ラッダイトパンクSF『熱資源再考』
ツイッターで、オランダSFで海面上昇によりオランダが海に沈んだ未来を描いたSFのことを「塩パンク(Ziltpunk)」と呼ぶ話が話題になりました。
破滅SFのバリエーションのひとつですが、この方向性で何か書けないかしらと考えたのが、石炭がなく、産業革命が起きなかった地球です。
この世界では、地球温暖化は起きませんが、だからといって大自然が人間に恩恵をたれることなどはなく、温室効果ガスの増加がないことで容赦なく氷河期(の前にあたる気温の乱高下などの気象変動)を迎えていきます。
遠く基督教の国で使う西暦でいえば2020年、春。
細く長い春の雨は10日たっても、20日たっても、やみません。
「雨はなくては困るものだけど、こう長くてはかえって厄介というものだネ」
「奥の方では溜め池が崩れて、家が流されたとも聞くヨ」
「去年は夏に台風がなくて雨のない一年だったけど、今年は春だけで一年分は降っているように感じるなァ」
塾に集まっている子供たちも、勉強にきてるのやら、雨宿りにきてるのやら。
先生の方も、習字や算盤の稽古だけ子供に言いつけると、あとは窓ににじり寄って薄ぼんやりとした明かりの下で背を丸め、ずっと本を読んでいます。
「先生」
かしこげな瞳の少年が、先生に話しかけます。
「言われた課題、すべて終わりました」
「んむ。早いな」
先生は出された半紙を一瞥し、几帳面な小さな文字と数字がびっちりと並べられたさまを見て分厚い眼鏡の奥の目を細めます。
20年近く、ここで塾をやっていますが、これまで見た中では一番に頭のよい子供です。手先も器用で字も綺麗。少年の家は貧乏な農家ですが、なんとか身をたてられるようにしてやりたいと、ほうぼうの知り合いに手紙をだして相談中です。
先生が課題の確認をしている間、少年は、先生が読んでいた本をのぞきこみます。
「先生、ずいぶんと熱心に読まれておったようですが」
「おお。これか。貸本屋に頼んでいたものがようやっと来てな」
「題は『熱資源再考』……著者名がありませんね」
「うむ。どうも、発禁というわけではないが騒動を起こした著者のようでな。文体や内容から、小松左京翁ではないかと、わたしは考えてる」
「ああ。日本が海に沈んでしまうと書いた方ですね。絵空事をいかにもありそうに描かれたことで、騒ぎになったと。もうずいぶん前に亡くなられたと聞きます」
「よく知っているな」
「先生が篤と語られたのですよ。皆に日本の地図をみせ、なぜ日本はこんな複雑な形をしているのかについて。あの時も小松左京殿の本の内容を引き合いにされました」
「いやあ」
先生は頭をかきます。
読んだ本が面白かったら、すぐに影響を受けて語りだすのは先生の良いところでもあり、悪いところでもあります。
「近年は中華学究院でも、地殻浮動説が定説となっているからね。時代が左京翁に追いついたとわたしは思っているのだよ」
身振り手振りを踏まえて語りはじめる先生を、少年は困ったような、嬉しいような顔で見やります。
「それで、『熱資源再考』という本には何が書かれているのですか」
「熱資源とは、木材だ。燃やして熱を出し、鉄を生む。文明揺籃の地である西亜細亜の文明が衰退していった背景に、過度の伐採や気象変動による熱資源の減少がある。これは宮崎市定先生も提唱された説だ。欧州文明が羅馬の後に北へ東へと中心を移したのも、豊富な熱資源が残る地を求めてのことだ。現代において、ロシアが欧州筆頭の地位を継承したのも、この土地にまだまだ豊富な熱資源──森林地帯が残っているからだね」
先生の早口の語りに、聞き耳をたてていた子供たちが笑って顔を見合わせます。
子供たちには半分くらい、何を言ってるのかわかりませんが、少年には、先生が語らなかったところまでが想像できました。
日本でも、森林資源の枯渇は他人事ではありません。
熱資源としてだけではなく、建築や工作の資材として。肥料として。
森林資源の価値は高く、それゆえに、注意深く維持しなくては、すぐに枯渇してしまいます。奥の方で溜め池の堤が崩れたのも、原因となったのは長雨だけではなく、森林の伐採によるものだと考えられます。
「十分な熱資源があれば、そこで文明が栄えるということですね」
「そういうことだね。でも、木材に代わるものは見つかっていない。左京翁は、地面に埋まっている化石となった木材、化石木に可能性があるとみている」
「化石木……燃やせなくはないですが、生木よりも燃えにくい上に、イヤな匂いが出るものではなかったですか」
「ああ。料理に使うと米まで臭くなるので使えたものではないね。鉄を作るなど、夢のまた夢だ」
「では、木材を炭にするように、化石木を炭にして使うことはできませんか」
「ほう」
先生が楽しげに笑います。
「左京翁も、そのことを書いてある。化石木を不完全燃焼させて炭とし、優良な熱資源にすることができれば、地球文明は一気に加速するだろうと。この本では化石木の新たな熱資源を“石炭”と呼んでいる」
「なぜ、“石炭”はできないのでしょう? 元は木で同じものなのに」
「太古の微生物の中に、地面に埋まった木に悪さをしてたものがあるようだ。左京翁は、作中によく超越者を出すのだが、その超越者が人間が手軽に“石炭”を使えるようになれば文明が暴走して地球環境の悪化につながると考えて手を加えたとあるね」
「待ってください。化石木ができたころは、人間はまだ存在しなかったと思いますよ」
「そうだね。大型爬虫類の時代だ」
「まだ存在しない人間の文明が暴走する心配をする超越者など、いくらなんでも絵空事がすぎるのではないでしょうか」
「君は真面目だなァ」
「からかわないでください」
少年が、ほほを膨らませます。
「超越者が出るまでの流れとして、この本には“石炭”が存在する歴史が描かれてる。化石木は世界中に埋まってゐる。新たな熱資源として“石炭”を使うことができるようになれば、何に使われるか。一番に増えるのが製鉄だ。大量に、良質の鉄が作られるようになり、しかも安く手に入るとなれば、新たにいろんな用途が生まれる。たとえば重い車を運べる頑丈な鉄路と、その上を走る蒸気機関の車。この組み合わせは、昔から多くの人が考えていることだが、これまでのところ、鉄の価格の高さから、見世物以上の形では実現していない」
「どちらも、実現すればよいことですね」
「そうだ。だが、大量に“石炭”を使うようになれば、大量のすゝも出る。そのすゝが空気を汚し、太陽の光を遮れば、地球は寒くなる。ちょうど昨今のようにね」
「ああ」
「地球全体で人口は今や10億に近いと推定されている。10億の民が木炭を燃やして作るすゝでさえ、地球を寒冷化させ、天候を不順にさせる原因といわれている。“石炭”を使うようになれば、地球はたちまち氷河期となり、大地は凍りつくだろう」
「これはぼくの考えが及びませんでした」
「天気が不順となれば、作物がとれぬ。肥料として蝦夷地からくる鰊も、海流の変化で不漁が続いている。海流の変化も、地球寒冷化が原因だ。食べ物が減ってくれば、奪い合いとなり、争いが起きる」
先生は、ため息をつきます。
「列強同士の大戦となった鳥糞戦争も、肥料として高い価値のある海鳥の糞が堆積した島をめぐっての戦いだった。これも食べ物をめぐる争いといえるだろうね」
「肥料を作る、よい手立てはないものでしょうか。先生は前に、空気から肥料を作る理論があると教えてくれました」
「空中窒素固定法だね。これもずいぶん前から理論は完成し、実験ではうまくいってるのだが、高温高圧に耐える器材が高価なので実用化されていない」
「高温高圧に耐える器材……それこそ、“石炭”で鉄が安く作れるようになれば、可能になるのではないですか」
「やっ、そのとおりだ」
先生は、少年を見つめます。
「やはりきみはきちんと学問を身につけた方がよい。きみの柔軟で明敏な思考力は、必ずや世の役に立つ」
「ですが、先立つものがありません。どこに学びに行くにも、お金がかかります」
「うむ。そこはわたしがツテを頼ってなんとかしよう。きみは……そうだ。きみに、この本を貸そう。これを読み、熱資源について考えたことを論としてまとめたまえ」
「先生」
「どうした困った顔をして。大丈夫だ。きみの才は必ずや世に通用する。わたしが保証しよう」
「いえ、そうではなく」
「ではなんだ」
「これ、又貸しになりますよ。貸本屋さんに怒られます」
「や、これは失敬」
先生と少年は、顔を見合わせ、カラカラと笑います。
外では細く長い雨が、シトシトと降り続いています。