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その⑱

 全身に雷が走ったような気分だった。


 オレはすぐに天野さんに食って掛かった。


「天野さん、さすがにそれはないぜ。オレの親友に何を言っているんだよ!」

「聞いているのよ」


 天野さんはオレの言葉を無視して、俊介だけを見た。


「ねえ、答えてよ。あなた、克己のお父さんと、私を殺したんじゃないの?」

「おい! 天野さん! いい加減にしろって! あんたは余所者だからそういうことが言えるんだろうが、オレと俊介は親友って…!」


 次の瞬間、天野さんは一閃した錫杖がオレの額を強く打った。


 脳天がカッと熱くなり、オレは吹き飛ばされて、アパートの扉の横の壁に背中を叩きつけていた。「くそ、何しやがる!」と顔を上げた瞬間、鼻先に錫杖を突きつけられた。冷たい天野さんの目。「あんたは黙っていなさい」と言っているようだった。


「答えなさい。『はい』か、『いいえ』か。簡単に答えられる質問だと思うけど?」

「………」


 俊介の眼球が、心なしか曇った気がした。


「…俊介?」


 オレはおそるおそる俊介の名を呼んだ。

 すると、俊介はオレの方を見て、いつも通り、にまっと笑った。


「やだな、天野さん、オレはやってませんよ? 答えは『いいえ』ですかね?」


 俊介から帰ってきた答えは、「いいえ」。つまり、殺してはいない。ということだ。

 ちゃんと俊介が否定してくれたことに、オレは安堵して胸を撫でおろした。

 天野さんは「そう」と、意味深長に頷く。


 そして、推理を始めた。


「ずっと考えていたの。克己のお父さんを殺して、そして、入ってきた私を殺した犯人が何処に逃げたのかって…」

「そりゃあ、ベランダの手すりを使って、隣に逃げたんじゃないですかね? だから、赤本さんと幸三の爺さんを呼んで確かめたんじゃないですか…」

「そうね。でも、こう考えることもできないかしら?」


 天野さんはオレに突きつけていた錫杖を離すと、それで地面を打った。


 シャランと、澄んだ音が響き渡る。


「『上に逃げた』ということも、考えられるでしょう?」

「上、ね…」


 俊介は少し歯切れが悪そうに頷いた。


 天野さんの考えを、オレはすかさず否定した。


「無理だろ! 天野さん、あんた見たか? このアパートの作りだと、よっぽどの超人じゃないと、ベランダから上の階のベランダに移るなんて無理だろう!」

「うん、無理ね」


 あっさりと頷く天野さん。


「でも、赤本ちゃんと、幸三のおじいさんの言葉で、納得が行ったわ」

「納得…?」


 赤本さんと幸三の爺さんの言葉に、何があったと言うんだ?

 天野さんは、黙りこくる俊介に言葉で詰め寄った。


「私たちは、玄関の扉が開いていたことから、こう推理した。克己のお父さんを殺したのは、『彼と親しい人物だ』ってね。だってそうでしょう。克己のお父さんは、詐欺で周りに嫌われてから、かなり神経質になり、親しい人間しか部屋に上げなかったみたいだし」


「おい、それだったら、俊介はどうやって部屋に上がったんだよ」


 俊介とオレの親父は顔を知っている程度の関係だ。もし、俊介が親父を殺したとして、まず扉の前に立った時点で親父が部屋に上げないことは予想がつく。


「もし強引に親父の部屋に入ったとして、そうしたら親父が黙っているはずがねえよ。必ず『出ていけ!』って怒鳴って、取っ組み合いになるはずだぜ?」


「うん。そうだね。その証拠に、赤本さんも幸三のおじいさんも、争ったような音は聞いていない」


 オレは俊介が犯人ではないことを示すために、普段は全く使わない脳を稼働させて天野さんに畳みかけた。


「さっきも言ったように、二階のベランダから三階のベランダに移るのはマジで無理だから!」

「そうね。確かに無理よね」


 天野さんはやけに素直に頷いた。

 それから、目を鈍く光らせてこう言った。


「でも、道具を使えば、上れるでしょう?」

「道具…?」

「そう。例えば…、ロープみたいな…、人がぶら下がっても丈夫な奴…」

「でも…」


 喉の奥で言葉が詰まった。

 赤本さんらの「洗濯ものを叩くような音」という言葉が、実体をもってオレの脳天を貫いたような気がした。

「最初から、上の階から下の階にロープを垂らしていれば、お父さんを殺した後に、それを使って自分の部屋に戻れるでしょう? そのロープはすぐに回収。私たちは、『隣のベランダに逃げた』って勘違いするでしょうね」


「そ、そうかもだけど…」


 それでも、オレは食い下がった。


「でも、それでもだよ! どうやって、親父の部屋に入ったってんだよ! 何度も言うけど! 俊介は親父と大して仲がいいわけじゃない! 逆に、親父は俊介のことをよく思っていなかったんだよ!」


 オレが親父の元に帰らずに、いつも俊介とばかり絡んでいるからだった。


 すると、天野さんはニヤッと笑って、錫杖をオレに突きつけた。


「ここで、赤本さんと幸三のおじいさんが聞いた、あんたのお父さんの『何やってんだ』という言葉が重要になるわ」

「だから、それは…」


 言おうとして、頭の中が真っ白になる。


 何やってんだ!


「何やってんだ…?」


「日常生活を送っていて、この言葉を使うタイミングって、どんな時かしらね?」


「どんな時って…」


 どんな時だ?


「少なくとも、客人を部屋に上げた時に言うセリフでは無いわね。例えば、相手のとった行動の意図が読み取れない時とか、本当に、何をしているのかわからない時とか…」



 天野さんは俊介の方に向き直り、核心を突いた。



「あんた、この部屋に侵入するときも、ベランダから垂らしたロープを使ったでしょ?」

「………」


 俊介は何も言わない。


 ただ、今までに見たことが無いくらい目をぎらつかせて、天野さんを睨んでいた。

 俊介が答えようとしたいので、天野さんは勝手に話を進めた。


「流れはこうね。まず、あんたは三階の自分の部屋からロープを垂らして、そこから二階の克己のベランダに侵入。ベランダの鍵はいつも開いていたみたいだから、難なく部屋に入れたでしょうね。そのタイミングで、克己の親父さんがあんたの存在に気が付き、こう叫んだ。『何やってんだ!』って。持っていた鋭利な武器で、お父さんを殺したあんたは、玄関の鍵を開けて克己の帰りを待った。そして、部屋に入ってきた私を殺害した…」

「………」


 ことの流れを説明し終えた天野さんは「でしょ?」と俊介にウインクした。


 オレは震える目で、俊介に訴えた。


 お前、さすがにそんなことしていないよな?


 全部、天野さんのこじつけだよな?


 って、願うように俊介を見た。


 俊介はにやっと笑うと、両手を上げて、降参のポーズをとった。



「はい、オレがやりましたよ」

「っ!」

「いやあ、意外にあっさりばれちゃったな。こうなるなら、いっそ下の田んぼに足跡でもつけておけばよかったかな?」

「俊介…?」


 オレが見ていることに気が付き、俊介は「そうだよ」と、いたづらがばれた時のように、清々しく頷いた。


「お前の親父をやったのはオレだ」

「……」


 オレは、何も言えなかった。

 俊介は満面の笑みを浮かべる。


「嬉しかったろ? 憎き父親が死んだんだから」

「……、そう、だけど…」


 本当だ。確かに、父親が死んで「悲しい」とは思っていない。むしろ、「嬉しい」という感情の方が勝った。だけど、倫理的な感情が邪魔をして、その言葉を発することができなかったのだ。


 俊介は立て続けに言った。


「全部天野さんの言う通りだ。オレはロープを使って、三階から二階のお前の部屋に侵入した。お前の親父さんはよくベランダで煙草を吸っていたからな。鍵は開いていた。『何やってんだ』って叫ばれたのもその時だな」

「それで…」

「ああ、すぐに親父さんは殺した。多分、お前らが戻ってくる十分くらい前かな?」

「十分前…?」


 俊介の言葉から得られた違和感に、オレは顔を引きつらせた。


「十分あったら、逃げられただろ? どうして…、天野さんが入ってくるまでそこに留まったんだよ? 天野さんに、なんか恨みでもあったのかよ!」


 そう叫ぶように言うと、天野さんがぼそりと、「克己、それは多分…」と何かを言いかけた。


 次の瞬間、俊介が音も無くオレとの間合いを詰めると、オレの胸ぐらを掴んだ。オレは反射的に抵抗しようとしたが、俊介は運動部らしい強い力でオレを鉄の手すりに押し付けた。


 ギンッと、見開いた目でオレを睨む。


「てめえを殺すために決まってんだろうが!」


「は…?」


 天野さんが「やめなさいよ」と俊介を宥めたが、彼は興奮して顔を真っ赤にしたまま、オレの目を射止めるように睨みつけてくる。


 オレは俊介の拘束から逃れようとしたが、彼はそれをする隙すら与えなかった。


「くそが! オレだって! 関係のない女を殺すつもりなんて無かったんだよ!」

「関係無いって…」

「気が動転していたんだよ! お前の親父を殺して、気分が紅潮していた! おかげで、お前と天野さんとの見分けがつかなくなってたんだ!」


 唾をまき散らして叫ぶ俊介。 


 天野さんが、ばつの悪そうに言った。


「克己、俊介君は多分、あんた殺すつもりで部屋に留まったのよ。鍵を開けていたのは、閉まっていた鍵を開けたのは、あんたが部屋に入ってくることを予想していたから。だけど、私が入ってきて、私はあんたに間違われて殺された…」

「くそ! どうなってんだよ! 殺すつもりだったお前は殺せなかったし、殺したはずだった天野さんは生き返っているし! もう、計画が全部台無しだ!」


 俊介は興奮して、口数が多くなっていた。


「待てよ! オレたち親友だろ? なんでオレを殺そうとなんて…!」

「自分の胸に手を当てて考えてみろや!」


 俊介はオレの胸ぐらを掴んだまま、激しく揺さぶった。


「この疫病神がよお!」


 え…?


 その瞬間、オレの視界の端が黒く染まった。


 疫病神。と呼ばれること自体には慣れていた。オレの親父があの事件を起こして以来、この村の人間は、みんなオレと親父を恨んで、口々に言っていたことだから。


 だけど、俊介に、いつも一緒に馬鹿やっていた俊介に言われることは、初めてだった。


「くそがあ!」


 叫んだ俊介の喉の奥で、飼っていた獣が慟哭した。


「お前のせいで! お前の親父のせいで!」


 譫言のようにそれを何度も呟いて、オレの身体を揺さぶる。


 見かねた天野さんが俊介を止めようと一歩踏み出した。


 しかし、俊介はそれに気が付き、オレの首をワシ掴みにする。


「おっと、来るなよ、旅人! それ以上来たら、こいつを絞め殺すからな」


 絞め殺す。とは名ばかりで、オレの首、丁度頸動脈辺りに、俊介の伸びた爪が食い込んでいた。下手したら、喉を掻き切られそうだ。


 オレは震えた声で俊介に聞いた。


「おい、だから、オレがなにしたってんだよ! お前がオレを疫病神って言うなんて…」

「うるせえこの疫病神!」


 首に食い込む爪の力が強くなる。オレに顔を寄せると、低い声で、脅すように言った。


「お前の親父が、バニバニ様だなんてくだらない神様発見したって嘘をついたせいで、オレの母さんがすっかりそれに入れ込んじまったんだ!」

「それって…!」

「幸三の爺さんと一緒だよ。母さんは信仰心の厚い人だから、お前の親父にすっかり騙されちまった! お前の親父に言われるがままに金をつぎ込んだんだよ!」

「で、でも! 親父は金を返したって!」

「ああ! 金は返ってきた! だけどなあ、母さんはこの村の土地神の存在を信じて止まなかったんだよ!」


 ぐっと、手すりに押し付けられる。


「あの事件の後も! 『バニバニ様は存在する』って周りに言って、他の村人の反感を買って、職場でも虐められるようになって…」


 そこまで言った時、俊介の言葉が途切れた。


「虐められるように、なって…!」

「虐められるように、なって?」


 俊介は次の言葉を出せないでいた。

 目に一杯の涙を浮かべて、それでも、オレの首に突き立てる爪の力は緩めず。

 言いあぐねている俊介の代わりに、天野さんがそっと言った。


「死んだんでしょ?」


 死んだ?


「嘘…、だよな?」

「死んだに決まってんだろうが!」


 俊介が叫んだ瞬間、首元の焼けたような痛みが走った。

 血が飛び散り、俊介のぐにゃりと歪んだ顔に飛び散る。こいつの爪が、皮膚を抉ったのだとわかった。


「自殺だよ! 自殺! ああ? 『なんで言わなかった?』ってか? いうわけねえだろ!」


 俊介は、指先にオレの血を付けたまま、再び首を締めてきた。


「一か月前のことだ! その時から! お前ら親子を殺す機会を、ずっと狙っていたんだよ!」


 一か月間のことが、オレの脳裏に鮮明に蘇った。

 一緒にゲームボーイして、一緒の部屋で眠って、一緒にミカン畑を荒らして…、一緒に大人に怒られて…。恨みの念なんて感じない、幸せな日々だったはずなのに…。こいつはずっと、オレのことを恨んでいて…、ずっと、殺す機会を伺っていたってのか?


「なんでだよ、俊介…、オレたち、ずっと一緒だったじゃないか…」

「馬鹿だな、ここは黒河村だぜ? 最初から、余所者なんて、信頼しているわけねえだろ!」


 俊介の叫び声を聞いてか、傍の部屋から、赤本さんと幸三の爺さんが出てきた。

 俊介に首を締められているオレを見ると、「なんだ? 喧嘩?」とのんきな感想を洩らした。


 俊介は幸三の爺さんを見た。


「村八分だよ。村八分。わかってんだろ。この村には、そういう風習が根強く残っているんだ。例え、お前が何もしていなくても、恨まれるのは当然のことだ!」


 ぐっと腕を押し付けてくる。


「全部失敗だ! お前が変な旅人連れてきたせいで! お前を殺し損ねた!」


 それから、「まあいい」と下唇をペロッと舐める。


「どの道! ここで死ね!」

「辞めなさい!」


 天野さんが叫んだ。

 錫杖を長く握り、鋭くなった金具の部分を俊介の首筋に押し当てた。


「克己を離して! そんなことしたって意味無いわよ!」


 よく見れば、彼女の錫杖はよく研がれていて、少し力を込めれば、俊介の首くらい裂ける程度に鋭く光っていた。


 だが、俊介は怯まない。それどころか、オレの首に食い込ませた爪の力をさらに強める。


「やってみろよ。どうせ、オレは一人殺しているんだ。もう、これからの人生がまともじゃないことくらいわかっているっつーの」


「このクソガキ、舐めたこと言うじゃない。そういう人生悟ったようなセリフは、五百年くらい生きてから言った方がいいんじゃないの?」

「ああ? 何言ってんだ? てめえ」

「馬鹿ね…」


 天野さんがふっと笑う。次の瞬間、目にもとまらぬ速さで錫杖を振ると、鋭利な金具の部分で、俊介の首筋を斬りつけた。

 皮膚表面が切れて、血が飛び散る。


「くっ!」


 大口を叩いていた俊介だったが、実際に斬られるとは思っていなかったようだ。反射的に、オレの首から手を離してしまった。すかさず天野さんが俊介との間合いを詰め、錫杖の柄の部分を彼の鳩尾にめり込ませた。

 傍からでも、どすっという鈍い音が響く。


 俊介は喉の奥から胃酸を吐き出すと、その場に蹲った。


 天野さんは「一丁上がり」と言わんばかりに、すました顔で、彼が呻く様を見下ろした。


「どうしたの?」

「くそが!」


 俊介は、標的をオレから天野さんに変えてとびかかった。だが、天野さんは俊介の突進を難なく受け流すと、脚を払って、アスファルトの上に叩きつける。


「だてに五百年生きてないのよ。昔の武士の方がもっと強かったわ」

「くそ…!」


 俊介は奥歯が砕けんばかりに歯を食いしばった。顔は真っ赤に膨れ上がり、身体の奥から込み上げてくる怒りを抑えられないでいる。


「この、疫病神が! オレの村から出ていけよ!」


 次の瞬間、素早く体勢を立て直した俊介は、ラグビー選手を彷彿とさせる、低い位置からのタックルをオレにかました。


 脚を掬われたオレは、声にならない悲鳴を上げてバランスを崩す。



「克己!」


ちょっと長くなり過ぎちゃった

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