その⑪
オレは裸にジャケットという、一歩間違えたら変態になる格好で石丸刑事のヴィッツに乗り込んだ。
「あまりシートにケツ押し付けんなよ? 最近買い替えたばっかりなんだから」
「刑事職になっても、ヴィッツですか?」
「おまえ、全国のヴィッツ愛好家に謝れ! 130型を舐めるな!」
石丸刑事はヴィッツを勢いよく発進させて、人気の無い道を走り始める。
オレの身体は冬の川に漬けられて意外に冷えていたようで、車内に充満した暖房の空気にじんわりと温められていった。
石丸刑事は、道中、朝早くから開いているホームセンターに寄って、格安のパンツとジャージを買って戻って来た。
「おら、さっさと着やがれ詐欺師の息子。それ着たら、そのホテルピーターに向かうぞ?」
オレは車内で器用に着替えた。
オレが着替えたのを確認してから、石丸刑事は車を発進させる。
「まさか、お前の口から、『ホテル・ピーター』の名前が出てくるとは思わなかったな?」
「知ってんの? 石丸名人」
石丸名人呼ばわりを無視して、石丸刑事は言った。
「あそこは、地元じゃ有名なビジネスホテルだぜ?」
「有名って、確かに、飯も美味かったし、大浴場ものびのびと浸かれたし…」
「そういう意味の有名じゃない」
「じゃあ、なんだよ」
「あのホテルは、昔から、変な噂があるんだよ」
「変な噂?」
脳裏に、昨日の晩にオレの頭を斧で殴って殺した殺人鬼の姿がフラッシュバックした。
「それって」
「ああ、昔から、あのホテルでは行方不明者が多く出ているんだよ」
「あのホテルで?」
「三十年くらい前からかな? あのホテルに泊まった人間、特に若い女がな、一晩の内に消え失せるんだ」
「それを知っているってことは、石丸刑事も、捜査か何かをしているってこと?」
「それがな…」
石丸刑事はハンドルを右に切りながら、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「行方不明者が、見つからないんだよ…、オレたちだって。一度はあのホテルに捜査状持って立ち入ったことがあるんだが、行方不明になった人間を見つけることができなかったんだ」
行方不明者が見つからない?
「それで、どうなったの?」
「そりゃあ、それ以上は探せねえよ。だって、そこにいないんだからな。『別のところに行った』って考えるのが普通だろ?」
「まあ、確かに…」
「あまり深入りし過ぎたら、ホテルだって商売だからな、名誉棄損になりかねん。だから、暫くは手を出せていなかった場所だな」
運転をしながら、石丸刑事の渋い目がオレを振り返った。
「それで、二十九年前のお前を誘拐してこの村から出ていった、天野って女が、お前の部屋からいなくなったってことだな」
「ああ、だから探しに外に出て、殺されたってことで…」
「もしかしたら、天野も、お前が言った化物に殺されている可能性アリと…」
「ええ…」
天野さんもオレと同じ不老不死だから死ぬことはありえないけど、あまりそういう想像はしたくなかった。
石丸刑事は前を向き直った。
「とにかく、ホテル・ピーターに戻るぞ?」
ヴィッツは、朝の凍てつく大気を突き進んだ。