第1章 第6話 ファナトリア市長
前回の投票の結果、
①まずはお嬢様の伝手を頼らせていただくことにしましょうか。
の選択肢が選択されましたので、これに基づいてお話を続けていきます。
それでは、まずはお嬢様の伝手を頼らせていただくことにしましょうか。
なにやら有力者の手助けが期待できる気がするでありますし。
「ファテリナお嬢様。なにか伝手があるなら、協力をお願いできるでありますか?」
「うん。あまり乗り気はしないけど、しょうがないよね」
などと、ため息をつきながら答えるお嬢様。その方、よほど苦手なようでありますね。
「では行きましょうか。お嬢様、ファナトリア市内でいいのでありますか?」
「ええ、そうよ。場所は北地区ね」
「わかったであります」
なるほど、北地区でありますか。ファナトリアの北地区は、行政区や、いわゆる富裕層と呼ばれる人たちの居住区が集まっている場所であります。
私なぞは、滅多なことでは足を踏み入れることのない場所でありますね。
「定期便がそろそろ出る頃であります。急ぐとしましょう」
私は手早く準備を済ませ、皆を連れ立って案内所を出ました。
ダンジョンの入り口を塞ぐように建てられた案内所の建物を出ると、中天に昇った太陽の光が肌に突き刺さります。酷暑の時期は過ぎても、まだまだ暑いでありますね。
ダンジョンの入り口自体はただの小さな四角い石積みといったもので、その前に建てられている案内所の建物の方がむしろ目立つぐらいであります。
実際、入り口として機能しているでありますしね。
周囲は古代の崩壊した神殿といった雰囲気で、崩れた建物の残骸やら折れた石柱やらが風化されるままに転がっているであります。
この辺りの土地は、緑が少なく、大小の岩が転がるだけの殺風景な荒野でありまして、不毛とまでは言わないまでも、ダンジョンがなければ人が足しげく立ち入るような場所ではないであります。
案内所の側には、ファナトリアと、このダンジョンとを結ぶ定期便の停留所がありまして、ラダーという巨大な鳥型の動物に繋がれた幌馬車が何台か止まっていました。
もちろん料金はかかりますが、大人の足で2時間はかかる距離を半分ほどの時間で移動できるため、冒険者の方々には重宝されております。もちろん、案内所職員の私たちもですが。羽振りのいい冒険者は自分用の騎乗動物を持っていたりしますね。
ちなみに、自分の乗り物など持っていない私などは、急ぎの場合は自分の足で走って通勤することもあります。猫人族の脚力をもって本気を出せば、幌馬車を牽いたラダーなどには速さで負けることはないのであります。
すっごく疲れるのでやりたくないでありますけど。
そういえば、と、タニアさんに尋ねてみました。
「タニアさん。ここまではもしかして、自分の足でやってきたでありますか?」
「はいです。わちは、ほこり高き猫人族です。これぐらいの道はへっちゃらです。でも」
すぐさま、ぐうっとタニアさんのお腹の虫が鳴りました。
「……むねんです。ほこりではお腹がふくれないです」
私はため息をつき、携帯していた干し芋をタニアさんに差し出しました。
「あまり無茶はしないように、であります。あなたはまだ幼いのでありますから」
野獣のように干し芋にがっつくタニアさんを促し、私たちは北地区行きの幌馬車に乗り込みます。中で出発を待っていると、口元に芋のカスを付けたタニアさんが私の手をくいくいと引っ張ります。
「……これに乗ったら最後、売り飛ばされたりしないです……?」
「……それ、好きなのでありますか?」
やがて、御者の合図と共に幌馬車が出発しました。幌馬車に揺られながら、一路ファナトリア市の北地区へと向かいます。
「北地区への便は、やはり人が少ないでありますね」
というか、今回の乗車客は我々のみであります。
「そうなのよね。そのせいか、本数も少なくて嫌になるわ。他の冒険者もいないからつまらないし」
ファテリナお嬢様がつまらなそうに口を尖らせます。ああ、お嬢様はこの定期便を利用してダンジョンまで通っているのでありますね。
「でも、他の便は冒険者が多いでありますから、それはもう、匂いが堪らないでありますよ?中には女性に対して下品な物言いをする輩もいるでありますし」
「あー……それやだ」
それを聞いたイゴールさんが、しきりに自分の匂いを嗅いでいました。大丈夫でありますよイゴールさん。ほんのすこーしだけ生臭っぽいだけでありますからね。
そんなよもやま話を続けていると、すぐにファナトリア北地区の停留所へと到着しました。
ファナトリアは、高い城壁に囲まれた城郭都市でありまして、北地区の停留所は、その城壁の城門の一つに設置されております。
幌馬車を下り、城壁の衛兵に身分証を提示して城門の通過を許可してもらいます。タニアさんのみ、市民証ではなく在留許可証でありましたので、少し手間取りましたが、ファテリナお嬢様がその身柄を保証するということでなんとか通行許可が下りました。
ここは北地区直通の城門であることもあってか、少し審査が厳しめのようであります。
城門を抜けたところで、ファテリナお嬢様が私たちに振り返りました。
「じゃあついてきて。案内するわ。タニアちゃんは私たちからはぐれないようにね」
「はいです」
ファテリナお嬢様に先導されて北地区の中を進みます。
他の地区に比べると、建物や道に雑多な印象がなく、清潔で洗練されている印象であります。行き交う人々も、身なりは小ざっぱりとしていて非常にお行儀がよろしいですが、なんというか、あまり活気というものは感じませんね。
ここに来て驚くのは、非常に高価なガラス窓が多く見受けられることです。うっかり割ったりでもしたらと思うと、体が震える思いであります。
私などにとっては、あまり居心地がいい場所とは言えないですね。
タニアさんなども、そわそわとして落ち着かない様子であります。
しばらくそんな落ち着かない街並みを眺めながら歩いていると、大きな噴水のある広場に出ました。
その広場の正面には、誰もが目を引かれるような豪奢な白亜の建物がそびえ立っております。
ここは確か……
「さあ、ここよ」
ファテリナお嬢様は、そう言って、その白亜の建物を指差しました。
「マジ、でありますか」
私の額につーっと汗が流れます。
そこは、ファナトリアの政治の中心。
ファナトリア市長公邸でありました。
「ハミルトン市長に面会したいんだけど」
ファテリナお嬢様は、事もなげに受付のお姉さんに告げます。
「……申し訳ありませんが、お約束のない方のお取次ぎは出来かねます」
「ミドルトン家のファテリナが来たと言ってちょうだい。そんなに時間は取らないから、少しだけ時間を割いてくれないかって伝えてくれない?」
家名を出されて、受付のお姉さんはピクリと眉を動かし、すぐさま通信用魔法具を使って連絡を取り始めました。
あー、あの魔法具いいでありますねえ。案内所にも導入してくれないでありますかねえ。まあ、目玉が飛び出るほど高価でありますから、期待するだけ無駄でありますけど。
「……失礼いたしましたミドルトン様。30分ほど後に時間が取れるとのことです。係の者がご案内いたしますので、少々お待ちください」
おうふ……こんな無茶な要求が通っちゃいましたよ……
まさか、伝手とやらが市長様でありますとは……
そんなお偉い方に会うのは正直気が重いでありますね……帰っていいでありましょうか。
案内された豪華な部屋で、革張りのソファーに座って落ち着かない気分でしばしの間待っていると、扉が開いてここまで案内してくれた係の人に「市長がお見えになります」と声をかけられました。
すると、間もなく扉の向こうから冒険者顔負けの体躯の男性が姿を現しました。黒のフロックコートを着たその壮年の男性は、顎髭を蓄えた彫の深いお顔をしておりまして、鋭い眼光も合わせて、それはもう威厳タップリであります。
「待たせてすまない。ファテリナ君どうぞかけてくれまえ」
市長様はそう言って、ファテリナお嬢様の正面に静かに腰を下ろしました。
お嬢様も促されるまま、一礼して腰を下ろしました。
私たちは、後ろに立って控えるであります。
それにしてもまあ、市長様のお声ときたら、なんと耳障りのいい、渋みのある低音ボイスなのでありましょうか。
こんなシブいおじさまに、こんな声で甘い愛のささやきでもされた日には一発で撃沈してしまいそうであります。
すぐ後ろには秘書らしき文官の女性が市長様の側にピタリと控え、凛とした佇まいで立っています。
二人ともあまり表情を変えない方のようで、何というかすごいオーラを感じるでありますね。
しがない案内所所員には甚だ場違いでありますよぉ。
「ああ君たちもかけてくれたまえ。遠慮はいらん」
などと、私たちなどにもお声がけいただけます。
侵し難い威厳ある方でありますのに、何と心配りの出来る方でありましょうか。
私たちが席につくとお嬢様が深々と頭を下げました。そして、知己であろうイゴールさんを除いた私とタニアさんを市長様に紹介していただきました。
「ハーシェルおじさま。こちらは第9ファナトリア未踏破領域のダンジョン案内所の所員のエヴァンゼリンさん。そしてこの子はタニアさん。突然の訪問、申し訳ありません」
お嬢様は普段の気さくな物言いは控えて、良家のご令嬢らしい立ち居振る舞いを心がけているようであります。
やればできるではないでありますか。
市長様は頷き、「市長を任されているハーシェル・ハミルトンだ」と挨拶下さいました。そして、市長様は出された紅茶にゆっくりと口をつけます。
「ファテリナ君。こうして訪問してくれるのは全然構わない。むしろ君の元気そうな様子を見れて安心できるからな」
かちゃりとティーカップを置くと、髭が蓄えられた顎に手を当てられます。
「そしてなにより、君のその健康そうなオッパイを見るのが私のなによりの――『スパーン!!』
突然、後ろに控えていた秘書の方がスリッパで市長様の頭をはたきました。
しかし市長様は何事もなかったように平然と再び紅茶に口をつけるであります。
……え……?何が起こったであります……?
それに市長様、今、何か妙な事を口走りませんでしたか……?
「……君の目指す冒険者というものは、確かに危険な仕事ではあるが、人類社会にとっては欠くべからざる存在だ。年頃の少女がその世界に飛び込むということは、それが是か非かという議論はあるだろうが……そのあたりでいうと、君の父上が案じられるのもよくわかる。だが、何度も言うが、私個人は君を応援している。ぜひ、そのまま成長してムチムチわがままボディのエロ冒険者に――『スパーン!!!』
再び秘書のスリッパが市長様の横っ面にヒット。軽く市長様のお身体が吹っ飛びます。
あ、市長様、少し鼻血が出てるでありますけど……
この秘書の方、そのまま涼しい顔をして立っておりますが、大丈夫なのでありましょうか。
「はい、いつも格別のご高配を頂いて感謝しております、おじさま」
そう言ってニッコリと微笑むファテリナお嬢様。ええ!?この状況をスルーでありますか?!
イゴールさんなども、特に動揺している様子はありませんが、隣に座るタニアさんなどは、何が起こってたのか分からずカタカタと震えておりました。
しかし、ファテリナお嬢様は、そのまま何事もなかったように話を続けます。
「それで、わざわざお時間を割いて頂いたのは他でもありません。実はここにいるタニアさんの兄が第9ファナトリア未踏破領域で活動している冒険者なのですが、その人が2週間前から行方不明だというのです」
それを聞いて、市長様が「ふむ」と、眼光鋭くタニアさんをじろりと見やります。タニアさんがそれにビクッと身をすくませてしまいます。あの、市長様、怖いので鼻血を拭いてはいかがでしょうか。
「……言いにくいことだが、ダンジョンの中でその彼に何か変事があったというだけではないのかね?」
「いいえ。こちらのエヴァンゼリンさんによると、ダンジョンの出入り記録では2週間前にダンジョンから出たまま再びダンジョンに戻ったという事実はないようなのです。私たちは、行方不明になった彼の足取りをなんとか調べたいと思っています」
市長様が、私の事を一瞥したあと、一つ頷きました。
「なるほど。しかしファテリナ君。このような話を私に持ち込まれても、正直持て余すしかない。有体に言えば、一冒険者の安否に時間を割けるほどの余裕は私にはないのだ」
「承知しております。ですので、このことを取り扱っていただける方への紹介をお願いにまいりました。こちらの地では、私には頼るべき知己が多くはありませんので」
「そういうことか。それならば容易いことだ……だが、誰がよいだろうか」
市長様は顎に手をやり、しばらく考えておられましたが、「ふむ」と一つ頷き、後ろに立つ秘書の方とボソボソとやり取りを始めました。
秘書の方が、「かしこまりました」と深々と礼をして了解の旨を伝えると、市長さまはおもむろにソファーから立ち上がります。
「彼女に、信頼できる者への紹介状を手配させよう。先方もきっと力になってくれるはずだ。それでは時間がないので、申し訳ないがこれで失礼する。ファテリナ君。定期連絡の外にも、こうしてちょくちょく、おっぱ……いや、顔を見せにくるがいい。いいね」
「はい、おじさま」
また何か口走りそうになった市長様が、なぜか私の方に顔を向けました。そして、真剣な眼差しで私をじっと見つめます。
「……猫人族はいい。実にいい。君、今夜暇かね。よければ今宵は私と――『ドカン!!!』
突然、秘書の方の回し蹴りが市長様にさく裂し、彼の身体が部屋の扉近くまで吹っ飛びました。
ゴロゴロと派手に転がった市長様は、床でピクピクしておりましたが、やがてふらふらと立ち上がると、今度も何事もなかったように「では失礼する」とそのまま部屋を出ていかれました。
何なのでありますか?!あの方、本当に市長様なのですか?!
「お、お嬢様。これは一体……」
「ああ……おじさまはいつもあんな調子なのよ。でも、本当に有能な方だから、あの方の紹介してくれる人なら頼りになると思うわよ」
「は、はあ」
いつもあんな調子って……なるほど、お嬢様があの方に会うのを渋る理由が分かりました。ああもセクハラまがいの発言ばかりされると、いかに私好みの渋いおじさまでも、敬遠したくもなりますね。
「本当に申し訳ありません。あの人のあれは病気みたいなものなのです」
残っていた秘書の方が私たちに深々と頭を下げました。
「それでは、紹介状をご用意するので、少しお待ちください」
「あ、あの」
「はい?」
退席しようとする秘書の方に、私は恐る恐る声をかけました。
「その……市長様に、あのようなことをされて……大丈夫なのでありますか?」
上司の方にあのようなことをして、もし彼女がお咎めを受けることになれば、私としても少し心苦しいところもあります。なにしろ回し蹴りでありますからね。
尋ねられてキョトンとしていた秘書の方は、ああ、と微笑みました。
「あれはあれで、あの人、喜んでいるんですよ。まあ、私たちなりのコミュニケーションといったところでしょうか。……それでは少しお待ち下さいね」
そう言って、秘書の方は部屋を後にされました。
「……叩かれたり蹴られたりして喜ぶとは一体どういうことなのでしょうか……」
私が呟くと、ファテリナお嬢様が、フルフルと首を横に振ります。
「私もよく分かんない。でも、実際二人はおしどり夫婦なんだから、あれはあれでいいのかもね」
夫婦?!
「夫婦なのでありますか?あの二人?」
「そうよ。イリーナおばさまは、ハーシェルおじさまの筆頭書記官でもあるけど、歴としたファナトリア市長夫人よ」
「……なるほど」
分からん、であります。
まあ、それはともかく、調査に協力いただける方を紹介してもらえそうで、よかったでありました。
……しかし、一つ懸念事項が。
「あれは、やっぱり……あの方の事……なのでありましょうね」
私はそう小さくつぶやきます。
猫人族であり、それなりの技能を持つ私は、聴力に関しては常人のそれよりは優れております。
そのため、市長様と秘書のイリーナ様のやり取りが聞き取れてしまったのですが……そこに出てきたお名前が、私のよく知る人のものだったのです。
できればあまり会いたくない類の方であります。お嬢様に続き、今度は私の苦手な方への面会を迫られることになるとは。
はあ。帰ってもいいでありますかねぇ。
内心そうつぶやきつつ、不安げに私にすがりつくタニアさんを見やり、そうもいくまいと深くため息をつくしかありませんでした。
今回は選択肢はありません。