その⑥
「探しに行くか」
探す。と言っても、本気では探さない。軽く、ホテルの中を探索するだけだった。ちなみに、錫杖を持ったのは、単に夜が怖いからだった。
部屋の鍵はオートロック式ではないし、もし入れ違いになってもいけないので、開けたまま部屋を出る。
仮眠を取る前までは、蛍光灯で煌々と照らされていた廊下も、消灯時間が過ぎて、ところどころに設置された豆電球だけで照らされている。おかげで、数メートル先の光景の輪郭がぼんやりとしていた。
錫杖をシャランッ! とつく。
「さて、まずは一階からだな」
廊下を歩いてエレベーターの扉まで行くと、「↓」のボタンを押した。
かすかに「ウォンウォン」とモーターのようなものが動く音が聞こえる。
静かに、四階にエレベーターが止まった。
扉が開き、エレベーターの中に乗り込んだオレは、さっそく一階のボタンを押した。
エレベーターがゆっくりと動き出し、そして、一階に到着する。
扉が開く。
エレベーターを出る。
目の前には、薄暗いエントランスが広がっていた。
「天野さーん、どこだよー」
オレは小声でそう呼びながら、薄暗闇の中に踏み入れていった。
「天野さーん…」
しかし、先ほど来た時とは別世界だな。
天井で豆電球が照っているから、見えないことは無いが、カウンターとか壁に飾られた絵だとか、レストランや大浴場に続く廊下だとか、全てが靄にかかったみたいにぼんやりとしていた。
背筋がぞくぞくとする。
自分の頬を抓って「落ち着け」と言い聞かせた。
「落ち着け…、怖がってんじゃねえよ、オレはもう四十三歳だぜ? このくらい怖くねえんだよ」
自分で言った後で、がくっと膝を折った。
「そっか、オレ、四十三歳なのに、見た目十四歳のままで、しかも童貞なのかあ…」
薄暗闇の中で自分の未経験を嘆くオレは、多分変態だと思う。
気を取り直して、オレは錫杖を大理石の床に着いて立ち上がった。
「天野さーん、どこだよ、出て来いよー」
とりあえず、レストランの方に向かってみた。
「営業時間外 立入禁止」と書かれた看板の横を通り過ぎ、ガラスの扉を押して中に入る。
八時頃に天野さんと食べに来たときは、おしゃれな音楽もかかって、数人の宿泊客もいたレストランだったが、今は閑散として、かすかに消毒液の香りが漂っていた。
「天野さーん…」
多分いないだろうけど、ダメもとでレストランの中を徘徊する。
椅子の下とかも見て回ったが、やはり、天野さんはいなかった。
レストランを静かに出たオレは、次に、廊下を進んで、大浴場の方に行ってみた。
女湯の暖簾を潜って、女子更衣室に脚を踏み入れる。もちろん、誰もいない。風呂も覗いてみたが、湯が完全に抜かれて、ひやっとした空気が漂っていた。
「ダメか…」
一階にはいないのか?
でも、二階、三階、四階は全部宿泊部屋だし、天野さんが行く理由なんて無い気もするけど…。
は! もしや、天野さんは、変な男につれ去られて、その男に、あんなことやそんなことを!
と、変なことを考えたところで、「それはないか」と首を横に振った。
「天野さんなら、襲われかけたら、まずその男を蹴ってる…」
まあ、でも、もしその男がイケメンとかだったら話は別だけど…。
もやもやとしたものを胸に抱えながら、オレはエレベーターの方に戻った。
来たときとは逆で「↑」のボタンを押した。
すると、扉の向こうで「ウォンウォン」とモーターのようなものが動く音が聞こえた。エレベーターが上から下降している証拠だった。
「うん?」
そこまで考えたところで、オレは身体が硬直するのを感じた。




