第四章【2019・1225】冬の仮面
雪降る海に叫ぶ
人魚の声が聞こえる
波打つ際に座る
人魚は魚と戯れる
二〇一九年 一二月二五日
その日は、昼過ぎから雪になった。
寂れて、誰も訪れなくなった神社の賽銭箱の下で、食料の調達に向かった天野さんを待っていると、鼻先に冷たいものが舞い降りた。
見れば、灰色の空から零れだした綿のような雪が、風に煽られてこの屋根の下へと舞い込んでいる。雪が降っていると実感した瞬間、オレは背中を生き物が這うような悪寒に襲われていた。ぼーっとしていて気にならなかったが、寒い。
とっさに我が身を抱いた。
「寒い…」
今の今まで、寒いという実感が湧かなかった。人間て、意識を向けていないとこういうことになるらしい。雪山で凍死するときも、こんな感じなのかな?
「寒いよー、天野さーん…」
オレの声は、外に舞い散る雪に吸い込まれていった。
雪は珍しくなかった。オレの住んでいた村は、冬になると、一度か二度、大雪が降って外界と閉ざされることがあった。その時は、雪玉を作って、気に入らない奴に投げ捲っていたけど。
風が強くなってきた。耳元でヒューヒューと、鳥が鳴くような音が響く。背筋を這うようで、気分が悪かった。オレは溜まらず神社の賽銭箱の裏に回り込むと、そこで、また膝を抱えるようにして座った。
腕に顔をうずめて、天野さんの帰りを待つ。
どのくらい待っていただろうか?
いつの間にかオレは蹲ったまま眠っていたようで、身体は氷像のように冷えていた。
風でぼさぼさになった頭を、誰かがつつく。
顔を上げると、天野さんが顔を赤くして立っていた。
「あ、おかえり」
「ただいま。寒いねえ」
天野さんはオレに手を差し出す。オレはそれを握ったが、お互い、氷のように冷たくなっていた。
天野さんに助力してもらって立ち上がると、オレはさっそく今日の成果を聞いた。
「で、食料は手に入ったのか?」
「ふふふ…」
不敵な笑みを浮かべる天野さん。
「聞きたい?」
「おう、聞きたい!」
「ふふふふ…」
「いや、早く言えよ」
オレが急かすと、天野さんは着物の袖を胸の前で交差させた。
「無理でした!」
「ふざけんな!」
何となく予想していたことだが、あんな顔をされたら、期待せずには居られないだろう。なんだか裏切られたような気がして、オレは神殿の前で激しく地団太を踏んだ。
「あー、もう! 天野さんに行かせたオレが馬鹿だったわ! もういい! オレが探してくる!」
「ああ、待って待て」
天野さんは、今にも走り出しそうなオレの手首を掴んだ。冷たさに思わず背筋がすっとする。
「なんだよ!」
オレがやけになって振り返ると、天野さんはじとっとした目をして、挑発するように言った。
「あんた、いらないの?」
「いらないだあ?」
天野さんは相変わらずにやにやとしている。これは、何かを隠している目だった。
オレはじれったくなって、彼女の手を振り払った。
「おい! 食べ物持ってるなら、さっさと出せよ! もったいぶんな!」
「ああ、食べ物は無いの。これ、本当だから」
「ふざけんな!」
「代わりに、ホテルなんてどうよ!」
「は?」
不意打ちの右フックを食らった気分だった。
オレが放心するのを見て、天野さんは満足げに「ふふふ」と笑うと、着物の袖から二枚のチケットを取り出した。それは、この近くにあるビジネスホテルの無料宿泊券だった。
「おいおい、天野さん、それって!」
「さあ! これがあれば、あんたの大好きなホテルで、ふかふかのベッドで眠れるわ! 食事付き! そして、温泉にも入れるわ!」
「やったあ! 天野さん大好きい!」
オレは天野さんに飛びついた。
「やったぜ! 久しぶりに美味い飯が食える! 風呂にはいれる! 屋根のあるところで眠れる!」
天野さんはオレの頭を撫でながら、悲しそうに言った。
「なんか、ごめん…、ここまで喜んでくれるとは思わなかった…」
「ありがとおおおおお!」