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その③

「すみませーん! そこでなにやっているんですかー?」



 棚田を下りたところにある畦道に女が立っていて、オレたちの方を見上げて叫んでいた。


 白を基調とする、山伏のような、巫女のようなデザインの着物を身に纏い、夕暮れを切り取ったかのように赤茶色の髪の毛を首の後ろで括っている。藁で編んだ傘を被り、右手に錫杖を握っていた。遠目にも、華奢で整った可愛らしい顔立ちをしていた。


 年齢は、オレたちよりも少し上くらいだろうか?


 最先端技術の開発が進む、この日本で、着物を身に纏った女は、一見場違いに見えるかもしれない。しかし、黒河村の近くには四国参りの礼所があるのだ。


 語弊の無いよう言うが、黒河村自体に礼所は無い。あったら、隣人の特産品をパクるようなことはしない。特に、四月に入って暖かくなると、道を間違えた旅人がこの村に迷い込んでくるのだ。


 オレはそわそわしながら、俊介の肩を激しく叩いた。


「しゅ、俊介…、あ、あいつ、女じゃん」

「女だな。一人で四国参りなんて珍しい」

「お、お、お、お、お、女だな」

「お前、動揺しすぎだろ!」


 そりゃそうだろう。この村にいるのは、ジジババと、その血を引き継いだ味気の無い顔をした女ばかり。あんなに綺麗な顔をした女と遭遇するのは、人生初だった。


「しゅしゅしゅしゅ、俊介! あの女、オレたちに向かって話しかけているよな?」

「そうだな」

「ままままま、間違いないよな…」

「お前、動揺しすぎだろ!」


 そりゃそうだろう。オレは、中学でも村でも邪険に扱われているんだから、女との触れ合いなんて皆無だった。


 突如話しかけられて動揺しているオレたちを見て、女性は首を傾げた。


「あのー! 何やっているんですかあ?」


 オレは俊介の背中をバシバシと叩いた。


「ななななな、なんて答えたらいいかな?」

「お前、動揺しすぎだろ。そりゃあ、『ミカン畑荒らしてたそがれている』って言うしかないだろうな」


 よ、よし、答えるぞ。


 オレが息を吸い込んだ瞬間、女はオレたちを圧倒するように、言葉をまくし立てた。



「その蜜柑畑の蜜柑、美味しそうですねえ! 誰が作っているんですかあ? おいしそうですねえ! きっと甘いんだろうなあ! 酸っぱいのかなあ? いやいや、君たちが美味しそうに食べてたからきっと美味しいんだろうなあ! おっと涎があ! 美味しそうだなあ、美味しそうだなあ、美味しそうだなあ、ああっと! お腹が鳴っちゃった! 長旅で何も食べていないんだった!」



「……」


「………」

 浮かれていたオレたちは、瞬時に身体の熱が冷めるのを感じた。


「なあ、俊介、あの女…」

「ああ、田舎の人間に『何しているんですかあ? その作物美味しそうですねえ』って話しかけたら、気をよくして農作物を譲ってくれることを狙った乞食だな」


 なんでえ!


 オレは地面の土を蹴っ飛ばした。


「くそが! あの女、オレの純情を踏みにじりやがって!」

「学校の帰り道にミカン畑の蜜柑を盗むオレたちに純情は存在するのだろうか…」

「馬鹿野郎が! 黒河村に四国参りの礼所なんてねえんだよ! わかったらさっさとこの村から出ていきやがれ!」


 オレは手頃にあった枝から蜜柑をもぎ取った。

 オレが何をしようとするのか気づいた俊介は、ぼそりと「辞めておけよ」と言った。

 当然、オレは耳を傾けず、特に練習もしていないオーバースローで、蜜柑を畦道の女に向かって投げつけた。


「おらよ!」


 蜜柑は放物線を描いて飛んでいく。

 そして、女の旅人から二十メートルほど離れた地面に激突し、破裂した。


「………」


 白々しくオレを見る俊介。

 オレは最近練習した指パッチンで、己のコントロールを自画自賛した。


「ナイスピッチ!」

「いや、当たってねえから」


 鋭い俊介のつっこみ。


 オレの絶望的な投球フォームを目の当たりにして、俊介はため息交じりに言った。


「こうやるんだよ」


 オレに釣られて、彼もまた手頃の蜜柑をもぎ取るった。


「みてろよ! 克己!」


 豊山のイチローとはこのことか、黒河村のシュンちゃんとは彼のことか。見事なオーバースローから放たれた蜜柑は、空間を貫くようにして、旅人へと一直線。そして、彼女の顔面に直撃した。


 べちゃっと、湿気の籠った音が、春の夕暮れに響き渡る。


「やるなあ、俊介」

「あたぼうよ。サッカー部万年補欠で、キャッチボールで暇潰しをしていたオレの肩を舐めるなよ」

「いや、キャッチボールしてたから補欠なんじゃないか?」


 とにかく、俊介のピッチングを見てコツを掴んだオレは、もう一個の蜜柑を手に取った。


「よよよよよよよ、よし、もっと蜜柑を投げて気を引こう」

「投げる理由が完全に、好きな子にちょっかい掛ける小学生の図じゃねえか!」


 オレは「はあっ!」という掛け声と共に、腕をしならせて蜜柑を投げた。今度は、しっかりと狙いをさだめて、全身の筋肉を使って。


 先ほどの失敗など気にしない、見事な修正力だった。


 蜜柑は一直線に飛んでいき、女の頭に…、当たらなかった。


 当たる直前で、女が素手で受け止めたのだ。


「え…」

「あれ…」

「………」


 女が、畦道からこっちを見上げている。


 次の瞬間、女は掴んだ蜜柑を皮ごとガリリと噛むと、錫杖を握ったまま駆け出して、小道を駆けあがりながらこちらに向かってきた。その目は吊り上がり、時々道端で遭遇する猪のようにギラギラと光っていた。


 オレの背筋に冷たいものが走る。


「俊介! 逃げよう!」

「おう!」


 二人で踵を返すと、女と反対方向に走り出す。

 オレの足に、地面から剥きだした蜜柑の根が引っかかった。


「あ…」


 盛大にぶっころび、顔面から地面に突っ込んでいた。


「いてて…」


 顔を上げる。強く打ち付けたせいで、鼻の奥がツンとした。幸い血は出ていないようだ。

 俊介は既に棚田の頂上まで上り切っていて、藪を背景にしながら、「早く早く!」とオレを急かす。


 オレもすぐにあいつの元に走ろうとしたが、立ち上がった瞬間、右ひざに激痛が走った。


「いてえ!」


 見ると、学ランのズボンの膝の部分がこけた拍子に裂けていて、膝小僧を盛大に擦っていた。


 遅れて血がダラダラと流れる。


「や、やべえ…」


 傷つくこと自体は慣れていたが、やはり痛みは人の思考と動きを鈍らせた。

 なんとしてでも俊介の方に。

 そう力強く思った瞬間。


「この餓鬼!」

「ぐへえ!」


 オレは背後から殴られて、また、顔面を地面にめり込ませていた。

 オレに追いついた女は。清楚な見た目とは想像のつかない罵声を吐きながらオレの頭を足袋で踏みつけにした。


「私の傘を蜜柑で汚しやがって! これ、十五年前に出会った佐々木さんにもらったばかりなんだぞ? 金じゃ買えないんだぞ!」


 オレの頭を踏みつけにする。踏みつけにする。踏みつけにする。


「おら! 顔を上げろ! いつまで転んだままでいるの!」

「………」


 オレの頭を踏みつけにする。踏みつけにする。踏みつけにする。


「なに黙ってんのよ! 今時の子供は『ごめんなさい』の一つも言えないの!」

「………」


 いや! あんたのせいで顔が上げられないんだよ!



質問コーナー

Q「克己の好きな食べ物は?」


A「コロッケです。出ていってしまった母親と、出店で食べた味が今でも大好きです。あと、お供え物の落雁とかも好んで食べます」

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