その⑥
一階にあるシャワーで汗を流し、天野さんの部屋でしりとりをしながら時間を潰した。五百年生きた天野さんの言葉の知識に、オレが五戦全敗した時、部屋の扉がコツコツと叩かれ、召使の田中太一さんの柔らかな声がした。
「夕飯の支度ができました。どうぞお越しください」
部屋のアナログ時計を見れば、午後六時を刺している。
「しりとりで時間て潰れるもんだな」
「いや、あんたがしつこく『もう一回!』って食い下がるからでしょうが」
田中太一さんに案内されて一階の食堂に向かうと、広いテーブルの上に、豪華絢爛な料理が並んでいた。チキンにピラフ、フランスパンやシーザーサラダまである。
「すげえ! 全部美味しそう!」
オレが涎を垂らしながら言うと、田中太一さんが頭を下げた。
「なにせ、五十年ぶりの再会ですから、山を降りて食材を調達したんですよ。少しむつこかったでしょうか? ご要望があれば、もう少しのど越しのいいものを用意しますから」
「いやいや、これで十分だよ! 天野さんなんて、普段は全然食べさせてくれないんだもん!」
「変なこと言わないでよ。コンビニの賞味期限切れの弁当貰ってきてるでしょ?」
「それが侘しいんだよ!」
遅れて、当主の敷島明憲さんとその奥さんの遥さんが食堂に入ってきた。彼もまた、テーブルの上に並べられた料理を見て、「すごいね、奮発したんだね」と、感嘆の声を洩らしていた。
さっそく、五人でテーブルを囲んで食事を始める。
手を合わせて「頂きます」をした瞬間、腹ペコだったオレは、テーブルの上の料理に食らいついた。フランスパンを切り分けずにかぶりつき、ポタージュスープで流し込む。サラダも、ドレッシングなんてお構いなしで、むしゃむしゃと口に押し込んだ。ウインナーは一口噛めば、肉汁があふれ出てうま味が口の中一杯に広がる。「カレーのスパイスは…」と説明する田中太一の言葉には耳を傾けず、皿の中のルウを飲むようにしてかき込んだ。
「こら! もうちょっとお行儀よくしなさいよ!」
天野さんが怒鳴るが、耳に入らなかった。
パエリアの上に添えられていた海老も、殻を適当にちぎり、あとは赤い身に食らいつくだけ。魚介のうま味を、殻の硬い感触と共に胃に流し込んだ。
オレの野獣のような食べっぷりに、天野さんはぺこぺこと謝った。
「ごめんね。こいつ、精神年齢十四歳の餓鬼だから」
「ふざけんな! 三十歳だっつーの!」
「三十歳、精神年齢十四の方がまずくない?」
だが、オレの下品な食べっぷりを、敷島明憲さんも、田中太一さんも咎めたりはしなかった。もちろん、遥さんも。三人とも、微笑ましそうにこちらを見ている。
「いやあ、作った甲斐がありますよ。そんなに美味しいですか? 僕の料理は」
「はい! 美味しいです!」
オレは骨付きチキンにかぶりつきながら頷いた。すると、今までしゃべっていなかった遥さんが、向かい側の席から「ねえ」とオレを呼んだ。
「おいしいかしら?」
「え、あ、はい」
先刻田中さんに「美味しい」と言ったばかりだったので、彼女の「おいしい?」という質問に、妙な違和感を覚えた。
遥さんは上品な笑みを浮かべて、オレの食べっぷりを見た。最初は気にならかったが、なんだかむず痒い。もしかして、「あんた、もう少し上品に食べなさいよ?」と、遠回しに諭しているのか?
それは杞憂だったようだ。
「君みたいな元気な男の子に久しぶりに会ったからね、見ているこっちまで嬉しくなったの」
「ああ、はい」
そうか。この家には、老人しかいないから…。
オレが蟹の殻を剥いて、中の蟹みそを掻きだしながら合点すると、不意に敷島明憲さんが「ごめんね」と、遥さんに謝った。
「こんな老人ばっかりの家で。最近は不況でパーティも開けていないからね」
「いえいえ、そんなこと無いです! 私! 明憲さんと結婚できて、一緒にいれるだけで幸せですから!」
なんだろう、心なしか、遥さんの言葉がなぞっているように聞こえた。
人の家庭の事情に詮索は入れず、カツサンドに手を伸ばそうとしたら、横からナプキンを持った天野さんの手が伸びてきて、オレの口をゴシゴシと拭った。
「ほら、口に付いてる!」
「カニ食べた後だから辞めてほしいなあ」
「あ、ごめん」
後で荒れるだろうな。
フレンチフライを一口で食べた天野さんは、水を一口含んでから敷島明憲さんに話を振った。
「そう言えば、明憲の坊ちゃんは画家になったんだね」
「そうですね」
明憲さんは「坊ちゃん」という呼び方に若干の戸惑いを覚えながら頷いた。
「あの一件以来、少し、うちの信用が無くなった時期がありまして…、その間に、慰みのつもりで描いていたら、いつの間にか上手くなっていました」
「玄関の絵、君が描いたんだろ? なかなかよく描けてる」
「そうですね。あれらは、四十後半になって描きました。最初は風景画ばかりを好んでいたのですが、この年になると、人物画が好きになりまして…」
「わかる、私も五百年生きてると、人が恋しくなる時期がある!」
そして、オレの頭をぽんぽんと叩いた。
「この子を引き取ってからは、だいぶマシになったけどね」
「やめろ、気色悪い」
「なにまんざらでもない顔してるの?」
「してねえーよ!」
まあ、確かに、あの村の日々を考えたら、天野さんとの旅の方が幾分とマシな部分はあった。
すると、明憲さんが思い立ったように、「そうです!」と手を叩いた。
「ギブアンドテイクと行きましょう。食料と水、当面の資金はお渡ししますから…、天野さん、私の絵のモデルになってくれませんか?」
「ええ、絵のモデル…」
なんだか嫌そうな顔をする。
「どうせ、椅子に座ってじっとしているんでしょ? 私、そういうの苦手だからなあ」
「すぐに済みますから…、お願いしますよ」
「まあ…、泊めてもらって、食料もらって、何もしないのは確かに人道に背くか…」
天野さんはしぶしぶと了承した。
「早く終わらせてね」
「はい。では、夕食が終わったら、私のアトリエの方に来てください!」
「はいはい」
補足
五十年前、敷島家では、若い女性を狙った猟奇殺人が起こっていました。
それを解決したのが、当時、日銭稼ぎのために女中として屋敷に住んでいた天野さんです。彼女は、自分の身体を囮につかって犯人を捕まえました。その時に、片腕を斬り落とされています(後に生える)。
天野さんいわく「メイド服は二度と着ないわ。動きにくい」そうです。