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 俺とソラヤが連れ帰った少年は名前をラトと言った。ランテルナみたいな名前だと拍子様は言っていたが、最近ではランテルナにあやかって二文字の名を付けることもあると少年は説明した。

 ラトは目と耳の間に殴られた痛々しい青あざを作っているが、それ以外は大丈夫そうで、睡眠と食事を十分とると比較的元気になった。

 ヴィオはそれから負傷兵の看病の合間に少年探しをしていて、一日中忙しそうにしている。何度か俺に病院へ歌いに来てほしいと頼んできたが、断った。そして突然、何かを思い出したように「わぁ!」とか「あー!」とか感情を吐き出すように叫ぶので、周りはその度に驚いている。ラトはガタガタ震えるし、ソラヤはランタンに抱き付くし、近所の爺さんは「煩い」と怒鳴り散らす始末。

 ソラヤは懲りずにルシオラの歌を練習して、ルシオラ達を不快にさせる。そしてとにかく何かを手伝いたがり、家の煙草巻きの仕事では飽き足らす、拍子様の元で薬の煎じ方を学ぶようになった。ヴィオに毎日髪を結って貰っているので、機嫌がとてもいい。

「どうしてこうなった」

 最近、この台詞を繰り返しているような気がする。何故ならば、ヴィオとラトが家に住むようになったからだ。気楽なお一人様生活はどこへやらと、深くため息を吐いているとラトが足音もなくふわふわとやってきてこう言うのだ。

「ごめんなさい。僕が願ってしまったから悪いんだね」

「今、何て……」

 この言葉の理由を聞こうとしたとき、ソラヤがラトを呼んで、ヴィオと散歩に行こうと誘う。ラトが呼ばれた方に駆けだしてしまったので聞けなかった。願ってしまったとはどういう事だろう。

「おじさん、ヴィオさんとラト君と一緒に美少年探しに行ってきます」

「おお、気をつけろよ」

 手を振るソラヤにつられて、柄にもなく手を振り返している自分に気づき、少し照れた。

 台所で四人分の食器を洗っていると、店の扉が開いて人が中へ数人は入ってきた。「いらっしゃい」と言いかけて止めると、入ってきた男が俺に気づいて不気味な笑みを浮かべた。

「何か用か?」

「ここは何屋なんだ?」

「知らねえなら帰れ」

 入ってきた男は五人。狭い店には窮屈な人数だ。男たちは獣の毛皮を腰に巻き、革の靴や手袋をしていて日に焼けた如何にも、山賊といった風情の男たちだった。

「そんなに冷たくするなって」と一人の若い男が俺に絡んでくる。

「山賊がルシオラに用があるってことは、誰か死んだか?」

 ルシオラは金めになるような貴金属は好まないし、戦の後で薬剤が殆どないことも分かっているはずだ。それ以外に山賊が望む物なんてあるはずない。

「なあなあ、おじさん。最近、珍しいもの見なかったか?」

 おじさん呼ばわりされているが、この中の最年長であろう男よりは年下のはずだ。

「質問の意味が分からん」

「ほら、こう、光る物とか」

「ランプが欲しいならよその町の金物屋へ行け」

「そうじゃなくて、ランテルナの灯とか」

 ここで顔色を変えてはいけないという事くらいは瞬時に分かった。顔の筋肉を動かすことなく黙っていると、男たちが家の方へあがろうとしている。家に俺だけで本当に良かった。

「俺らの賊長が見たんだよ。あの伝説のランテルナの灯を。その眩しい光がルシオラの村へ消えていくのもはっきり見たんだとさ。何か知らない?」

「ランテルナの灯なんて誰も見たことねえんだから、本物だって何でわかるんだ?」と質問すると、下っ端の若い男は黙って、舌打ちした。そして許可は出していないのに、勝手に家宅捜索されることになった、男たちは荒っぽい動きで扉を開けたり、棚に並んでいる薬瓶を払いのけたり、やりたい放題している。器具を揃えなおすのに幾ら位かかるだろうか。これでは稼いだ分全て使い切っても足りないだろうな。最悪の状況だが、唯一あの三人が家に居なくて本当に良かったと胸をなでおろしていた時、再び店の扉が開いた。ふわふわと軽い足取りで来店したのはラトで、店の隅で壁に寄り掛かって立っていた俺と目が合った。

「ただいま。わすっーー」

 俺はすぐにラトの口を手でふさぎ、店の外に連れ出した。ラトの声が小さくて男たちは気づいていないようだ。

「なんで戻ってきた」

「ソラヤちゃんのランタンを取りに戻ったんです」

「え!」

 ランタンを家に忘れてきただと?

「お客さんですか?」

「ああ、招かれざる客だ。あいつらソラヤのランタンを探しに山を下ってきた山賊だ」

 ラトが珍しく目を見開いて驚いた顔をしている。俺たちはソラヤとヴィオが使っている一番奥の部屋の窓の下まで庭を通って移動する。そして窓をそっと覗くと、確かに文机の足元に黒い布袋が置いてあるのが見えた。

「おじさん、どうしよう」

「どうしようって言われても、何とかしないと」

「ああ、あいつらにランタンが見えなければいいのにな」

 窓から入って取ってこれればいいんだが、この窓には鍵がかかっているて、中へ入るには隣の部屋から入るしかない。しかし、男たちは五人で探し回っているので、すぐそこまで来ているのが分かる。このままではランタンが奪われてしまう。

「窓硝子を割っても音で見つかる。もう、俺があいつらの気を逸らしている間にラトが隣の部屋から入って取ってくるしかないな。出来るか?」

 ラトは不安そうに頷いて見せる。しかし一か八かやってみるしかない。俺は店の方へ走って戻り、元居た位置に立って、再び腕を組んで男たちに大声で呼びかける。

「もういいだろう。いくら探しても無いものは無い」

 虚しいことに誰も反応しない。ひたすら俺の家財道具をひっくり返してぶちまけていく。

「そもそも、そこのデカいの。ランテルナの灯がどういうのか分かってんのか?」

 男の中で一番背の高い男に呼び掛けてみると、ノッポは手を止めて無言でこっちを睨みつけてくる。

「じゃあ、そこのチビはどうだ」

 チビと呼ばれて起こったのか、俺に舌打ちしながら鋭い眼光でこっちに近づいてくる。

「そこのジジイなら年の功ってやつで知ってそうだな、教えてくれよ」

 ジジイと呼ぶにはまだ少し若いが、俺より年上そうだからいいだろう。

「それからそこのデブはどうなんだ?族長の話が本当だって証明してくれよ」

 デブというよりは、一番筋肉質であいつの太ももと俺の胴回りが同じ位だが、このあだ名でいいだろう。

「さっきから、五月蝿いな」

 最後に手を止めたのは、一番若い男で、手にしていた食器を床に叩きつけながら近づいてきて、俺の顔を覗き込むように睨んできた。

「あんまりピーピー五月蝿いと、どうなるか分からないよ。おじさん」

 男たちが全員こっちを見ているこの隙に、ラトが窓から侵入し、ゆっくり廊下を歩いている姿が目の端に映る。

「こっちだって、自分の家をめちゃくちゃにされて黙っていられるはずがないだろう」

 はっきり言って、喧嘩など人生で一度もしたことがない。争いごとが苦手だし、諦めるのは得意だし、自分の意見を正しいと主張する元気も持ち合わせてない男だ。こんな屈強な男どもに囲まれた経験はこれまでにはなく、非常に恐怖を感じている。だが、見栄っ張りが災いして、子どもの前では少しは格好の良い大人を演じようと耐えているのだ。

「おいこら、待て!」

 俺が若い男と睨み合っていると、隣の部屋に潜り込んだラトがノッポに見つかってしまった。

「ラト!」

「おじさん、息子居たんだ。全然似てないな」

 ラトは黒い布袋を胸に大事に抱えながら、男たちに部屋から引きずり出される。

「こいつ、何か持ってるぞ」

 ノッポが袋の上部分を引っ張って、中を覗こうとするので、もうだめだと頭を抱えてため息をつきそうになった時、耳を疑う言葉が入ってきた。

「なんだ、何も入ってねえじゃねえか」

 何も入っていない?

「大事そうに抱えるから、もしかしてって思っただろうが」

 ノッポはラトを軽く突き飛ばした、まさにその瞬間。

「子どもに手を上げるとは許しません!」

 正義感溢れるこの女の声は、もちろん元王国軍の騎士様である。

「ヴィオ!」

 俺が名を呼ぶより早く、女騎士は大股で家の中に飛び込み、細長い手足を振り回す。尖った肘は若い男のみぞおちに入り、振り上げた踵はジジイの胸で跳ね、固めた拳はノッポの顎を突き上げ、勢いのついた膝はチビの脇腹を凹ませ、体重をかけた額はデブの頭部を跳ね飛ばした。あっという間に屈強な男たちを五人も倒してしまったのだった。

「ヴぃ、ヴィオ。なんでそんなに強いんだ?」

「私、武道大会で優勝したことがあるんです」

 そう言って、無邪気に微笑んだ。そして気絶した男たちをずるずると引きずって家の外に放り出していく。

「ラト、大丈夫か?」

「はい。怪我はありません」

 ラトもヴィオの凄い技に呆気に取られて、尻餅をついていたが、どこにも傷害はなさそうだった。

「ランタンを隠してくれたんだな。よくやった」

「いいえ、僕、ここに持ってます」

 ラトは胸にしっかり抱きしめていた黒い布袋を差し出して、その中身を見せる。確かにランタンは中に納まっていた。

「じゃあ、なんであいつらは何も入ってないって言ったんだ?」

「分かりません。僕があいつらに見えなければいいのにって願ったからかな?」

 願ったくらいでその通りになどなるはずがない。そういえば、同じようなことを前にも聞いたはずだ。

「トキトさん、家の後片付けは置いておいて、すぐにソラヤの所へ行きましょう」

 辺りを見渡しても、ヴィオと美少年探しに向かったはずのソラヤの姿が見えない。

「ソラヤに何かあったのか?」

「とにかく、病院へ行きましょう」

「病院!」

 一瞬、両耳が無くなったかのように無音に襲われた。「とにかく病院に急いでくれ」という声が甦ってくる。あれはずいぶん昔の記憶のはずで、とうに忘れたつもりだった。

 俺とラトはヴィオの後を追いかけるように急いで村で唯一の病院へと駆けていくのだった。




「脅かすなよ!」

 深刻そうに病院へ来いと言うから、大怪我でもしたかと思い込んで、息を切らして来てみれば、ソラヤはとぼけた顔でピンピンしていた。

「先生は、軽い捻挫だって言っていましたが、頭を打っているので一日安静にしていなさいとのことです」

 病院の二階にある女性病室に簡易な寝台が数床並んでいて、その中の一番入り口付近にソラヤは泊まることになった。

 ヴィオの説明では、ラトと別れた後、山賊が絡んできた。ヴィオが山賊を退治して家に帰ろうと気を抜いた隙に、意識の残っていた山賊の一人がソラヤの足を掴んで倒したらしい。その際、足を捻挫し不意打ちによる受け身をとれず、後頭部を地面に打ち付けたとか。頭を触ると、たんこぶが出来ているぐらいでそれ以外の症状は出ていないようだった。それよりもソラヤの足を掴んだ山賊の方が酷い目にあったということは言うまでもない。

「トキトさん、すみません。私が付いていながら怪我をさせるなんて。騎士として恥です」

 ヴィオは今にも泣きだしそうな顔で頭を下げたが、彼女が怪我を負わせたわけではないので、責めるはずもない。

「ヴィオがいてくれて良かった。ラトもソラヤもランタンもそれに俺も守ってもらった。感謝しかないよ」

 礼を述べると、ヴィオは目を真っ赤にして感情が満タンになったのか、わんわん泣き始めた。「ソラヤごめんね」と謝りながら。

「賑やかだね。元気なのは良いことだけど、病室だからもう少し静かにしてくれるかな」

 怒られてしまった。しかも幼馴染に。病室に入ってきた彼はこの病院の医師で、俺の同い年の幼馴染である。とにかく逃げなけらばならない。

「おい、どこ行くんだい?トキト」

 こっそり病室を抜け出そうと息を殺してヴィオの後ろをしゃがんで通っていると、医者がが俺の奥襟を捕まえた。

「家が山賊に荒らされたから帰ろうと思って」

「へえ、それは災難だったね」

 口調は仕事柄か優しいが、表情は若いころと変わらず厳しく、視線が鋭い。俺はこいつの「何でも白状しろ」という高圧的な目つきが苦手だ。

「だから、帰るわ。ソラヤの事は頼んだ」

「久しぶりに顔を出したと思ったら、いつの間に家族を増やしたんだ?」

「家族じゃねえよ。全員単なる同居人だ」

「へえ。確か、この病院の一階一番奥の部屋で俺は一人で生きていくんだ、構うなって泣きなら言って大袈裟に飛び出して行ったくせに、やはり独りは寂しくなったのかい?」

「あーもー。そんな昔のことは忘れろ!」

「おじさん、先生と仲良しなんですか?」

 ソラヤ達が俺と医師との関係に興味を持ったらしく、根掘り葉掘りと質問攻めをはじめ、俺すら覚えていないようなガキの頃の思い出をあいつは嬉々として話しだす。病室では静かにしろと言った言った奴が一番うるさいのに誰も文句を言わないし、他の患者すら楽し気に話を聞き始める始末だ。

「トキトさんってケルウスに言ったことがあるんですか」

 ヴィオは俺の初めての外国旅行の話で大いに興味を持ったのか食い入るように耳を澄ましている。

「あれはトキトが十五の時でね、トキトのお父さんと二人で煙草を卸しているケルウスの問屋に行ったんだ。一年くらいの旅で、ここから南の山を越えてマラキアに行って、そこから船に乗ってケルウスの首都ノックスに。そして帰りはケルウス観光して帰って来たんだ」

 まるで自分が言ってきたみたいな喋り方をしているが、ケルウスに言ってきたのは俺だからな。

「二人旅だったんですか?」

 ラトはまるで絵本を聞かされている子どものように目を輝かせながら医師の話に質問までする。

「ラト君、良い質問だよ。トキト親子は二人旅ではなくこの辺りにたまにやってくるある商団と一緒だったんだ。その名もウミスズメ商団。親族だけの小さな商団だけど、この村の人なら知らない人はいないくらい、良い人たちなんだ」

 いい加減にしてもらわないと、このままなら何もかも暴露されてしまう。

「商団が村に来るのを村人達は心待ちにしているんだ。ケルウスや他の国の珍しいものとルシオラの薬が物々交換できるからね。それに商団の人から外国の話を聞くのも楽しい。しかも商団には先生たちと年の近い女の子がいて……」

「もういい、それ以上話すな」

 俺が強い語調で話に割って入ると、全員が俺に視線を移した。

「いいよ。話をやめるかわりに、鎮める歌をソラヤに歌ってあげな」

「その歌は……」

「歌えないなら話を続けるよ。ミネットの話を」

「わ、分かった。お前ら話は終わりだ」

 ラトもヴィオもソラヤも、もちろん不服そうな顔をしている。そんな捨てられた子犬のような顔で訴えかけられても彼女のことは話してやらないし、話させない。

 歌を歌うと承諾して、口を何度か動かそうとするのだが、一音目を思い浮かべるたびにあの日の光景が思い出されて喉の奥が閉まってしまう。

 

あの日も部屋にまで蝉の鳴き声が聞こえていて、真っ白の病室に、純白の布団の上であの人が眠っている。


「おじさん、大丈夫?」

 ソラヤが俺の顔を覗き込んでくる。この汗は冷や汗ではない、暑い夏のせいだ。

「ちょっと待て、今、思い出してるから」

 

俺はあの人の隣に横たわって、今にも開きそうな目を見つめて、長いまつ毛が少しでも揺れないか見逃さないように瞬きすら惜しんでいた。


「っーーぁ……」

 

何度となく手でその透き通るような肌に触れようとした。でも、触れてしまったら夢から覚めるような気がして出来なかった。

 

 鎮める歌。それは怪我をしたとき、病気をしたときなどに歌われる、「魂よ、体から逃げるな」という意味を込めた、魂を鎮める歌だ。

「トキトさん、顔色が良くありません。無理はしないでください」

 吐き気がする訳ではないのに、ヴィオが何故か背中をさすってくれる。

「トキト、もうそろそろ歌ったって良いんじゃないか?レクイエムは歌えるようになったって、拍子様から聞いた。鎮める歌だって歌える。それに聞かせてあげたい人がもう一人いるんだよ」

 そう言って、医者は一番奥で眠っている患者の元へ行き、仕切っている御簾を上げた。

「この子にも聞かせてやって。ずっとトキトの歌を聴きたがっていた子なんだ」

 俺は汗をぬぐいながら御簾の向こうに眠る人の元へ近付いた。

「――どうして」

 そこに眠っていたのは、数日前この病院の前で出会った名も知らない少女だった。

「やっぱり、この子が言っていたお花の匂いがする歌の上手なおじさんって、トキトの事だったんだね」

 事切れた王国兵に汗だくになりながら歌っていたあの女の子がどうしてこんなところで眠っているんだ。

「ついこの前まで元気だったんだ。何があったんだ!」

 女の子は頭に白い包帯をぐるぐる巻いて、血の気の失せた青白い顔をしている。呼吸も不規則で力なく、どこか苦しそうで見ていてこちらが苦しくなるほどだ。

「この子は病院の手伝いをしてくれていたんだ。軽傷の王国兵と僧兵との諍いを止めようと間に入ったら、弾みで階段から落ちてしまって、頭部に重傷を負ってしまってね」

 その痛々しい姿は、誰がどうみても先が短いであろうと予測がついた。

「俺が弔って喜ぶ奴なんかいるのかね」

「いるよ。私なら絶対に嬉しいよ」

 あの時、この子はそう言っていた。俺は縁起でもないって一蹴してしまった。

「大怪我だったから、拍子様にも鎮める歌を歌って貰ったんだ。それに、王国兵が怪我をさせたって聞きつけて隊長さんまで来てくれて歌ってくれたんだよ。そしてたくさん食糧も届けてくれた」

 俺やソラヤの元に届けられていた食料の出所はそういう理由からだったのか。事故とはいえ王国兵のせいだと聞いて、ヴィオは膝から崩れ落ちて顔を両手で隠した。

「この子はあと、トキトの歌を待っているんだ。一度でいい、鎮める歌を歌ってくれないか?」

 

 あの日も目の前にいるこの医者はミネットが君の歌を待っているんだと言って俺を呼びつけた。

 

 どうしてみんな俺に歌えと言うんだ。どうして俺なんかの歌を待ってるんだ。

 ソラヤはラトが持ってきたランタンを取ってきて、布袋をはぎ取ると、ランタンを眠る少女の腕の中に収めた。

「ランテルナの灯は幸運の光なんでしょう?ならなにか良いことが起きるかもしれないじゃないですか」

 白衣の男が御簾を再び下して、眩しい光が外に漏れないようにした。

「生きている限り、ずっと命が続くと信じ続けなければならない、それが命への尊崇だって。拍子様に教わったはずだよ」

 確かに俺はその言葉を信じていた。ルシオラは死者に歌を歌う生き物で、ランテルナのように祝福を与える訳ではない。自分の体に流れるルシオラの血に流されて「この人はもう死ぬだろうな」とか「そろそろレクイエムを歌わなくては」とは思ってはいけないと教えられてきた。だから、俺はあの日もずっと歌い続けたんだ。あの人の隣で、開けることのない瞼を必死で見つめながら、冷たくなっていくあの人の側で、何度も鎮める歌を歌い続けたんだ。

 目の前でランタンを抱きしめながら眠る少女を見つめ、ぽつぽつと音符が口から零れていく。あの日、散々歌い続け、それ以降全く歌うこともなかった「生きてくれ」と願う歌を。

 

 病院の一階一番奥にある部屋は、霊安室で俺がミネットの元に駆け付けた時にはもう、その部屋に寝かされていた。死者に何度歌を歌っても何も効果はないと知っていても、俺は現実を受け入れずに歌い続け、ミネットがまだ生きているという夢を見続けた。拍子様に夢から叩き起こされるまで、ずっとこの歌を歌った。

 

 俺が歌うと、病室の他の患者まで口遊みはじめ、ラトもヴィオも一緒に歌った。

 これは俺の勝手な見方だったかもしれないが、俺たちの歌を聴いて、少女は少し微笑んだように思えた。

「ありがとう。君のおかげでトキトおじさんがまた歌えるようになったよ」

 幼馴染は少女の耳元でそう優しく感謝の言葉を述べた。

 次の朝、少女にはレクイエムが捧げられた。それまで同じ病室だったソラヤは昔の俺みたいに一晩中下手な歌を歌って、少女の隣で過ごしたようだった。

 鎮める歌。別名を鎮魂歌とも言う。怪我や病気の人、落ち込んている人に歌われ、魂よ鎮まれ、まだ生きていてという祈りが込めている歌。ケルウス王国では誕生日に歌われるらしい。

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