その⑰
「もしかして、あんた、八時よりも前に殺されたんじゃねえか?」
「そう思った…」
八時よりも前にここでバラバラにされていたのなら、この血の渇きの早さには説明がつく。
だが、そうしても、説明し切れないことがあった。
「だけど、オレは八時に、あんたが敷島さんのデッサンモデルになっている姿を見ている」
「私も、デッサンモデルになったことは憶えている」
「あんたは、あの時、眠っていた」
「その後、目を覚まして、部屋を後にした…!」
そこまで話した瞬間、頭上でパラパラと音がすることに気が付いた。
見上げると、蔵の屋根にサッカーボールよりも一回り大きな穴が空いているのがわかった。
「あの穴…」
「そう言えば、田中さんが言ってたな、落石で空いたって…」
オレと天野さんは顔を見合わせた。
そして、何か言葉を交わすわけでもなく、跳ね飛ばされたように蔵から飛び出していた。
走って館の中に駆けこむと、階段を上って二階に辿り着いた。
二人、歩幅を合わせながら廊下を駆け抜け、廊下の奥、敷島明憲さんのアトリエの扉を勢いよく開けていた。
「…ここか!」
丁度、明憲さんはいない。オレはずんずんと部屋に踏み入り、窓に近づいた。そして、遥さんに教えてもらった通りに、レバーを右上に押し上げて、時計回りに捻った。すると、分厚いガラスが上に持ちあがった。
窓が完全に開くと、オレは窓から顔を出して下を見た。
目と鼻の先に蔵の屋根があった。そして、少し視線を奥に向けると、例の穴。
天野さんがオレを押しのけて、窓の外に顔を出した。彼女も、その穴を見た瞬間、納得したように頷いた。
オレは柱に取り付けられた時計を見ながら言った。
「天野さん、あんたの生首は、上から降ってきたんだ」
「そう…」
「最初は、気にも留めなかった。天井付近には棚が沢山あったし、そこに隠されるように置いてあった首が、あの騒ぎで揺れて、落ちてきたのだと思ってた…」
「うん、わかってる」
「だけど…」
次の言葉を放とうとした瞬間、アトリエの扉が開いた。
身体の温度が一瞬で冷えた。
振り返ると、そこには画板を担いだ敷島明憲さんが立っていた。
「明憲さん!」
「おや、どうしましたか…?」
明憲さんは勝手に自分のアトリエに侵入している者を見て首を傾げた。だが、それを咎める様子はなく、にこやかにこちらに近づいてくる。
「天野さん、具合はいかがですか? なんなら、医者を呼びましょうか?」
「明憲…!」
「あまり動かない方がいい。傷が開いたらどうしますか…?」
「明憲さん、来ないでください」
オレは天野さんを護るように、明憲さんの前に立ち塞がった。
明憲さんは物わかりよく立ち止まる。
「………」
オレはこの沈黙の間を利用して、話を整理した。
田中さんが、バラバラにされた天野さんの死体を発見したのが、八時半ごろ。バラバラにするためには、かなりの時間を要する。だが、オレが彼女を最後に見たのが、三十分前の八時。居眠りをしていた天野さんは、その十分後に目を覚まして、アトリエから立ち去っている…。
そして、乾ききった血液。
この奇妙な矛盾がオレたちの思考を鈍らせた。だけど、あの時間の出来事を別の条件として当てはめて考えれば…、辻褄は合うはずだ。
天野さんが壁にもたれかかり、言った。
「なあ、明憲。あんた、私を殺しただろ?」




