っていたと思うぜ」
『なるほど、三時、深夜の三時頃に、変な声を聞きませんでしたか?』
『変な声ですか?』
『例えば、少年の、「開けろよ!」とか、「天野さん!」とか、あと、扉を激しく叩く音とか…』
カップルはまた目を見合わせて記憶を辿っていた。
数十秒の沈黙のあと、絞り出すように言った。
『いや、聴いてませんけど?』
え…。
『なに? 聴いていない?』
これには、オレと石丸刑事もびっくりだった。
あれだけ激しく叩いて、叫んでいたんだ。普通に考えれば、カップルは聴いているはずなのに、聴いていない?
『本当ですか?』
石丸刑事が詰め寄ると、二人はまた、半歩下がった。
『いや、確証は持てませんよ? 偶然聞こえなかったのかもしれませんし…、まあ、あの時間帯は二人でチョメチョメしていたので、聞こえないはずはないですけど』
『なるほど! ヤッたんですね! そういう場所じゃないのに、ヤッたんですね!』
『いや、そこかよ!』
その後は、「あんた、本当に警察か?」「そうです! 私が警察です!」「それはもう聞いたんだよ!」という不毛なやり取りがなされた。
カップルに「ご協力ありがとうございました」と言った石丸刑事は、息を切らしながら車に戻り、運転席に座った。
「おい、詐欺師の息子、聴いてたか?」
「もちろん」
オレは耳のトランシーバーを外して、石丸刑事に返す。
二人で、先ほどの話をまとめた。
「あの二人は、オレと天野さんの姿を見ていた」
「そんなことはどうでもよくて、その後だ。あのカップルは、お前らと同じ四階に宿泊していたんだな」
「化物に襲われたオレが、エレベーターを使って四階に上がり、鍵のかかった扉に向かって叫びながら、扉を激しく叩いた」
「それなのに、お前が発する音を、あのカップルは聴いていなかった。チョメチョメしてたのに。そういう場所でもないのにチョメチョメしてたのに」
「後半はどうでもいいだろうが」
石丸刑事は腕組みをして「うーん」と唸った。そしえ、非情に言いにくそうに、口を開く。
「お前、本当に、四階にいたのか?」
「本当に、四階にいたって…?」
「だから、階を間違えたとか。例えば、四階に行こうとして、三階のボタンを押してたりしたんじゃないのか?」
「そうしたら、他の人間が泊まっている部屋を叩いたってことになるな」
「いや、空室だったんじゃないか? そうしたら、鍵がかかっているのも、返事がないのも頷ける」
「ああ、そうか…」
オレは妙に納得して頷く。
でも、すぐに首を横に振った。
「いや、ありえねえな。あの時、オレは間違いなく四階のボタンを押していたんだぜ?」
「慌てて、四階に見えただけじゃないのか? それか、手が震えて、押し間違えたとか。二階とかに間違えて入ってたら、非常階段を使ってもすぐに追いつかれるし」
「ああ…、その説、濃厚だなあ…」
それでも、オレは首を激しく横に振った。
「いや、それでもダメだ。オレはエレベーターに乗って移動してる時、マジで長い時間乗っていた感覚があるんだ。ずっと心の中で、『早く着け』って祈っていたんだぜ?」
「うーん。そうなると、お前が異世界に迷い込んだとしか考えられんぞ?」
「異世界だあ? なに言ってんだ? そんな非現実的な」
「いや、不老不死の方が非現実的じゃないか?」
考えに煮詰まった石丸刑事は「ああもう!」と、じれったく太ももを叩いた。
「このままじゃ拉致があかん! ホテルに突撃するぞ!」