お礼を言うのは当たり前
「ウッ…!」
液体が体内に入ったと感じた瞬間、身体の血液が逆流し始めた様に全身が熱くなり、上手く息が吸えなくなる。
「カハッ!…ハァ!ハァ!…ッ!」
どうにかして熱を逃したくて身体が勝手に動こうとするが、枷に邪魔されて全く動けず、首だけを右に左に倒し続ける。
そうしてやり過ごしていると、突然身体から痛みが消えた。
「!…ハァ…ハァ…え?」
一瞬、あまりの熱に痛覚が消えたのかと思ったが、懲りずに手首を動かそうとすると当たる枷が痛い。ただ、じんじんと痛んでいた腕や右手、側頭部など、怪我のあった部分の痛みがすっかりなくなっていた。
訳がわからず、無表情にこちらを見下ろしているハルカに視線を送る。
ハルカは気にせず、ズボンのポケットから何かリモコンのような四角い物体を取り出し、幾つかある内の一つのボタンを押した。すると、動きを制していた枷がようやく外れてくれる。また動きを封じられては困るので、慌てて寝台から身体を起こした。
寝台に浅く腰掛け、ハルカに何をしたのか聞こうと口を開けたところで、私はあることに気がついた。
…傷がない…。
そう。右膝に痛々しくあった青痣も、右手にあったナイフの刺し傷も綺麗さっぱり消えていた。
「傷が…」
「腕出せ」
「はい?」
「いいから腕出せ」
何の説明もなしに言われ混乱するが、とりあえず打撲痕が消えた白い腕をハルカの前に差し出す。ハルカは何も言わず私の腕を掴むと、掴む手に少しだけ力を込めた。
骨折をしていたはずだが、不思議と腕は痛くない。
「痛むか?」
「あんまり」
私が答えると、ハルカは手を離した。
「あ、あの…これは?」
いい加減教えてくれても良いだろうと、恐る恐るハルカに尋ねる。
たった一回注射しただけで、痣や刺し傷、骨折まで治してしまったのだ。そんな万能薬は聞いたことがない。
私は一体何を打ち込まれたのだろうか。
「簡単に言えば傷薬…というよりも『怪我薬』だな。どんな大怪我を負っていても治るように配合した」
「!そ!それって凄くないですか!?大発明なんじゃ…」
あっさりと言われたが、本当にどんな致命傷でも治るのであれば、各国から大金を手に、様々な人達が買い求めにくるだろう。
と思ったが、ハルカは溜め息を吐いただけだ。
「馬鹿か。お前さっき、自分で体験しただろ。身体の自然治癒力を外部から強制的に活発化させてるんだ。体力が保たなきゃ死ぬ」
ハルカの冷たい発言にゾッとする。
つまりは、私に体力がなければ、たった今死んでいたということだ。人より体力に自信はあるが、本当に体力があって良かったなと胸を撫で下ろす。
「もし体力が保たなかったら、どうするつもりだったんですか?」
「……死体は有効活用してやる」
…この人、実は思ったよりも考えなしなのかな?
かなり間を開けた返答は、何とも言えないものだった。
余程私を信頼してくれているのか、何なのか。
とりあえず、私を殺すつもりが全くなかったことはわかった。
…あれ?ということは…。
「ありがとうございます」
「は?」
私が頭を下げると、頭上から間抜けな声が聞こえた。
顔を上げると「何言ってんだ、こいつ」と顔に書いてあるハルカと目が合う。
毎回思うが、この第一王子様は感情が面に出やす過ぎではないだろうか。
心の中で呆れていると、ハルカが口を開いた。
「…何処に礼する必要があった?」
「だって、怪我を治してくれたんで」
実験としか思っていなくても、ハルカが私の怪我を治そうと思って薬を作ってくれたのは事実だ。実際にハルカのお陰で怪我は全て治ったし、お礼を言うのは当たり前だろう。
「下手すれば死んでいたのにか?」
「?ハルカ様は殺す気なかったでしょ?」
それは先程の質問でわかったことだ。そもそも私を殺すことは命令違反になるので、ハルカが私を殺そうとすることは有り得ない。
「…お前の考えてることはさっぱりわからん」
ハルカは心底理解できないというように顔を顰めた。
そんなハルカを見て、私はふとある疑問が頭に浮かぶ。
「そう言えば、どうしてハルカ様は私と二人きりの時も演技してるんですか?」
気になったものは仕方ないと、疑問を口にした。
ハルカの素はもう既に知っている。演技をしている理由も聞いたが、私の前でまで素を隠す必要はないだろう。
「誰の前でも関係ない。俺は素で喋ることを基本的に禁止されている」
「でも、ずっと演技するのは辛くないですか?」
演技をするということは、気を張っているということだ。ずっと気を張り続けるのは疲れるし、ストレスも溜まる。
「私も皇女として、里の人達の前ではしっかりしようと気を張ってたんですけど、すごく疲れちゃったんで。信頼できる人の前でくらい素を見せた方がいいですよ?そうしないと、息が吸えなくなって窒息しちゃいます」
「…俺はお前のことを信頼してない」
「ウグッ!…それは…そうでしょうけど…」
正に正論。昨日今日の付き合いで、お互いのことをほとんど知らないにも関わらず、相手のことを信頼できるわけがない。私だってハルカのことを信頼しているかと言われたら、信頼していないと答えるしかないだろう。
「私のことは信頼していなくても!シンラ様達の前でくらい、素で喋ったらどうですか?家族の前でくらい、第一王子の『ハルカ』じゃなくて、ただの『ハルカ』でいれば良いじゃないですか」
私が竜達の前で気を緩めて過ごすことができるように。
そう思っての発言だったが、ハルカはただただ目を大きく開いて、こちらを凝視していた。
「…お前…それ…」
「?」
少しだけハルカの手先が震えていることに気付く。
見たことのないハルカの反応に、私は頭にハテナを浮かべた。
何かおかしなことを言っただろうか。
「…どういう意味だ」
「え?」
「それはどういう意味だと聞いている。俺は…『ハルカ』は第一王子だ。それ以外の何者でもない」
「…」
まるで氷のような言葉だった。
ハルカの中では、自分は「ウィスタル王国第一王子フィリベンジャ・ハルカ」でしかないことがわかる。
「それは違います」
「ぁあ?」
脅すような低い声で唸られる。しかし私は、真っ直ぐとハルカの目を見続けた。
「少なくとも家族は違います。国民にとってハルカ様は王子でも、家族にとってはハルカ様はフィリベンジャ家の長男です。王子として接したりしません。その証拠に、シンラ様達は誰もハルカ様のこと『様』付けで呼んでないじゃないですか。ハルカ様のこと、第一王子としてじゃなく、ただの『ハルカ』として見ている証拠です。ハルカ様もそれを認めてるでしょ?」
「…あいつらに『様』付けで呼ばれるのが気持ち悪いだけだ」
「ふふっ!ほら!それって、ハルカ様がシンラ様達のことを王子として見てないからですよ!」
この国では、第一王子の身分は王の次に高い。そんな中、ハルカが自分より身分の低いシンラ達に対して敬称を求めないのは、無意識にシンラ達のことを家族として扱っているということだろう。
本当に自分の存在を表面上の肩書きでしか表せないのだとしたら、それは人形やロボットと同じだ。ハルカは人形でもロボットでもない。時々、本当に人間かと問い詰めたくなる程非人道的だが、それでも人間だ。私達と同じ人間だ。
私が笑うと、明らかに不機嫌そうにハルカは眉根を寄せる。
…あ、怒らせたかな?
念のため身構えるが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
今にもドス黒いオーラを纏わせ、拳を振り上げそうだったハルカは、一変して眉を下げて柔らかく微笑んだ。
「変なやつ」
「!」
ドキッと心臓が鳴った気がした。頬に少しずつ熱が集まっていく。
「テメェの戯言に付き合ってやる。シンラ達じゃ、いつ父上にバレるかわからねぇが、お前は言わねぇだろうしな。信頼はしてねぇが、演技するだけ気力の無駄だ」
上から目線で告げられたのは、何とも素直じゃないセリフ。
それでも…。
「はい!」
それでも少しだけ、ハルカに私の気持ちがほんの少しでも伝わったのなら嬉しいと思ったんだ。
夜八時。
自室のベッドに腰掛けて、窓の外の夜空を眺める。
今日も今日で色々と大変な一日だった。シンラのサンドバッグタイムがあったり、人体実験を受けたり、竜の里にいた頃には有り得ないようなことばかりだ。まあ、竜の里でなくとも普通は体験しないようなことだろうが。
自分の置かれた状況に、改めてハハッと乾いた笑みを溢す。
その時、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
「?誰ですか?」
「僕、アオイだけど。入って良い?」
「?はい」
突然の訪問を不思議に思いながら返事をすると、ガチャという音と共に扉が開かれ、白いブラウスに黒のズボンを着たアオイが部屋の中に入ってきた。それに合わせて、私もベッドから立ち上がる。
「何か用ですか?」
私が尋ねると、アオイは「まあね」と眉を下げて笑った。
その笑い方は兄弟なだけあって、ハルカとよく似ている。
「ちょっと話があって」
「話?」
私が首を傾げると、アオイは小さく頷いた。
「…僕達のことについて…ね」
「…」
そうして長い夜が始まった。