その④
「やめろよ、恥ずかしい」
「うん、私もちょっと恥ずかしいくなった」
自分で言っておきながら照れた天野さんは、咳ばらいをひとつして、話の話題を変えた。
「まあ、悪いとは思っているわ。二十五年も、こんなひもじい旅を続けさせているんだから」
彼女がもぞっと動いた拍子に、背中辺りに置いていた錫杖がチリンと心地よい音を立てた。
オレはあることを思い出して聞いた。
「そう言えば、その錫杖、ずっと持っているけど、あんた仏教でも信仰しているのか?」
これはずっと聞こうと思っていたことだった。
彼女は、常に、山伏の白装束を改造した着物を身に纏い、あの金色の錫杖を片手に旅をしていた。田舎ならまだ「修行僧かな?」程度の認識だが、町にでるとかなり目立つのだ。以前、東京に行ったときなんて、「コスプレイヤーだ!」と写真を撮られまくった。
別に悪くはないけど、隣を歩いているオレは恥ずかしい。
天野さんはまた歯切れの悪い返事をした。
「別に、仏教は信仰していないわよ」
「え、してないの?」
「確かに、不老不死になる前は、南無阿弥陀仏を唱えていたりもしたけど、不老不死になったら、天国にも地獄にも行けないからね。いつのまにか、馬鹿らしくなって辞めた」
「じゃあ、なんで錫杖を?」
錫杖って確か、修行僧が身に着けるものだよな…。
「これは、三百年くらい前に、四国参りをしていたお坊さんに貰ったの。『不老不死を治す方法を見つけて、寿命を全うしてやる!』って言ったら、『だったら、これを持ち歩け』って…」
「三百年も? ものもちがいいな」
「いや、木の部分は朽ちたら、職人に頼んで新調してもらっているわ。金の部分も、時々研いでもらっているから、ここまで綺麗なのよ」
「ふーん…」
「まあ、馬鹿らしいとは思っているわ。五百年経っても、まだ不老不死を治す方法は見つかっていないのに…、極楽往生するために仏を信仰するなんて…、まるで捕らぬ狸の皮算用みたい」
「いや、ほんとそれだよ」
頭の隅に追いやられがちだが、オレたちの旅の目的は、「不老不死を治す方法を見つける」ことだった。確かに、各地を旅していたら、人魚であったり、不老不死に関する地にめぐり合ったりする。だが、そのほとんどが故人の噓八百だった。
「これだけ探しているんだからさ、ちょっとくらい出てきてもいいと思うんだけど」
「無理無理、私が五百年探したのに見つけられていないんだから、あと二百年くらいは粘る覚悟しないとダメよ」
「オレが二百歳童貞になっちまうからやめてくれ」
「もう三十九歳童貞でしょうが」
「大体、五百年も探したら、日本の隅々まで旅したことになるだろうが!」
「いや、実はそう簡単な話じゃないのよ」天野さんはえらく真剣に言った。「五百年前は、まだ蝦夷地とか、琉球に行く手段が無かったし、地図だって無かったの。だから、ほとんど適当に歩いてたから、何処をどう旅したなんて、まったく憶えていないのよ」
「え、当てずっぽう?」
「そうそう。それに、近年の開発で、地形も変わっちゃったし、人も死んで、生まれての繰り返し。だから、まともに旅を初めたのはつい百年くらいの話よ」
「ええ…」
がっかりを隠せなかった。
「じゃあ、まだこの日本を、ほとんど旅していないってこと…?」
「そうなるわねえ」
他人事のようにいう。
「まあ、その内みつかるんじゃない? 私たちには時間があるんだもの!」
「そう言っていると、一生見つからない気がする…」
まあ、オレたちの一生は永遠なのだが。
オレがよっぽど不安そうな顔をしているように見えたのか、天野さんはため息をついて、オレの頬を撫でた。
「大丈夫よ。きっと見つかるわ。なんたって、二人いるんだから」
「二人って」
「二人でさがせば作業効率は二倍になるでしょ?」
「そういう楽観的に考えれるのって、天野さんの強味だよな」
この人はとにかく楽観的だった。仕事が見つからず、食べ物に困っても「まあ、今日は大丈夫でしょ! なんたって不老不死だし!」と言って済ませてしまうことがほとんどだった。不老不死になったからといって、食べないと身体を動かすエネルギーを作れなくて、身動きが取れなくなるんだ。
天野さんは得意げに胸を張った。
「楽観的でいなきゃ、五百年も生きられないわ」
彼女の五百年の旅を想像すると、オレは宇宙に放り出されたかのような不安に襲われた。
出会っても、いつかは死ぬ人たち。終わりの見えない旅路。「やめたい」と思った時くらい、二、三度くらいあったはずだ。
「オレなら、死にたくなるだろうなあ」
「私だって、死にたいと思ったことはわるわ」
くすっと笑う天野さん。
「だけど、死ねないからね。飛び降りて頭を潰したところで、すぐに回復するし…、首を吊っても、また痺れるような痛みと共に目が覚めるの。何度も自殺しようとして…、いつの間にか、諦めていたわ…」
この人に、「死にたい」なんて言葉は似合わないような気がした。
オレは少し悩んでから、聞いた。
「オレと出会ってから、そういう気持ちになったことはあるか?」
しにたい。と思ったことはあるか?
「無いよ」
即答だった。
「そりゃあ、そうでしょ。さっき言ったでしょ? 克己との旅は楽しいって!」
頭を撫でられる。今度は、抵抗しなかった。
「あんたは死にたいと思ったことあるの?」
「無いよ」
オレも即答した。これは、即答すべき言葉だった。
「オレも言っただろ? あんたとの旅は楽しいって…」
「うん」
「そりゃ、もう、あの頃よりも楽しいんだ」
親に虐待されて…、仲間に蔑まれるような日々よりも、ずっと楽しかった。
オレはよく、天野さんに文句を言っている。「もっと、美味しいものを食べさせろ」「もっと、いい寝床を用意しろ」「あれがほしい」「これがほしい」。冷静に聞けば、ただの駄々だ。躾けのなっていない子供が親にするわがままだ。だが、オレはこのわがままを言える状況が、心のそこから嬉しくてたまらなかった。天野さんも、わがままを聞く度に、まんざらでもないような顔をすることがあった。
「そっかそっか! たのしいか!」
彼女は照れを隠すように、早口で言った。
「文句いわれてばっかだから、嫌われているのかと思ってた!」
ぽんぽんと頭を撫でる。
「あんた、よくオレの頭を撫でるよな」
「悪い気はしないでしょ?」
「しないけどさ」
これをされるたびに、子供扱いされているのだと思った。
「私にとっちゃ、この地球上で生きているみんなが、子供だからね。つい、こうしちゃうかな」
「ああ、そう…」
頷いた瞬間、視界がぼやけた気がした。
「そうだろうな…」
唇と舌が重くなり、次の言葉を出すのが億劫になる。くらくらと、脳が揺れた。オレの様子を見て、天野さんはまんざらでも無い顔をした。
「眠くなってきたでしょう?」
「うん、まあ、そうだな…」
「ほら、私の言ったことは正しいんだから。これ、五百年の知恵」
外では相変わらず鈴虫たちが狂ったように鳴いている。リンリンと耳を突くその音も、景色と同化して、気にならなくなっていた。
「じゃあ、お話はこれくらいにしとこっか」
「そうだな…」
「明日は、この町を出るから、その準備はしておいてね」
「うん…」
その後、天野さんが何か言ったような気がしたが、ぼんやりとしている頭では理解することができなかった。
オレは沼に沈むように、夢の世界に引き込まれていった。
その日は、安眠することができた。
第三章…完結
どうでもいい話
天野さんには抱き癖があります。特に冬が近づくと、めちゃくちゃ克己に抱き着いてきます。克己にとって悪い気はしないのですが、気恥ずかしさが勝るようです。




