疑を持ちて、狂い啼き
メリー、クリスマス。
全三話、週一更新予定ですが目の調子が悪いとずれ込みます。
「よし、私の難所を無事に越えました!」
足を滑らせ、お尻を着いて苦手意識が芽生えた場所。この場所を今日は泣かずに上手に越える事ができて嬉しくなる。
通い慣れてきたと自分でも思う。
山道は登るよりも降る方が大変なのだと私は体で思い知った。日が落ちる前に、帰られる前にと、体の悲鳴を無視して案内人と共に登った帰り道。足にきて物の見事に滑って転けた。あの時は、本当に今後一人で行き来できるのか不安に思ったものだった。
『いいか、山道は下りる方が大変なんだ』
『わかっています、大丈夫ですわ』
『…うぅん、能力より鈍さを心配していてだ。何もしない内から足を挫いて終わる事を危惧している』
『まぁ、お兄様は私を信頼してないのね!?』
『いや、この場合の信頼と保証は別物だから』
『なっ! もう、大丈夫ですったら!! 子供の時とは違います!』
あの時の信用ならないお兄様の眼差しを、何度思い出した事でしょう…!
「さあ、もう少しです。頑張りましょう、私!」
下生えと落ち葉、枯れ枝が混じる道はサクッともクシャッとも可愛らしい音を奏でる。素敵と思う反面、箒で掃くのが一番だと思う。けど、大変さを思うと二の足を踏む。多少なりとも体力はできてきた。それでもお勤めと往復と、お勤めの範囲を広げる事を考えると余計な無理はしたくない。基本、背負い袋で両手は空いているけど〜 一人なのを考えると微妙。
まぁ、風任せとも言うし。
「あ!」
木々が途切れ、明るさが増し、前面が開ける。
「…ああ、綺麗。何度見ても、此処から見るのが一番綺麗だわ」
山腹から望む平野は明るかった。日の光に照らされて、山の陰になる此処からは少し眩しい感じがする。暫く堪能した後、視線を下ろすも緑が邪魔して麓の村は微妙な感じでしか見えない。はっきり見えるのは、私が仮住まいする家の屋根。その屋根にホッとする。
「本日のお勤めを終え、無事に帰ってきました」
山腹にあるこの家の玄関に向かって報告するのが日課になった。誰も居ないからこそ住まう家に話す。家は私の守りだもの。
「手を洗ってきましょう」
玄関前を横切って少し先にある水場へ行き、手と顔を洗う。夏でも身を切る様な水の冷たさは有り難くない。全くもって有り難くも有り難くない。この水が下の村々を潤す大事な水流で、今の私の大事な水源でもあるけれど 冷たさは、辛い。
「…ああ、もう日が陰るのね」
まだ日は高い。
でも、此処は陰る。地形と木々の高さで日は遮られる。勤めとはいえ、やっぱり少し辛い。パシャンと水を切って家へと戻る。
「ふぅ〜〜」
家に入ると更に暗くて気が滅入る。
問答無用で明かりを灯す。
こんな日中から灯す事に、当初は勿体無さから罪悪感がした。でも、今は違う。暗い部屋に一人で居るのは堪える、物凄く堪える。目も悪くなりそうなので遠慮なく灯す。
背負い袋を下ろし、お昼ご飯の包み布を取り出して、パン!と伸ばしてから台所に置く。それから甕を覗いて水を確認。甕底にある清め石の淡い光に水が揺らめくのを見て、「水量、共に良し」と微笑み、一杯汲んでゴクッと飲む。
それから、また背負い袋の中身を整理。
あれこれそれと確認したら、洗い物を持って水場へ行く。
一通り終えたら、やっと服を着替える。
普段着に着替えると安心。
男装も悪くないし、山道は絶対にそっちが良いけど〜 飾りの一つ、華やかさの欠片もないのはちょっとねー。涼しさと寒さが混同する此処に居ると本当に装いは地味になる。厚めの生地でも揺らすようにして歩くと気分が良い。
では、日誌を書きましょう。
今日は山の何処へ行ったか、そこがどんな感じであったかを書き記す。これを怠ると後が大変、後の方が参考にされるのだから大変。字も上手に丁寧に。私、怠けてません。
日誌を書き終え、以降の段取りを考える。とは言っても結論は出てる。
「近場はやりきったも同然… 足を伸ばすべき。 ええ、ええ、そろそろあそこに行っても良い頃合い… いける、きっと行ける! 明日こそ、私は辿り着いてみせる!!」
決意を新たに日誌を閉じ、気勢を揚げつつ背伸びをする。そうと決めたら、持っていく物を今一度吟味せねばと部屋の中を見回して。
不意に寂しくなる。
誰も居ない家は寂しい。
勤めに慣れ、一人で全てを賄う忙しさに慣れ、ふとした時に無性に寂しくなる。
この仮住まいには私しか居ない。此処は区切られた場所であり、勤めは一人で行うものとされている。だから、全部一人で行う。
家の裏手は山。右手には登山道があり、左手には小さな水場がある。山中の水流を引き、湧き水とした。水の流れは繊月を模し、家と登山道を取り囲む。終わりとなる一点へと流れ込む水は勢いで小さな水溜まりを形成し、形状に従い回転を為して溜まりの真下、穴の中へ、地中へと消えて行く。考慮すべき様々な条件と安全の元、この人為の流れは作られた。
水の始まりと終わり。
直線で結べば、繊月は半月となる。
水は家と向こうを隔てる。
半月が私の居場所。
外と繋がるのは、橋。
男の人なら一跨ぎで越えられる幅で、弾みを付ければ私でも間違いなく飛べる。その程度だから、まぁ、その程度の橋。なんだけど、一応きちんとした橋。
境に架かる橋。
大事な境界線、彼方と此方。
勤めを終えるまで、私が出てはならない水の一線。
「 …次の配達日は明後日、もしもを考えてもちょうど良い。 …ふふ、楽しみだわ」
此処の生活は不便でも困りはしない。食材は下から人が持ってきてくれるし、話もできる。だから、そこまで辛くはない。ええ、辛くなーい。
「ちょっと疲れたかな? うん、お昼寝しましょ。起きたら、夕食と朝食の用意をして… そうね、明日の遠出を考えるなら水は今日汲んでおく方がいいかも。お風呂はどうしようかしら? 湯船に浸かるのは明日にして… 今日はお湯で拭くにとどめましょうか」
随分と人は変わるもの、変われるものだと思いながら寝台に横になる。日の温もりを感じない寝具にも、慣れないようで慣れた。
…明後日、干せると良いな。
「お弁当は持った、水筒も持った、地図も持ったし筆記用具も入れた! 非常用の薬もその他も入れました。台所は確認したし、書き置きもした。十分に、いえ十全に睡眠もとった! 行きましょう!」
意気込んで玄関の扉を開けたら、肌寒かった。
そして、普通に暗かった。
私、負けない。
朝焼けもまだな山道を登る。
登る、緩やか、急、緩やか、平ら、登る。頑張る。
今日は家から最も遠い地点に行く。行って、鳥姫としての務めを必ずや果たすのだ!
日が射し込み始めた。
「はぁ… 道は間違いなし、此処で書き足すものは〜 特になしと」
目印の杭と地図のお陰で迷わないが、植物の夏の繁殖力が凄くて辛い。虫もそこそこ辛い。虫除けの香をしっかり焚き染めたのは良いが、鼻には微妙な香りで好きじゃない。
杭に縛り付けてある橙の布に目を留め、「ふふっ」と笑って先へゆく。
少しずつ道も世界も明るくなる。
長じて、元気が出る。
疲れた。
休憩。
「ふぅ」
飲み過ぎない様に気を付けて、一口。休み過ぎない事を心掛ける。 …心掛けなくても、長く座るとお尻が冷えるから立つけどねー。
「よし、行こう。 いーくーよ〜〜 っと」
掛け声と共にゆっくり腰を上げる。
年寄りがする事なのだと下の村の子が教えてくれた。しかし、声に出す事で体に準備を促すのだとも聞いた。だから、せめて可愛らしい掛け声にするのだと言った。私も賛同する。
ケー、キョキョキョキョ…
聞き慣れない鳥の声がした。見回しても姿は見えない、残念。静かな中で自分の足音しか聞こえないのは、良いのか悪いのか。
鳥は飛ぶ、虫は這う。
でも今、山で獣はほとんど見ない。鳥の巣も見ない。
理由を述べれば多岐に渡るが、一番の理由は地形の悪さが影響を及ぼしている。生じ易い地形なのだと。多過ぎる陰が増長を促し、溜まりと成り、穢れに変わる。そうして正しく瘴気と転じ、風と共に山を下る。獣は人より鋭敏で、人が気付く頃にはほぼ居ない。一つの目安でもあるけど、ほんと色々最悪。
その穢れを祓うのが、鳥姫や小鳥と呼ばれる私達の役目だ。
「ふふふふふ、ついに私は此処まできた!」
着任した私は若さと勢いで失敗した。最初の一番近い地点を祓い終え、これならいけると。毎回、濃いとされる端の地点から攻略しようと頑張って頑張って頑張ってえ〜 山歩きで疲れて、辿り着けずに諦めた。だって、足が疲れて痛くて震えて山で一夜を明かすかと思ったら怖くなったのだもの。
私、貴族の生まれだから遠出とか歩かないのよね。
祓いの舞はきっちり修練してるのだけど、山歩きには… ちょっと方向が違ってたみたいで… 舞以前の問題になっちゃったのよねー、はあ。
仲良くなった小鳥の、市井の子達が山の祓いは大変と言ってたのが違う意味だとよくわかったわ。
「…食事をして、休んで、それから勝負ね」
此処からの登り道は真っ直ぐで、道の両脇に植わる木々が光を遮る。枝葉は厚く、覗く先は暗く、ポツンと小さな出口の光が見えるだけ。そこに辿り着くまでの道のりがとても長く、黒々として見える。
あの時は、此処で泣く泣く省略に省略した鈴音の祓いだけをして帰った。今日こそはしてみせる! 他の地点での祓いが活きて、全体を考えれば薄まってきてるはず。勝機は我にあり!
お手製のお弁当を頬張って、「ん〜、美味しい」。自分の料理の腕が上がってるのを実感する。やる気、上がるう〜。
サクッ ジャクッ
「はぁ、ふぅ、ひゅぅうう〜〜」
視線を落とし気味に登る。登る登るの登りで登りながら、腕で汗を拭い少し荒い息を吐く。大丈夫、余力はある。
「はあー」
辿り着いた場所はそれなりの広さがあり、案外綺麗だった。ぽっかりと空が見え、光が射し込む空気は軽くて安心した。
人が拓いた場所らしく、残っていた切り株に背負い袋を下ろす。
地面を吟味し、円匙で掘り返す。掘り出した黒土を小さな香炉に入れ、その上に祓いの香を置く。炉の置き場所を何処にするかと周囲を確認し、「やっぱり、入り口よね」と置きに行く。
小さい緋扇を広げて炉に向け。
束ね玉を指で押さえて、優雅に扇を鳴らし閉める。
パチン。
「ぬ?」
…やり直し、もう一度。
パチン、パチン。
先端から火花が散ったら透かさず扇ぎ、香を焚く。
香の立ち上りに風を目で追う。
日の傾きに予定より少し遅れている気がした。
「まぁ、範疇よね。さ、着替えましょ」
服を脱ぎ、着込んできた薄物になると〜 気持ち良さと、多少の肌寒さと。手で薄物をパタパタして風を通す。脇汗が嫌ね。袋から簡易の儀礼服を取り出す。薄くて軽い飾り布は、左右があって二枚で一組。裏表にしてないか柄を確認しつつ、まず左を着る。腰に巻き、通してある飾り紐でギュッと締める。それから、右を巻いてギュッとする。どちらも丈が少し違う二枚の重ね布。手で摘まみ、ふわりと風を取り込み足の動きを確かめる。問題ないので上着を着込む。
…諦めた靴は考えない、えーん。
脱いだ服を畳んでから、水筒を持って場所を移動。水を含んで口を濯ぎ、そっと吐き捨てる。水を垂らして両手を洗い、水気を切る。括っていた髪紐を解き、頭を振って髪を散らす。濡れた手を手櫛に髪を整え、括るかどうか考える。
状況からして、紐よりは飾りと一つだけ持ってきた髪飾りで彩りを添える。それから、真扇と鈴紐を収めた小箱を袋から取り出し服の上に置く。
「聖樹が守りしこの大地に、これより鳥姫が祓いの舞を奉じます。深き闇から生まれる穢れもまた世界のありし姿なれば、奉る鳥の舞にて大空へと駆け上がり、留まりを知らぬ変遷の時を迎えられませ」
リリン、リリン、リリン、シャン!
鈴紐を振って響かせ、ゆるゆると三度回る。
手にした真扇を鳥の羽に見立てて、ゆるりと舞う。
音に釣られ、舞に釣られて、大地と木々にモノが滲む。本番の始まりに、にこりと微笑む。
この地に宿り始めし、小さな力よ。姿を変えて羽搏きと共に空へとゆこう、風と渡ろう。
淡きものよ、と。
柔らかく、柔らかく、変質の言葉を乗せて扇ぎ招く。
儚きものへ、と。
真扇に乗せて掬い上げ、舞う楽しみを覚えられませ、と このまま香に乗られませ、と 違う形になられませ、と 人の言葉の言祝ぎを囁き、道を示す。
どうか見上げられませ、と。
仰ぎ見られて、風の道 その上がりに上がられませ、と 手を添えて 送りに徹する。
静かなる舞に力を込めて、全力で優雅と気品を醸し出し! 一欠片の不安も無きように! 私は、私の全てで麗しき鳥姫を体現する!!
鳥姫は、決して暴力や暴言を振るわない。そんなものとは無縁なのです。祓うに力強さは認められても、重要であるのは優雅さと気品。拙き所作で祓えはしない。
美麗こそ、鳥姫が真髄!!
「佳き日、佳き風、次の巡りを想います。聖樹の葉影が闇を生み、穢れを孕もうと、鳥を冠する我らが祓い清めてお送りしましょう。此処は聖樹が守りし大地なれば、故事に従い、舞を奉納いたします。よりよく世界を 空を巡りて ご照覧あれ。そして、最後は 微笑まれませ」
舞の終わりに口上を述べ、拝礼する。
薄目で香が終わっているのを確認し、身を起こす。完全に香が消え、灰と化したので元へ場所へ帰りましょうと香炉を引っ繰り返して中身を戻す。ペンペンと地面を均してお仕舞い。
「お疲れ様でございました」
大地を見つめながら、風に言葉を乗せて流す。
それから、ちょおおおおおおっと疲れたので脱力して座り込み。汗が玉となり、ツッと肌を滑るのによく保ったと自賛します。でも、もう駄目。汚れも気にせず、横倒れ。あー、疲れたあー。
あ、やだ。いたーい。 …あぁっ、髪飾りが!
「うふふ、これで一通り回り終わりましたのよ!」
帰りの足は早い。
暗い木々の隧道も浮かれる鳥姫には関係なのだ。うふふふふー!
でも、やっぱりしんどいので休み休み帰る。お水も飲み切ったので、休憩の合間に小さな飴を舐める。
明かりを手に注意して注意して難所を抜けて、家の屋根が見えた時には真っ暗だった。何時も感動する風景も真っ暗で、どうでも良い程度に見もしなかった。
「あー、お勤め上がりのお風呂さいこー!」
湯船で体を解してうっとりしていたが、このまま寝ると死ねるのであがる。体を拭き、首から下げた大事な大事な証の青玉も拭く。玉の中には無数の金色の光が散っている。それを、じぃいーーーっと見る。綺麗と思うも光の加減は変わっていない。
…うーん、焦らない。
けど、残念。まだ早いのかあー。
「お早うございます! おられますかー!」
「はぁーい!」
待ちに待った配達日、何時もの小父さまが大荷物を持って上がってきてくれた。私も小父さまもにこにこだ。
「いやあー、最初はわからなくても段々と変化はわかるもので」
「わかりますか!?」
「ええ、今日はもう山の空気が軽くて。ああ、これは遂に周りきられて終えられたかと!」
「そうなんです! 昨日、最後の最後のあそこを終えましたの!」
「やっぱりですか!」
「はい!」
もう、にっこにこで流れを挟んでお茶をしてる。荷物の受け渡しに確認を終え、生鮮品を片付けて次の希望を伝えたら、後はお茶の時間だ。
「本当に頑張って下されて。いえね、途中に小屋を建てるべきかと話はするのですが」
「いいえ、私もできたのですもの。なくても問題ありませんわ」
「ははは、ですなぁ。皆様、終えられるとそう言われます」
「超えるに足る試練ですわ」
ええ、ええ、そうでしょうとも! 私と先達の苦労は引き続き次代に引き継いで貰いましょう。苦労は分かち合うもの! 次代だけが楽をするなんて宜しくありません事よ。それなりーに道も整備されてますし、市井の小鳥達は割合平気で登ってたそうですし! 体力と向かい合うだけですものねー。ほーんといやぁねー、能力の高さが体力をそこまで必要としなかったなんてー。
「ですが、一度の祓いでこうも違うというのはあれですな。やはり、鳥姫様と小鳥では力が違いますなぁ」
「まぁ、有り難いお褒めの言葉でございますわ」
褒め殺しに照れながら当然と受け止め、後の目安について話し合い、その後は村の平素の話に移していった。
「ああ、楽しかった」
お昼を一緒に摂って見送った後、乾物等の仕分けをしつつ久々のお喋りの余韻に浸る。終わったら、ぼーっとする。服の中から、青玉を取り出す。
「ん? んんっ!?」
中で輝く金の光が減っていた。
「や、や、やったあああ! う〜〜〜〜〜」
玉の中の光がなくなった時、祓いが完了する。
全ての箇所を回り切らなくても可能だと聞いていたけど、やっぱり全部回ってこそだったわね! 当然だけど!
「これで帰ったら… きっと、昇格よ! 高位になるのよー!」
両手で玉を包んで握り締め、興奮に身を委ねて「きゃー」と飛び跳ねたら… 何故か、いきなりズキッときた。
「え?」
棒立ちになり、部屋を見回し。
何となく、俯く。
よくわからない。
けど、何か 何か、心が 痛む感じ… ? ???
水をさす感覚に不安を覚え、窓際へ行く。外を眺めて部屋を出る。他の部屋も見回り、家の外へ出る。 見回す。 誰も居ない。 水場へ行き、流れに沿って終わりの溜まりまで歩く。
何もない事に安心して家へ戻る。
遣り甲斐はあるけど疲れているのかと寝台に横になる。これは払拭すべきと「ふぅ〜〜〜〜〜」と細く息を吐き、深く吸い込み、繰り返して間隔を狭め お昼寝に入る。
「寝たけど… 色々と台無しな気分、お休みの日なのに」
目覚めは良くない。
もやもやした感じを残したまま、夕食を作り始め、朝取れ新鮮野菜に気分があがり、作り置きを頑張っていたら日が暮れた。
「今日は雨ですか…」
雨の日は無理をしない、それは鉄則。
だから、代わりに部屋で舞う。その為の部屋に行く。衣装も飾りも凝って化粧もする。髪を結い上げ、唇に紅を差し、目尻に色を乗せ、鳥姫の顔を作るが… いつも通りであるのに、どうしてか不安な顔になってしまった。
おかしいと首を傾げ、意見を求めようとして 自分一人なのを思い出す。弱気になってると意識して、「はあっ!」と自分を一喝する。これから舞うのに、なんてこと!
本日の予定地を脳裏に描き、口上を述べ、部屋の中で鈴を鳴らす。
シャシャシャン、シャン!
鳴らしを変えた鈴音の反響と、薫香と。肌に触れる衣装の重さに、挿した飾りが頬を掠めて揺れる感触に。自分自身を取り戻す。舞の本質は、『私を見て』ではない。間違えても、そちらに振っては 自滅だ。
絵姿で見た気品溢れる神鳥の立ち姿、そこから優雅に風を起こす羽から光が舞い、穢れを祓う様を浮かべて 私心を捨てる。
気付けば、時間は過ぎ去っていた。
時の速さに驚くも、充足感に溢れてる。身体を巡る熱に満足を覚える。
良き舞ができたと微笑めた。
台所で沸かした湯を薬缶ごと持ってきて、桶にドボドボと入れる。もう手抜きで良いやと風呂の残り水を掬って足す。化粧落としを顔に広げ、ぬるま湯でよく洗い落とす。ぬるま湯を作り直して、櫛を浸け、髪を梳く。それから布を浸けて身を拭い、終了。
空腹に作り置きを食べる。
もぐもぐと食べ終え、食器を洗う。胸元に手をやり、見ないでいた青玉を引っ張り出す。
金の光は、少し減っていた。
何とも言い難い気分に襲われる。喜ぶべき事に言い逃れできない不安を感じている。何か、無性に… 怖い?
今日の勤めは終えたので、ぼーっと ぼーっと できず、衣装の片付けやら飾り磨きやらして時間を過ごす。雨が嫌いな訳ではないけど、何故か気分が沈んでいく。それを何とか上げようと無理してる。
そんな感じがしてる。
自分で自分を盛り上げるなんて、いやぁね。
「おはようございます」
草が露を纏う中、一番近くの地点にきた。地面が泥濘んでいるので舞えません。なので神楽鈴を持ってきた。
口上を述べ、舞えぬ代わりの歌を奉じる。歌の合間に鈴を鳴らす。
「あああ、もう少しで泥に塗れるところだった…」
足元をぐっちゃにして帰ってきたら、小雨がポツポツ降り出した。二、三日は降るのかしらね。
「…… 」
今日はそんなに変わってない青玉を見て、安心する私がいる。何でしょう? この訳のわからなさは。
昼食も夕食も等閑に食べ、眠りに逃げた。
夢を見た。
私に向けて差し出される男の人の手。
立っているその方の顔も服も黒く塗り潰されてわからない。でも、私に向けられた手。その手に私は歓喜する。嬉しいと心が弾んで笑みが零れる。
夢を見る。
私は舞に身が入らない。
力の劣る鈴舞か、歌のみを繰り返している。これではいけないと思うのに、光の消滅と手の出現に関連性があると 思っているのに、繰り返している。あれは穢れの手でしょうか? 私は穢れの力に取り込まれ、自分を見失いつつあるのでしょうか?
そうと思うから鈴舞を為し、違うと思うから鈴舞に留めている。誰かに話したいと思っても、私一人。人が来るのは、まだ先で。
繰り返す思考が嫌になり、楽になろうと寝台に座る。
「私は… 貴族の出で… 力を持つ。お兄様は、昨年… 聖樹の ええ、栄えある華将に任ぜられたわ。そして私は鳥姫よ、この上ない誇りを持つ鳥姫であるのよ!! 試練であるというのなら、乗り越えてみせましょうとも!!」
気付けば、金切声をあげていた。
私でも、こんな声をあげられるのだと妙に笑いが込みあげる。
「そうよ、鳥姫は歴代の方々が引き継いできたもの。高位となれば… ええ、その上にあるは色を冠する鳥姫よ。色を冠する鳥姫を目指す私が… この様なところで」
『勤めの間は肌身離さず』
そう言われた玉を取り出し、静かに見つめる。ゴクリと唾を飲み込み、叱咤する。そして同じ想いをしているだろう皆を思い出す。私には同僚がいる。同じ志を持つ鳥姫として、同じ様に勤めに赴いた…
「え?」
何故か、居たと思い出せても 顔は思い出せなかった。
誰一人として思い出せない。
誰の顔も思い出せない。
共に過ごし、各地に散って行った友と呼ぶべき皆の顔が 思い出せない。
青玉の中の金の光。
この光が消え失せた時、勤めは終わる。祓いが完了した、その証。
私は鳥姫だ。
そう、鳥姫だ。
ならば、どうして私は鳥姫に?
…そう、私は色を冠する鳥姫になりたくて。
では、どうしてなりたいと?
疑問に答えるかの如く、思い出すのは手。
私に差し伸べられる手。
私が手を差し伸べられる状況…
どんな状況かと考えれば考えるだけ、わからなくなっていく。勤めていた分、状況は限られる。覚えがない。だけど、見たと心が叫んでる。お兄様の手ではない。では、お兄様のお友達?
思い出す方々は居るが同じと合致する方はいない。
「あ?」
思い出せた方のお姿が子供である事に愕然とする。そして、更なる気付きに恐怖した。
何故、一人で祓うのだろう?
皆と共に祓う方が早くて合理的だ、日数も短縮できる。それに小鳥達は組んでいる。力が弱い事実を除いても、鳥姫が組んではならない事など なかった、は ず。
何故、一人でなければ?
刑罰。
閃きに目眩がして、心と体が震え出す。
『何かがおかしい』
『おかしくはない、祓いを勤めあげよ』
「ぅああっ!」
頭の中で二つの声が私を引き裂いていく。
呻き、頭を振るも声が響く。
どちらの声にも答えられぬまま、逃げてしまえと意識を閉ざし、眠りに落ちた。
朝が来て、昼が過ぎ、私は何もしていない。
暗い部屋、微かな雨音を聞きながら横になっている。疑問は疑惑の体を成し、自分自身がわからなくなりつつある。
小父さまの言動を思い出せば、一時は落ち着いた。けれども、疑わしいと思えば際限なく疑わしくなる。
何よりも縋りたい家族の記憶は曖昧で… 父母と兄と。 共に過ごした記憶は薄く、思い出そうと努めても思い出せない。家も庭も場所も、家族の憧憬とする何もかもが 次第に遠く、ぼやけ、黒ずみ、最後は闇に飲み込まれる。
その闇の中から手が現れる。
手を取れば、私はどうなるのだろう。
麻痺したのか、怖くはない。
それよりも、恋しい。
恋しい。
理由もわからぬ恋情が私の中を突き抜ける。わからぬままに心が痛い。
涙が零れたのか、頬を滑る雫を感じる。
そこに熱を覚えたら、止まらないものが次々と頬を伝い続ける。私は 顔もわからない手の方が好きなのだ。
「あ、ぁああああ…」
大きく吐き出した息は熱を帯び、私の想いを知らしめる。暗さの中で見上げる天井は更に霞んで見えなくなる。
私は鳥籠にいるのだろうか。
何故、籠に囚われるのか。私は何の為に此処に遣られ、何の為に此処に留まるのか。何故、今直ぐにも羽搏き 飛んでいかないのか!
「ぁああ、彼の方にお会いしたい」
素直になれば、気持ちは一つ。
目に見えぬ方への熱に浮かされ、ゆらりと起きる。ふらりと足を踏み出す。そうして、外へ出ようとして 卓の上の青の玉を目にする。
『宜しいですか、玉は証です。あなたを証明する唯一の物です。身から外してはなりません。もし、外しても必ず持ちなさい。良いですね、必ずですよ』
警告。
年配の女性の。
「警告… 何の為の?」
飾り紐を取り、静かに持ち上げ見つめれば… 突如として、強い焦燥と嫌悪に駆られて腕を振り上げ。勢いよく叩き付けようとして、声が聞こえた。
『お前は存外そそっかしいから』
兄と思える人の声。
兄。
居たはずの、兄?
「…お兄様?」
揶揄いではなく、案じる声音。
遠い何時かを思い出しそうで、思い出せぬ内に呆気なく霧散した。気が削がれ、腕を下ろすも今度は躊躇いから手放せず…
紐を手に、外へ出た。
見上げる空、僅かに降る雨。打たれた葉が零す雫が涙に見える。出来た水溜まりは濁った私の心のようだと自嘲する。
泥濘を避け、そろりと密やかに歩き。橋に向かい、立ち止まり、眺める。愚策は取らぬと歩をずらす。
水嵩を増しても作られた流れは溢る事なく沈む先へと流れていく。そうなるべくして作られた、予定調和の流れと橋。
私を隔てる為のモノ。
清冷を見つめ ギリ、と歯を食い縛る。
私が言う、飛び立とうと。
私が言う、貴族家の誇りはと。
私が言う、今しかないと。
私が言う、試練はと。
私が言う、恋情は此処に有ると。
今、この胸に宿るものこそが全てであると!
「ぁああ、私は 私は 私はあああああああっ!!」
零れる涙を 理由もわからぬと振り切り。
見えぬを敵と睨み、衝動を力に変え。
風を力と纏い。
きつく、紐を握り締めて。
私は、流れの向こうへと 飛んだ。