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界変のアルテントロピー  作者: 芳蓮蔵
第二章 吸血変
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月下《He grieved it》⑦

 エイベルデン地方は、小麦や大麦の畑が多く、また盆地であるがゆえ広い平地での牛や羊の牧畜が盛んであった。そのため労働者の多くは農家で質素な生活を送っていたものの、しかしこの地方の気候は温暖で地下水も豊富な為、経済水準の割にはその生活の不満を口にする者は少なかった。それよりも彼らの生活――というより、生命そのものを脅かす最大の懸念と云えば、やはり吸血鬼であった。


 この町は別名『霧の街』とも呼ばれ、この片田舎の町は一年中、特に日没から明け方までは常に薄い霧が立ち込めていて、どことなく陰鬱な空気を町全体に漂わせる。とは云え主要な街道の交差する場所に築かれたこの町は、エイベルデン地方最大の人口密集地であった為、他の農村に比べればそれなりに文明的ではある。石造りの建物は平屋よりも2階建て以上が多く、それがある程度計画的に、整然と並んでいる。屋根の色も濃紺で統一され、主要な道は石畳で舗装されており、馬車が行き交うにも充分な幅員である。そういった通りには、帽子屋、靴屋、仕立屋、鍛冶屋など、生活必需品をこしらえる職人の店があり、数は非常に少ないが油を燃やすタイプの街灯までもが備わっていた。また行商が訪れることも少なくないので、宿を営む店も幾つかあった。


 マナとイザベラは『迷いの森』でこれといった怪異に出くわすこともなくすんなりとそこを抜けると、森での探索よりも先にこの町に入った。捜査拠点を構える必要性を感じたし、それに広大な森を闇雲に捜し歩くよりも、まずは目撃者に期待するべきであろうという考えである。


 夕刻を迎えてから町への入場を果たしたマナは、カレノン村での騒ぎから学習し、自身も無駄に人目を引かぬよう、数ある宿屋の中でも比較的人気の少なさそうな処に泊まることにした。――イザベラは魔女で、しかも今はカラスの身であったので「儂は気にせんでいい」と告げてどこかへ飛んで行った。


 貨幣を持ち合わせていない彼女に対する宿屋の主人の対応は、最初極めて無礼なものであったものの、リアムから受け取っていた金の粒を、町の襤褸宿としては多すぎる代金として渡すと、横柄な主人の態度は目に見えて丁重になった。


「何かあればいつでも言ってくだせえ」と、滅多に無い上客にへこへこと頭を下げる主人。


 彼の案内で2階の最も大きな部屋に通されたマナは、追い払う様に主人を部屋の外にやると、暫くの間ベッドに横たわってみた。そして硬い寝床に違和感を感じながら、部屋の壁に射し込む、開け放たれた木窓から入る赤い光が刻々と縮まっていくのを、ぼんやりと眺めていた。


 ――その夜。眠っていたマナの耳にコンコンと小さなノックの音。それはドアではなく、窓を塞いでいる木板からである。彼女は何の警戒も無しにその板を上げた。すると窓辺に止まるカラス――無論イザベラである。


「どうシましたか?」とマナ。


「風がどうにも重たくなってきた。亡者どもの魂もざわついてる……。どうやら来たみたいだね」


「吸血鬼――?」


「ああ、昔は森や廃屋でしか姿を見せなかったのに、奴らも大胆になったもんだよ。……気配はこの町の中に在る」


 表情の無いカラスの顔でも、そんな台詞が合わさると忌々しく歪んだように見える。


「解ッた。行ってみまシょう」


 マナはそう言うと寝静まった宿屋を抜け、イザベラを伴って深夜の霧の街へと繰り出した。



 ***



 この亜世界ダークネストークスの夜は長い。黄昏から宵闇が開けるまでの時間は1日の4分の3程もある。その代わり、月は空の何処にあっても見つけられるほど大きく、それに比例した明るさを持っている。


 深夜。月齢(それ)が多少欠けていたとしても、月光は霧が漂う町中の闇を照らす光源としては申し分なかった。


 犬猫の鳴き声一つ無い静寂――。


 吸血鬼蔓延るエイベルデンでこんな時間に出歩く者はというのは、余程危機管理能力が低いのであろうが、それでも人間には『まさか自分が』という都合の良い偏見(バイアス)がある。


 親に内緒で友人と遊んでいたこの町娘も、そんな一人であった。


(遅くなってしまったわ……早く帰らないと)


 そう思うのは吸血鬼の脅威に対してではなく、親の叱咤に対してである。


 彼女が小さな通りを早足で歩いていると、正面の霧の中に人影があった。


「……こんばんは。こんな時間に出歩くのは危ないよ? お嬢さん」


 彼女は突然の男の出現に、一瞬ドキッと立ち止まったが、男の口調の柔らかさが彼女の警戒心を弱めてしまった。月明かりの下で見て取れる男の姿は、黒髪の30か40代の優男である。黒いローブかマントの様な長衣に身を包んでいる。


「あらこんばんは。そうね、でも家はもうすぐ近くなの。ありがとう」


 彼女がそう言って男の横を通り過ぎようとすると、男は慣れた足運びで道を塞いだ。


「そうは言っても、安心しちゃあいけないよ? こんなに美しい夜は、吸血鬼が出るからね」


「でもそんなのどこにも見当たらないわ……。お気遣いは感謝しますけれど、通してくださる?」


 しかし男は彼女の言葉に口元を緩ませるだけで、そこを退こうとはしなかった。


「見当たらない? 馬鹿を言っちゃあいけないな。吸血鬼なら――ここにいるじゃないか」


 男の両眼が幽かに赤い輝きを帯びる。


「ッ!? き――」


 悲鳴はほんの一瞬で遮られた。吸血鬼の妖しい瞳の力によって、彼女の意識は眠りに落とされたのである。


 倒れ込む女性を抱きかかえ、フフフと牙を覗かせて嗤う吸血鬼は、彼女の柔らかな白い首筋に牙を食い込ませ――ようとした瞬間、その動きが止まった。


 吸血鬼は女を離し、崩れ落ちる彼女をその場に、常人離れした跳躍力でもって飛び退いた。


「…………」


 闇でこそ本領を発揮する吸血鬼の瞳は、赤く獰猛に光りながら、路地の暗闇の先から歩み寄る男の姿をはっきりと捉えていた。


 コツコツと石畳を鳴らすブーツ、鋭い鉄の音。路地の陰から姿を見せて、月光を最初に浴びたのは――黒光りする鎌。


「貴様……ガウロス様の仰っていたハンターか」と吸血鬼。


「……ガウロス……それが……真祖の名か……?」


 陰から現れた鎌の持ち主――レイナルドが無表情に問うた。その後ろの陰にはロマが付き添っている。


「真祖だと? 愚か者が。血の主上の御名を口に出すことなど我らに叶うはずもなかろう。ガウロス様は第二世代、血の主上の側近であらせられる、偉大な吸血鬼よ!」


 そう言うと吸血鬼は牙と爪を剥き出しにして、レイナルドに飛び掛かった。


 レイナルドは鮮やかにその第一撃を躱し、最短距離で迫り来る爪と数回斬り結ぶと、隙をついて鎌の柄で吸血鬼の腕を真横に弾く――そのまま一回転して薙ぎ払い。吸血鬼はそれをバック転して避け、着地と同時に石畳が捲れる勢いで地面を蹴って突撃。


 一直線に突いてきた爪を、レイナルドは既のところで鎌を軸に跳び、彼の残像だけが切り裂かれる。レイナルドは跳び上がった反動を利用して縦回転から一閃。


 それを尋常ならざる反応速度でもって躱した吸血鬼は、しかし太腿を斬り裂かれて呻いた。


「グっ!」


 怯みつつ横に薙いだ吸血鬼の爪――レイナルドは着地と同時に地面すれすれまで屈んで避ける。グルンッと回った水面蹴りで、深手を負った吸血鬼の脚を払う。そして立ち上がりざまに腰の散弾短銃(ブランダーバス)を抜き放ち、それを倒れた吸血鬼の顔面に突き付けた。まるで予め定められたかのような、流麗で力強い動きであった。


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