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その⑯

「それで、最期にやってきたのが、明憲さんだよ」

「うーん…」


 天野さんは歩きながら腕を組んだ。


「一番怪しいのが、第一発見者の田中ね」

「ああ、第一発見者犯人説」

「それもあるけど、後の二人は、証拠があるっていうか…」

「やっていない証拠?」


 確かに、遥さんがやっていないのは何となくわかる。


 あの人は直前までオレと会話していたもんな。明憲さんは、直接見たわけじゃないけど、遥さんの「あの人はアトリエで絵の確認をしていたわ。一度集中すると、一時間くらい部屋から出てこないのよ」という発言が本当なら、あの時間もアトリエの中にいたことになる。


「となると、消去法で田中さんか…」

「私がアトリエから出てきた瞬間、影打ちをして意識を奪い、蔵に運んで、バラバラにした。そして、さも第一発見者を装って悲鳴を上げる!」


 まあ、普通に考えればそうか…。だけど、あの人がそんな大胆なことするだろうか? 確かに、この館は広いけど、もし、誰かに見られでもしら…。それに。動機がわからないな…。


「動機は、何だろう」


 オレは田中太一さんが犯人ということを前提に言った。

 天野さんは適当に答えた。


「鬱憤晴らしじゃない?」

「なにそれ?」

「普段から、ご主人と奥様にこき使われて、むかっとしてたのよ。それで、私を殺すことで発散しようとしたの! 私は不死身だからね、何度も斬れるわよ!」

「何を晴れみたいに言っているんだよ」


 はっきりとした答えが出ないまま、オレたちは再び、あの蔵の前に辿り着いた。蔵には大きな南京錠がついてあったものの、今は取り外され、半開きになっている。


 オレはその隙間に身体を滑り込ませて中に入ると、部屋から持ち出した懐中電灯で中を照らした。天野さんの死体を発見したときは、パニックで詳しくみることができていなかったのだ。


 奥には、箪笥や食器、工具に、農作業用具等が、丁寧にラベリングされて収納されていた。昔使っていたであろうトラクターに、錆びたガソリンの携行缶までも摘み上がっている。だが、入り口にはしっかりとスペースが開けてあった。


「ここに、天野さんがバラバラになって落ちてた」

「落ちてたって言い方、辞めてくれない?」

「転がっていた」

「やめてよ」


 天野さんは着物の裾を膝の内側に折り込みながらしゃがみ込んだ。オレはすかさず彼女の視線の先を照らす。


「これ、私の血、よね…」


 天野さんは指で、コンクリートの床に広がった黒い染みを指でなぞった。だが、血は完全に乾いていて、指は汚れなかった。


「もう乾いている…」

「そりゃそうだろ、もう三十分も経っているんだから」


 かなり前に、天野さんに教えてもらったことだ。血は固まるのに、大体三十分から一時間掛かると。だから、この床に広がった血が固まって黒くなっていることも当たり前のはずなのに、天野さんは妙に引っかかるような顔をして、何度も床の血を擦った。


「どうした?」

「いや…、なにか、おかしい…」

「なにが?」

「なんだろう…、血が、乾くのが早いというか…」

「早くないだろ、もう三十分以上経っているんだぜ?」

「そうだけど、三十分よ? もう少しさ、生乾きの血が残っていてもよくない?」

「え…?」


 そう言われて、オレは床をくまなく懐中電灯で照らした。


 確かに、床に広がった血はむらなく乾いていた。色も赤から黒に変色して、ほぼコンクリートと同化していると言ってもよかった。


 オレもしゃがみ込み、天野さんの血を指でなぞる。指にさらっとした感触が残った。指の腹を見ても、黒く固まった血の欠片が付着しているだけだ。


 三十分経ったんだ。血は固まる。別におかしくないけど、何かがおかしい。


 そんな目に見えない不安がオレと天野さんを取り巻いた。


「なあ、天野さん…」

「うん」


 天野さんも何かに気が付いたように頷いた。

 むしっとした空気の中、オレの頬を冷たい汗が伝う。


「もしかして、あんた、八時よりも前に殺されたんじゃねえか?」

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